今週は、グローバルコールが2回もあったため、
完全に夜、頭を働かさなくてはならず、
体の電源が、落ちない。
疲れているのに、回っている、そんな感じ。

例えば、
熱っぽくなったPCの電源が、なかなか落ちないときみたいに。

さて、
そんなデータぐるぐるの脳みそで、ふらふら家に帰り着いたとき、
ふと隣の家に目をやると、

いや、正確にいうと、

隣の家から視線を感じたので、ふと振り返ると、

真っ白な、真っ白な、
きれいな、きれいな猫ちゃんが、
じっと座って、
小窓の縁から、
こちらを見ているのでした。

あら、猫ちゃん。

こんばんは。

わたしの何を見てるのかしら?

肌荒れには、あんまり目をやらないでね。

表情が暗い? 仕方がないわ、人との折衝に、疲れちゃったの。
歩き方が重い? これまた仕方がないわ、鞄が重いの。

ああでもきっと、
お仕事も楽しいんでしょうね。

楽しいよ、ときどき。

大嫌いな人もいるけど、大好きな人もいるし。
昨日できなかったことが、今日できるようになっているのがわかるし。

でも、こんなところに、こんなにきれいな猫ちゃんがいるの、知らなかったわ。

知らなかったでしょ、いつも下見て、歩いているもの。

視線をくれて、ありがとう。

何だか一つ、発見をした気分。
小さな隣人、かわいい隣人。
人は、
悲しみにも、喜びにも、怒りにも、感動にも、
震えます。

わたしは、
意見を手のひらを返したように変えて、
平気でいる人のことを、
軽蔑するタイプの人間です。

そして、
そういう現場に際しては、
怒りを、失望を、
もって、
震えます。
昨日、お友達が家に遊びに来て、
わたしたちのこれからについて話していたとき、

「心のわだかまり」

つまり

「やりたいと思っているのにできていないこと」

は、
どんなに蓋をしたって、
理由をつけて正当化しようとしたって、
溢れ出てくる、ということに、
気づいてしまったことを、
共有した。

彼女のことばを借りるならば、

「逃げたって逃げたって、すぐ後ろにやつは追いかけてくる」

ということである。

隠れても、見つけられてしまうし。
隠れられても、何となく見つけてしまうし。

9月の連休に、比叡山に行って、
そこのお坊さんに、

「自分ではわかってるんでしょ」

って、あっさり言われたとき。

こんなにもことは単純で、
これは単なる鬼ごっこのようなものなのだから、
正面切って勝負しないと、
いつまでたっても、
17時のサイレンが鳴っても、
おいしいご飯にも、
あったかい家族にも、
ありつけないのである。

…と、例えが飛躍した気もするけれど、
そろそろ、
腕まくりして、

「やつ」

と向き合うときなのかもしれない。