〇〇だから〇〇しなければいけない感 | ろ~るのヒトリゴト

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久々の暖かい雨からようやく「秋」らしい気候になってきた。

 

中途半端に燃ゆる木々も一層鮮やかになってくるだろうか。

 

 

先週、近所のお寺に秋の色を探しに行ったが

 

思いの外、中途半端な感じで

 

「まだ早かったのかなぁ。。。」と残念な気分でその場をあとにした。

 

今年の初秋はずっと快晴が続いていたので

 

「行楽」としては申し分なかったのだが、「秋の景色」としては少し物足りない印象。

 

今週が絶好の「もゆ日和」となるか否か。。。。

 

。。。。てか、ミュージシャンと謳っている野郎が何を呑気に秋を楽しんでやがんだと

 

カワセミばっか追いかけてんだと

 

もう一人の自分がクレームを投げかける。

 

そんな時間あるなら曲の一つでも作れよ

 

歌やギターの練習でもしろよ。

 

 

ミュージシャンなんだから。

 

もう一人の自分のように、こんな風に思っている人も少なくないのかな。。。

 

もちろんド正論過ぎて言い返す余地もない。

 

例えに自分の話をしたが、これがどんな立場だって

 

それに近い「強要義務感」みたいなのがある。

 

昔からの習わしだったりで一般的に思われること。

 

それが自分にも一般論としてインプットされているので、自発的に思ったり。。。

 

接客業で働いてた際も、明らかにお客に非があるのに

 

とりあえず謝るみたいな謎の習わし。

 

男の子でおままごとしてたら冷ややかな視線を浴びるあの風潮。

 

 

ひと昔に比べたら、はるかに多様な見方をしてくれるようになってはいるが

 

堅く偏った思い(希望)というのは続いていくのだろう。

 

 

その型のなか不自由なく出来ている分には問題ない

 

「そういうものだ」と腹をくくっている人もいる。

 

しかし、どうしてもその型が窮屈に感じてしまう人も沢山いるだろう。

 

そこから外れたとき、自分自身はもちろん外部からも疑いの声がかかる。

 

この瞬間が辛いです。

 

自分自身に、そして周りに嘘をついたような感覚です。

 

 

単にその型より自分の思い(希望)が大きかっただけのことなのに

 

罪悪感が走るんですよね。

 

 

多くの人が組織社会のなかで生きているので、こういった

 

「枠からはみだすこと」に制限があったり、禁忌なことであったりするだろうが

 

こういうのが個人的には嫌なんですよね。

 

「〇〇という立場だから〇〇しなければいけない、した方が良い」という

 

謎の習わしは自身で取っ払っていきたいですね。

 

 

自由な立場だからこそ、どんどんはみ出していけたらなと思う。

 

「Let it be」

 

これが我が人生のテーマなのかもしれない。