パフォーマンス
は、
日本語の文脈では、特に政治的文脈においては、
「演技」とか
どちらかというと、
表面的なサービス、
「本質的ではないところの(或いは、本質+αの)見せる(魅せる)ための立ち居振る舞い」
若干ネガティブに使われることが多いかと思います。
でもビジネスやサイエンスの場でも使われるように
パフォーマンスには
「実績」とか「能力」とか、
そういう意味もあって、
つまり、
「演技(的なこと)」と、「実績」「能力」は
表裏一体である、とも考えることができる。
どちらが真でどちらが偽
ということは
「見る側」
の知覚上、
はっきりと定めることはできない。
というよりも
どちらも真であるといった方が正しいのかもしれない。
そういう意味で
昨日の、日中首脳会談の、菅さん…
「会談の場を持った」(そして「尖閣諸島が日本の固有の領土であるということを伝えた)
という事実を除けば、
パフォーマンス(実績)はゼロだったのではないかと思えるような
パフォーマンス(立ち居振る舞い)だったと言わざるを得ないというか。
何で、原稿読まないと伝えられないのか
何で、胡主席の目を見て話すことができないのか
あまりに下ばっかり向いて原稿見ながら話しているから
最初、本人たちの音声無しのニュースを見た時には
自分で英語で(或いは中国語で)会話しているから
メモが必要なのかなと思ったくらいです。
後々、他のニュースで見たら、ちゃんと(?)日本語で発話しているじゃないですか。
言語的な問題でないとしたら、内容的な問題?
自分の意志(日本の意志)すら、整理できていないということでしょうか。
覚えている、いない、の話ではないと思うのだけれど。
暗記するものでも、演説でもなければ、それは、ポリシーなのだから。
明らかに
胡主席の方が、立派に、堂々と、して見えました。
この、パフォーマンス(立ち居振る舞い)が報道された場合、
人々の目に映るのは、
堂々とした中国と
そうでない日本、という構図、
もしかすると
真実を述べる中国と
真実を述べていない日本、という構図に映るかもしれない。
となれば
結果、そのパフォーマンス(実績)は、誰の手にあるのか?
菅さんだ菅さんじゃないとか
民主党だ自民党だとか
わたしは極論すれば、
政治パフォーマンスの分かる人、実行できる人に
トップに立って欲しいと思うわけです。
本来ならば
政治を行う人がすべて
身につけているべきものとも思うけれど…
見方を変えれば、どの政治家も
ポリシーなき政治を行っているということなのかもしれない。
…パフォーマンスには「実行」っていう意味もあったな…
尖閣諸島の問題や、G20やAPECや、
「菅首相(日本)が存在感を示せるか否か」
がマスコミで取り上げられているけれど、
存在感の前に
ポリシーが見えなければ
パフォーマンスは完結しないということを
指摘していないと思う。
パフォーマンスをネガティブに捉えながら
本質(パフォーマンス=実績、実行)を取り上げずに、
存在感(パフォーマンス=立ち居振る舞い)にフォーカスする報道。
だから
ニュースを読んでも
この国がどの方向に進んでいるのか
政治(政治家や官僚たち)が一体どの方向に舵を切っているのか
citizenには、まったく見えて来ない。
という
日本の政治とコミュニケーションを取り巻く環境に
改めての不満を感じた事件。
は、
日本語の文脈では、特に政治的文脈においては、
「演技」とか
どちらかというと、
表面的なサービス、
「本質的ではないところの(或いは、本質+αの)見せる(魅せる)ための立ち居振る舞い」
若干ネガティブに使われることが多いかと思います。
でもビジネスやサイエンスの場でも使われるように
パフォーマンスには
「実績」とか「能力」とか、
そういう意味もあって、
つまり、
「演技(的なこと)」と、「実績」「能力」は
表裏一体である、とも考えることができる。
どちらが真でどちらが偽
ということは
「見る側」
の知覚上、
はっきりと定めることはできない。
というよりも
どちらも真であるといった方が正しいのかもしれない。
そういう意味で
昨日の、日中首脳会談の、菅さん…
「会談の場を持った」(そして「尖閣諸島が日本の固有の領土であるということを伝えた)
という事実を除けば、
パフォーマンス(実績)はゼロだったのではないかと思えるような
パフォーマンス(立ち居振る舞い)だったと言わざるを得ないというか。
何で、原稿読まないと伝えられないのか
何で、胡主席の目を見て話すことができないのか
あまりに下ばっかり向いて原稿見ながら話しているから
最初、本人たちの音声無しのニュースを見た時には
自分で英語で(或いは中国語で)会話しているから
メモが必要なのかなと思ったくらいです。
後々、他のニュースで見たら、ちゃんと(?)日本語で発話しているじゃないですか。
言語的な問題でないとしたら、内容的な問題?
自分の意志(日本の意志)すら、整理できていないということでしょうか。
覚えている、いない、の話ではないと思うのだけれど。
暗記するものでも、演説でもなければ、それは、ポリシーなのだから。
明らかに
胡主席の方が、立派に、堂々と、して見えました。
この、パフォーマンス(立ち居振る舞い)が報道された場合、
人々の目に映るのは、
堂々とした中国と
そうでない日本、という構図、
もしかすると
真実を述べる中国と
真実を述べていない日本、という構図に映るかもしれない。
となれば
結果、そのパフォーマンス(実績)は、誰の手にあるのか?
菅さんだ菅さんじゃないとか
民主党だ自民党だとか
わたしは極論すれば、
政治パフォーマンスの分かる人、実行できる人に
トップに立って欲しいと思うわけです。
本来ならば
政治を行う人がすべて
身につけているべきものとも思うけれど…
見方を変えれば、どの政治家も
ポリシーなき政治を行っているということなのかもしれない。
…パフォーマンスには「実行」っていう意味もあったな…
尖閣諸島の問題や、G20やAPECや、
「菅首相(日本)が存在感を示せるか否か」
がマスコミで取り上げられているけれど、
存在感の前に
ポリシーが見えなければ
パフォーマンスは完結しないということを
指摘していないと思う。
パフォーマンスをネガティブに捉えながら
本質(パフォーマンス=実績、実行)を取り上げずに、
存在感(パフォーマンス=立ち居振る舞い)にフォーカスする報道。
だから
ニュースを読んでも
この国がどの方向に進んでいるのか
政治(政治家や官僚たち)が一体どの方向に舵を切っているのか
citizenには、まったく見えて来ない。
という
日本の政治とコミュニケーションを取り巻く環境に
改めての不満を感じた事件。