両親のもとに長らく滞在するということで
これまでの数々の転居に伴って彼らの手元に残されて来た
「過去のモノたち」
の整理を行っているのですが、
個人的な手紙や写真といったものはさておき
子ども時代~学生時代における、
(卒業)文集や絵画や書道作品といった類を、
一体どのように片付けるべきなのか検討がつかず、
放置。


それらは
わたしの思い出であると同時に
或いは、それよりも、
親の思い出であることもあり
何だか勝手に捨てることにいささかの抵抗を感じ。



「あなたの荷物、こっちにいる間に片付けて行ってよ」


と言われるわりには、
わたしが潔く捨てようとすると

「それは取っておいたらいいわよ」

という母。


わたしたちは
生まれた瞬間から、それぞれの命と自我を持って生きているとしても
とりわけ子ども時代は、
実際には、同時に親の所有物でもある、という事実を
作業を通じて感じたりする出来事であります。


皆さんは、いつどのようなタイミングで
それらを処分しているんでしょうか…


それでも、
転勤族&実家が無い(家族で暮らした所有物件がない)身の上としては
これまでの数々の移動の中で、割と多くのものを処分して来たような気もするけれど、
残っているものたちもあり、
この先、これらのモノが一体どうなるのか
わたしが暮らすような小さなアパートに全部持ち歩くこともできないけれど
となれば
親の手元に、
この先、これからどのくらい置かれるものなのか。


自分の生きた道のりが
親の親であった証が
一体誰のために、いつまで形あるものとして残されるものなのか。


これまで歩んで来た時間と
これから歩む時間とに
生まれて育ち、育てられ老いて行くこと
そして
いつかは死に行くことに、
思いを馳せることが多いこのごろです。
パフォーマンス 

は、
日本語の文脈では、特に政治的文脈においては、
「演技」とか
どちらかというと、
表面的なサービス、
「本質的ではないところの(或いは、本質+αの)見せる(魅せる)ための立ち居振る舞い」
若干ネガティブに使われることが多いかと思います。


でもビジネスやサイエンスの場でも使われるように
パフォーマンスには
「実績」とか「能力」とか、
そういう意味もあって、
つまり、
「演技(的なこと)」と、「実績」「能力」は
表裏一体である、とも考えることができる。



どちらが真でどちらが偽
ということは
「見る側」
の知覚上、
はっきりと定めることはできない。


というよりも
どちらも真であるといった方が正しいのかもしれない。



そういう意味で

昨日の、日中首脳会談の、菅さん…


「会談の場を持った」(そして「尖閣諸島が日本の固有の領土であるということを伝えた)
という事実を除けば、
パフォーマンス(実績)はゼロだったのではないかと思えるような
パフォーマンス(立ち居振る舞い)だったと言わざるを得ないというか。


何で、原稿読まないと伝えられないのか
何で、胡主席の目を見て話すことができないのか


あまりに下ばっかり向いて原稿見ながら話しているから
最初、本人たちの音声無しのニュースを見た時には
自分で英語で(或いは中国語で)会話しているから
メモが必要なのかなと思ったくらいです。

後々、他のニュースで見たら、ちゃんと(?)日本語で発話しているじゃないですか。

言語的な問題でないとしたら、内容的な問題?

自分の意志(日本の意志)すら、整理できていないということでしょうか。
覚えている、いない、の話ではないと思うのだけれど。
暗記するものでも、演説でもなければ、それは、ポリシーなのだから。



明らかに
胡主席の方が、立派に、堂々と、して見えました。



この、パフォーマンス(立ち居振る舞い)が報道された場合、
人々の目に映るのは、
堂々とした中国と
そうでない日本、という構図、

もしかすると
真実を述べる中国と
真実を述べていない日本、という構図に映るかもしれない。


となれば
結果、そのパフォーマンス(実績)は、誰の手にあるのか?



菅さんだ菅さんじゃないとか
民主党だ自民党だとか
わたしは極論すれば、
政治パフォーマンスの分かる人、実行できる人に
トップに立って欲しいと思うわけです。



本来ならば
政治を行う人がすべて
身につけているべきものとも思うけれど…


見方を変えれば、どの政治家も
ポリシーなき政治を行っているということなのかもしれない。



…パフォーマンスには「実行」っていう意味もあったな…



尖閣諸島の問題や、G20やAPECや、
「菅首相(日本)が存在感を示せるか否か」
がマスコミで取り上げられているけれど、
存在感の前に
ポリシーが見えなければ
パフォーマンスは完結しないということを
指摘していないと思う。


パフォーマンスをネガティブに捉えながら
本質(パフォーマンス=実績、実行)を取り上げずに、
存在感(パフォーマンス=立ち居振る舞い)にフォーカスする報道。



だから
ニュースを読んでも
この国がどの方向に進んでいるのか
政治(政治家や官僚たち)が一体どの方向に舵を切っているのか
citizenには、まったく見えて来ない。



という
日本の政治とコミュニケーションを取り巻く環境に
改めての不満を感じた事件。
生まれて初めての青森暮らし…

およそ数ヶ月の滞在ではありますが
せっかくだからアンテナ張って
感じられるものを感じておきたいと思うのであります。


早速

電話の向こうの人に

「あれ 何だか既に言葉が違うよ」

と言われる。



ええ、環境適応能力にだけは自信がありますシラー



日々
東京と異なるアクセントで喋る人たちに囲まれていると
何だか「うつる」んです~。



言葉。



青森の言葉、と一口に言っても、
やはり、
地域によって、
アクセントのみならず、単語なども異なるようで、
その違いはわたしにはよく分からなかったりするので、
何だかごちゃまぜに吸収し始めているような感覚がありますが…。
(神戸に住んでいるときも、「関西弁」と一口に言ってもねぇ、
と分かりつつ、
やっぱり、兵庫とか、その中での違いとか、わかるはずもなく、
さらには、大阪や京都、奈良、等々、似ているようで全然違うらしい、
そういうのって、
”正確には”「育った」人にしか、体得できないかなって思います。。。)



例えば
津軽弁はフランス語の響きに似ているとか、似ていないとか。



恐らく

津軽弁よりもフランス語の方がきっと得意なわたしとしては(!?)

これは興味を持たざるをえない。



ということで

早速、PassoのCMを練習してみる。


最近ヘビーローテーションされているコマーシャルなので
接触率は高いと思うけれど、いかがでしょう?


りいさちゃん「おー、わのかでぱんしけるめになべさフォンデュせば、うだでぐめ­よん。」
(わたしの固いパン<フランスパンのこと>湿気る前に鍋でフォンデュすれば、
 とっても美味しいよ♪)

大島さん「せばだばやってみら。」
(それなら、やってみるわ~)



…フランス語風にやれば、かなりイケル。
(「R」のように発音できない音がないので、よっぽど楽である。
  って、当たり前か、日本語だし…)


…チチとハハに受ける。



親孝行だなぁ、わたし目(?)



わたしが現在転がり込んでいるこのエリアでは、津軽弁ではなく、
南部弁という言葉が喋られているのだそうですが、
たまに
お年寄りの会話とか、
話に本当についていけないときがあります。。。


単語のレベルで謎が多いわけだな。


そういうときはいちいち、
チチやハハに確認をする。


今更
言葉覚えの子どものような感覚ですが、
自分で喋っていて、
あ、なんかアクセントが、「風」だなって感じる瞬間は、
なかなか面白いので、
しばらく染まってみようと思います。


うふふ


青森っ子体験中。


せばだばやってみら~パー