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ハンパ者の日本のためのちょっといいブログ

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第二次世界大戦を今度は政策として評価してみます

よく「国力差が10倍もあるアメリカに対して戦争を挑んだことは愚かな失敗だった」という考え方によって、日本政府の対米参戦が愚かな誤りであったとする言論が後をたたないのですが、それらの言説はいくつかの重要なポイントを致命的に見落としています

そしてそれらの重要なポイントを新たに考慮に入れるなら、日本政府による1941年の対米参戦の決定それ自体は、さほど妥当性を欠いたものとは思えません

まず1つ目の重要なポイントは「パワー・国力」という観点からですが、日本政府がミスを犯したのは、1941年ではなくむしろ、1910年・1918年・1931年・1937年の方ではないのでしょうか?

日本政府が犯した最大のミスは、対米開戦ではなく、朝鮮併合です

あれこそがまさに「日本の悲劇」の始まりだったのです

そして1910年にそのようなミスを犯したことが、「直接的な原因」となって、その後日本は大陸政策でミスを連発します

常識的に考えるなら、1910年以降において日本が朝鮮に対して「フリーハンド」を保っていたら、その後も「満州国の建国」とか「華北分離工作」とか「満蒙は日本の何とか」とか、「対支一撃論」とか…こんなことのために日本が国力をすり減らす必要もなかったハズです

そしたら対米戦ももっと良いコンディションで日本が戦えたハズだというのは言うまでもないことです

戦前の日本の対朝鮮半島政策、対満蒙政策、対中国大陸政策は「日本の国益」という観点からは説明がつかない事柄があまりにも多すぎるし、それらの対外政策の「目的」が不明確すぎます

日本が満州国の建国をやめておけば、アメリカとの戦争は史実よりもいささか遅らせることができたかもしれません

この可能性は非常に重要です

なぜなら1947年の春頃までには、米ソ関係はドイツの戦後処理を巡って「決定的な亀裂」を迎えており、日本の対米戦争が史実よりも数年遅い戦争であったならば、日本は「敗戦という名の実質的な引き分け」に近いような講和条件を獲得できたかもしれません

1946年から1953年までの間、米ソ関係は時間とともにどんどん悪くなってゆきます

1945年の日本の降伏は、降伏するのが早すぎたせいで、このような米ソ関係の悪化を、日本は全く「活用」できなかったのです

これが第二次世界大戦に関する2つ目のポイントです

「時間」ですね
明日は8月15日ですが日本にとっては第二次世界大戦の日ですね!

第二次世界大戦をどう考えるかというのは日本人にとっての一大テーマだと思います

このことは今日から明日にかけて少し考えてみたいテーマではあります

第二次世界大戦をどう評価するかを考えるときに重要なのは、1941年12月以降の戦争に対する妥当性の評価とそれ以前の戦争に対する妥当性の評価は分けて考えるべきだということです

15年戦争史観という見方があるらしいのですが、1931年の満州事変から1945年の敗戦までを全部「一つの戦争」としてくくりあげるのは随分と単純すぎる考え方だと思います

この1931年以降の日本国家による対外政策の「全てが一つの侵略戦争」であるとするいびつな歴史観のせいで、随分と話がややこしくなっているんじゃないかと思います

第二次世界大戦の評価をするなら、まずいったん1941年12月以降の戦争「だけ」に話の範囲をまず絞って「侵略戦争」か「自衛戦争」なのかを評価し、その後に話を広げるべきなのです

そうしないと話がややこしくなります

日中戦争は第二次世界大戦ではないし、満州事変も第二次世界大戦ではないのです

道徳的に善いことか悪いことかという話とは無関係に、事実に対する評価として、日中戦争や満州事変における日本側の侵略性を否定することは残念ながらなかなか難しいことだと思います(だからといって「○○大虐殺」のような幼稚園児レベルのプロパガンダをまともに信じる理由はない)

しかし少なくとも、第二次世界大戦における日本の戦争は、誰がどう見ても自衛のための戦争であり、とても侵略戦争と言えるような代物ではありません

「自称侵略戦争」である太平洋戦争あるいは大東亜戦争は、事実としては、日本国家の「権益」に対して、公然と「野望」を剥き出しにして「挑戦」してきたアメリカに対する、日本側のディフェンシブな反応でした

日本にとって最も許せなかったのは恐らく「権益に対する挑戦そのもの」ではなく、日本の権益に挑戦する際のアメリカ側の「異常に高圧的な態度」だったのではないかと思います

絶対排日移民法やABCD包囲網やハルノートに代表されるように、アメリカ側の日本に対する高圧的で傲慢な侮辱的政策が、当時の日本政府に対米戦を決意させたのでしょう

続く
何で日本政治はいつも不安定なのかが前からすごく気になってたんですが

色々足りない頭で悩んだ結果、①共同体を失ったことと②貴族とか華族とか士族といった「政治のプロ」が日本からいなくなってしまったこと③何でもかんでも「選挙」とか「民意」などの不安定の極みとしか言いようのないイベントに国家の意思決定を委ねてしまうことなどが日本政治の不安定の原因なのではないかと思います

大衆民主主義で「普通選挙」をどうしてもやりたいなら、有権者の7割以上が、政治のエキスパートになるくらい教育に投資することになるんでしょうか

もし普通選挙をやるとするなら、有権者のほとんどを政治のエキスパートに育成した「後で」普通選挙を導入するということになるでしょうし、これが啓蒙思想なのかもしれません

しかし有権者には毎日の労働・家事・育児etc.…があります

なわけで大衆が政治のことを広く深く理解すると言っても「時間的な制約」があって、現実問題そうはいきません

だから貴族や士族や華族が必要とされるのです

民主主義は①有権者がみんな政治をくわしく「理解」し②またそのための「時間的・体力的・精神的な余裕」があり③考えることが苦手な有権者たちも政治をがんばって理解するための「忍耐力」を持っているという、ほとんど有り得ない前提の上に成立する制度だと思います

国が滅ぶ前に民主主義から足を洗った方がいいと思います

とはいえ時間がかかるでしょう

そもそも貴族や華族だった人たちを探して呼び戻さないといけません

こういう貴族と大衆の間のコミュニケーションは「選挙」によるのではなく、「話し合い」とか「議論」とかを中心にした方が良いと思います

「選挙」というのは要するに国家の意思決定者たちを生殺与奪するシステムですから「革命」と同じですよね

選挙よりも、話し合いとかの方がいいと思います

選挙しないかわりにたとえ領民が少し荒っぽいやり方で抗議してきても、少しくらいなら貴族側は多目に見るという感じにしとけば十分じゃないでしょうか

けっこう前にも貴族制復活してほしいみたいなこと書いたと思いますが、その方が長期的に見て絶対安全だと思います

わたしたち頭の悪い一般庶民の「知ったかぶり」によって国家の運命を決めるより、日本人はもっと素直な気持ちで貴族などの「能力ある人たち」の力を借りるべきだと思います

しばらくブログの更新はお休みするかもです