2 『幻の旅路』より ジュネーブに行く列車のなかで  | 『幻の旅路』大湾節子のブログ

2 『幻の旅路』より ジュネーブに行く列車のなかで 

1984年9月27日 
モンペリエー↓バレンス↓ジュネーブ
 
モンペリエーから北上してバレンスで乗り換えジュネーブに向かう。
車内はガラガラに空いている。

小柄なおばあさんの前に席をとる。
彼女、ホテルに勤めていて、英語がぺらぺら。
すぐに会話が始まる。

今年七十二歳。
いままで延ばしていたけれど、これ以上歳をとったら旅行できないから、これからジュネーブの幼馴染みに会いにいくのだという。

「引ったくりにあっても追いかけられないし、引き倒されて怪我をするだけだからねぇ。危ないからアクセサリーも何も身に付けずにきたんだよ。バックも普段のままよ」
と、見せてくれたのは、大分使い古された薄汚れた買物バッグ。
全く物騒な世の中だ。
 
「そうだ、そうだ」
と、おばあさんの言うことに頷いていたら、彼女すっかり気をよくしてしまったらしい。

いい聞き役がいると思ったのか、この時とばかりに日頃のたまっていた憂さ晴らしのお喋りを始めた。

「駅で鉄道の乗り合いパスを見せたのよ。
そしたら期限がとっくに切れているというじゃないの。
前もって言ってくれればいいのに、ひどく追加料金支払わされて頭にきたよ」
と、フランス国鉄の悪口をいう。
気付かずに使っていたのは彼女の方なのに、肝心の自分の非は気がつかない。

年取ると誰でも物忘れがひどくなる。
注意も散漫でミスも多くなる。
まず自分の体のこと、そして周囲の者に対しても文句が出る。

彼女はフランス訛りの英語で長年たまっていたグチを全部私に向かって吐き出した。
いささか閉口はしたが、いまのところ私がお年寄りの苦情箱で、それが逆でなくて幸せだった。
 
山間の駅から年の頃三十前後の男が乗ってくる。
明らかにフランス人ではない。

着古した白茶けた上着からしわくちゃのワイシャツの襟が覗き、ズボンの折り目はとっくの昔に消えている。

その男、ガラッと乱暴にドアを開け、ドカッと腰をおろす。
ふてくされたような態度で座っている。

しばらくすると何か落ち着かなそうにゴソゴソと動き始めたと思ったら、上着の懐から煙草を取り出して火をつけた。

この車両は一等の禁煙室。おばあさんと私の目が彼の煙草の煙を目で追っているのに、男は悠然と構えて「フー」と煙をはいている。

それを見て、おばあさんが男に向かって一言二言何か言う。
男は一瞬顔をしかめたが、首をすくめて煙草の火を消した。
そして、残りの吸いかけの煙草を大事そうに煙草ケースに戻した。

彼女、ここは禁煙車両だとぴしっと言ってくれたらしい。
さすがホテルに働いているだけあってしっかりしている。

そして、私に向かって「ねェ、あんた。吸いたかったら別の車両に行って吸ったらいいんだよねェ」
という。
その通りだ。
 
おばあさんと男が話を始める。
「この男、アルジェリアから来たんだってさ。
あの山の向こうの製材所で働いているんだって。こんな田舎では仕事を探すのは大変だとこぼしているよ」

フランスでは旧植民地のアルジェリアや南アフリカからの移民を多く見かける。
人手不足のフランス国内には二十万以上の移民労働者がいるという。
彼らは教育もなく特別な技術も技能も備えていないから、どこにいっても最低の労働条件でしか働けない。

二人の話を聞いていて、私はカンヌの海岸で見た、観光客相手に安物のネックレスを売ってその日暮らしをしているアフリカから来た黒人たちのことを思い出していた。
 
男はおばあさんとの話の合間にちらちら私の方を見ていたが、彼女との話が途切れたら早速話しかけてきた。

「一人で旅をしているの?」
フランス語が分からないふりをする。

ジュネーブ駅に列車が着く。
降りる時、おばあさんが耳元で囁く。

「あの男、あんたのこと色々と聞いてきたからね、何も教えなかったけれど、ホテルまで後を付けられないように気をつけなよ」
礼を言って彼女と別れる。
 
私のすぐ後をついて来た男は税関を通り過ぎる時、係官に呼びとめられていた。
大分先に行ってから、後ろを振り向いたが、その男の姿は見えなかった。

別室に連れていかれ職務質問されているのだろう。
手荷物一つ持たないみすぼらしい身なりの者や国内テロやゲリラ闘争のある国から来た人に対しては、税関も見る目が厳しいのだろう。

前にもバルセロナ行きの列車の中で同じようなことがあった。
フランスとスペインの国境を越える時、税関の係官が数人列車に乗り込んできて、乗客のパスポートを調べ始めた。
一人真っ黒なアフリカ系の黒人の前で、係官は長い間質問していたが、発車寸前、その黒人をせきたてるようにして下車させてしまった。

三年前イタリアからフランスの国境の駅ヴェンティミリアでも同じような光景を目撃した。
私はそのとき、日本国と書かれた赤い表紙のパスポートを見せただけで、係官はオーケーと言って、中身も見みずに向こうへ行ってしまった。

今回のジュネーブ駅でもパスポートの写真の頁を開けようとしたら、窓口の係員がもう行っていいと手でサインをしている。

ヨーロッパの国々では税関での取り調べが相手の国によって違いがあるのに気がついた。
たまたま自分の国が貧しかったり、発展途上国だったり、テロリストの多い国だったり、ゲリラ闘争の多い国だったり、と国際的に信用がない国だと、その国のパスポートを持っているだけで、厳しくチェックされる。
何も法を犯していない善良な市民だったらこの扱いはさぞ不愉快なことだろう。
 
この小さな経験によって、日本国が発行してくれた数ページの薄っぺらい証明書が、私にとって何を意味していたのかいま初めて分かった。
このパスポートのおかげで、いままで一度だって不愉快な経験をしたことがなかった。

別室に連行される入国者を目撃して、初めて自分の属している国を肌で感じることができた。

私の生まれ育った国は今や国際的に見て恥じない地位にあり、立派な権限を持っていることを確認した。

ヨーロッパの国々は日本の旅行者が入国するのを、一々細かくチェックする必要がないと考えているのだ。

第二次世界大戦直後は、日本は世界の嫌われ者で、しばらくはオリンピックの参加も拒(こば)まれたことがあった。

それが、いまでは世界の多くの国が日本を信用してくれている。
その国の国際信用度はトップの政治家だけが作るのではない。
国民の一人一人が作るのだ。

幸いにも、私はたまたま信用度の高い国に生まれ、その国に属していた。そして国が見えない力で私の背後から大きく保護していてくれたのだ。

税関でこのことがあって以来、私は日本の国に対して、いままでにはなかった深い敬意と感謝を持つようになった。

私は四十年以上アメリカに住んでいるが、2009年12月現在、いまだに日本国籍を持っている。

(第7章 1984年、第七回目の旅 P607-610)より 一部ブログ用)

*『愛国心』と『自分たちだけ守る』と一緒にしてはいけない。
右に偏(かたよ)り過ぎたり、左に偏り過ぎたりすると、橋から落ちる危険性がある。

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*『幻の旅路』
33歳から39歳までの7年間。
ヨーロッパの旅の日記です。
(1978年―1984年)
ブログテーマ:『一人旅 幻の旅路より』

*『結納金は猫一匹』』
42歳から44歳までの3年間。
猫と本しか持っていなかった夫との出会いの話。
(1987年2月—1989年12月)
(第1章)から順にお読み下さい。

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