「家事手伝い」
っていえば、
いわゆるギャル系お嬢様雑誌なんかで見かける、
読者モデルや街中スナップのプロファイル。


一体日々何をして暮らしているのだろう…


と思いを馳せることもなきにしもあらずだったり、


先日結婚した知人の奥さまがまさにそうで、
お料理教室や祖父母との触れ合いや、
ということが披露宴で紹介されると、


ふむふむ、そういうことね…


と思ってみたり。



っていうか今、わたし、意外にも「家事手伝い」じゃん?



いや、まさに家事手伝い…


そしてそのアイデンティティに苦しむこと早1か月になろうとしています。


そしてそのアイデンティティに慣れること早1か月ともいえるわけです。


ママのお食事準備のお手伝い、
荷物の整理に掃除、
創作料理にチャレンジ、
わんこのお散歩やう◯ぴの始末やシャンプーや、
おばあちゃんとスポーツクラブ通い、
パパとのゴルフ打ちっ放し、
少々の語学勉強、
ピアノの練習、
ママに教えてもらう編み物と着付け、
古書を漁る、
お墓参り、
ご近所の集まりに参加、
スーパーやショッピングモールに出掛ける、
家族や地域の昔の話を聞く、
などなど…



何もしてないような…



自分の時間が「金銭的対価」とか「対人/対社会評価」とかで決められることに
慣れていると、
「家事手伝い」というのは、
それとは真逆にあるような、
(嫁姑問題とかご近所の評判とか、「対人」に関してはそうとは言い切れない部分ありますけどえっ
というか
そのために、
何もしていないように感じるような。


贅沢なような
虚しいような


しかし虚しいと思うこと自体が
貧しいような


複雑な気持ちを抱える30歳「突然変異系」家事手伝い女子。


しかしその一方で、
雨が降っているのか晴れているのかもわからないくらい
一日中オフィスに居た(或いは、図書館や部屋に籠って居た)頃には
見ることのなかった、感じることのできなかった
「人びとの生活」
が垣間みられるのも事実で
例えばそれは、
これまで、「トレンドを知るための勉強会」なんかで勉強する類いものだったりしたわけで
(ファミリー層は、週末や20日/30日に「イオンのショッピングモールに行くことが、
 家族的一大イベント、”楽しみ”である、とか、
 わんちゃんやねこちゃんを取り巻く消費の実情やコミュニケーションのあり方や、
 シニア層/主婦たちの消費行動、口コミの実態やらコミュニティ活動やら…)



多分、東京や大阪や
そういうところのおっきなビルで、
ああでもないこうでもないといって
企てられていることが

片田舎の井戸端や書店や会館や役所やテレビやスーパーや商店街や学校や
そういうところで
どのように「消費」されているのかということ。


その両方がリアルに想像できるようになって来たりもするわけで。



誰かがどんな思いを持っていようが
人は
何かこうやって
生きているんだなっていう
流れの一部始終を観察しているような。


或いは、
日本の現状を
センターポジションでないところから眺める視点。



結局どこまでいっても
自分は旅人なので
この「家事手伝い」も長くは続かない仮の姿であるとすれば、


何もしていないと焦る一方
何かをしていると焦らない気持ちもあったりなかったり。



言ってしまえば
また別のスパイ活動を繰り広げている
いわゆる「家事手伝い」の日々。

「失言」とは

「言ってはいけないことを 不注意で言ってしまうこと」

なのだそうです(広辞苑)。


日本の政治家やセレブリティが「失言」により失脚することは度々ありますが
常日頃思うのは、

そもそもそれが失言なのか?

ということ。

つまり、
「言ってはいけないこと」
という認識があるのか。


「言ってはいけないこと」と分かっていてつい言ってしまったのならば、失言。
(実際には、心の中や裏や陰でそう思っているっていうことでしょうね。
 しかし、自分の立場などを考えて差し控えるべき、という認識は持っている。)

常識的には「言ってはいけないこと」かもしれないけれど、敢えて言ったのであれば、
それはポリシーにもつながるわけで、失言、と処理してしまうのは、
本人にとっても、受け手にとっても、フェアではない。


そして
上記のいずれでもなく、しかし、昨今の「失言」問題に多く当てはまると思われるのが、
「言ってはいけないこと」かどうかすら、考えていない状態で発話されたもの。


世の中のこと 国民・市民のこと 
歴史 背景 環境

そういったことに思いを馳せる能力も努力も欠如し

自分の独断 自分のナチュラルな考えが
どこでも通用するかのように信じ込み
「言ってしまう」こと。


自分の立場 社会的役割 責任・責務
そういったものを無視した 天真爛漫な振る舞いの結果としての、発言。


これが、実際の政治家たちの「失言問題」で一番多いのじゃないでしょうか。


分かってて言ってるんじゃない
分かってない
何も考えてない
自然に発話している、それこそ彼らの「脳みそ」であり
政治家としてのスタンス。


それって「失言」じゃなくて
もはや政治家としての「失格」なんじゃないのか。


って
思うのですけど、どうでしょうか。


分かっててやっちゃったのなら救いようもあるけれど、
分かってない人には
どこから叩き直さなきゃならないかは 気が遠くなるお話(皆さんいいお歳です)。


分かってない
環境が見えてない
立場が見えてない
責務が見えてない
それって
政治家として 一体 わたしたちの何のお役に立っていただけるのか?
わたしたちが彼らの何をサポートすればいいのか?

そんな人たちが この国を運営しているって?

政治家(リーダー)の資格がないのなら、
この舟の行く先がますますと見えなくなる前に、
とっとと替わっていただきたいのだけれど。

栗を食べた。

栗を食べながら想った。



形がよくっても 中身の善し悪しは 割ってみないと分からない。


丸くてほっこりした形は 中身もほくほくしているように思われるが

割ってみると、固いときも。

割ってみると、虫食い。

人間でいうところの、隠れ肥満的な?
お化粧やファッションや補正なんちゃらやかんちゃらや
或いは努力によってキープしている外形。

体の中を覗いてみたら… 
脂肪や血液やなんちゃらかんちゃら
見えないところにある何か。

或いはどろどろのココロ。


虫食いの栗は、苦い。


きっと元来は甘かった。

甘かった栗は、虫に食われて、苦くなったのか。

いつ どのくらい食われて 苦くなったのか。
いつから、頑になったのか。


人間でいうところの、何か。
甘く柔らかかった彼や彼女が、虫に食われていくとしたら。


栗に深みを感じながら
秋の深まりを感じる
これも風情かしらねぇ…

(いや、ただの食べ過ぎ得意げ