誰かと、打ち解けられる瞬間というのは、ほろほろとする。

安心するし、誇りにも思う。

わたしはこの点で、おとなになるにつれて、「改善」された気がする。

打ち解けるというのは、わたしにとって、高度な技だったわけで、
少なからず、「打ち解けられてるなぁ」と感じられる瞬間は、
自分が、この世の中に、それとなく組み込まれている実感を得ることができる瞬間であり、
ちょっと、安心する。
で、誇りに思う。

「ひとりでいい。ひとりじゃなくてもいい。」

とは、またもキューピーの広告ですが。

強がりとか、依存とか、変わってるとか、変わってないとかじゃ、
そういうんじゃなくて、
いつもいつも、なれ合いでいるわけではないという、
緊張感と、打ち解ける感じとのバランスは、
塩味に甘味を組み合わせたような、
生活していく中において、くせになる、刺激物だと、思う。
よく、
線路内にひとが入った、という理由で、電車が遅延しますが。

いい迷惑です…
こっちは急いでいるんです。

早く会社に行かなきゃいけなくて、
早く空港に行かなきゃで、
早く荷物を置きたくて、
早く帰りたくて、
早く誰かに会いたくて、早くご飯が食べたくて。

と。

関係ないひとの生と、
わたしの生が、
時差ありで交錯する。

温度も
湿度も
きっとこんなにも違っている。

知らないその生に、
自身を重ねてみようか。

はっとする。

でも、
悪いけど、
わたしは今、すごく一瞬が大切だ。

今、「生きてる」モードなのだ。

いい迷惑とか、言っちゃってなんか悪いけど、
でも、
つまりこの社会は、
わたしだけのものじゃないし、
あなただけのものじゃ、ない。

いろんなひとが、
生きてるんでしょう、
それなりに、必死に。

或いはぼちぼち。

そういう風に、
感じてみたら、どうだろう?
今日は会社で来客があったので、
かちっとワンピース&ジャケットでお出かけしたらば、
「いつもと違う」
とか、いろんな人に言われた挙げ句、
「おとなしい」
とか、いわれちゃった挙げ句、
「なんで清楚にしちゃってるの?」
とまで、いわれる始末。

わたし…
そんなに普段、ヒドいですか?

イエスかノーかでいえば、どっちかっていう普段から清楚だと…思うんですけど…

思ってたんですけど…。

「清楚」とは、広辞苑によれば、
「清らかでさっぱりしたさま  飾り気のないさま」
ということらしい。

つまり、
わたしは普段、
汚いってこと?
もっつぁりしてるってこと?
派手ってこと?

もしも、派手、ということであれば、
ここ関西にてそのように評されることを、わたしは敢えて光栄に思おうではないか。
ふむ。

でも、
もしも前者の方であったらば…。

これ、女子として、どうなんでしょうね?

さて、明日の服選びが一人勝手にスリリングになりそうな予感。

辞書ひくとき、思わず間違えて、
「凄楚」かと思っちゃったわよ。。。
こちらは、
「いたましく思うこと」
らしい。

もしやこっちの意味ですかっ!
会話だと漢字変換見えないですから!

日常も、洋服ひとつで、これまたスリリングです。