以前、某タレントさんの言葉に感銘を受けたのだが
昨今の世の中は色んなものが「聞こえ過ぎる」んですよね。
その方は例として「音楽」を挙げていたが
今ではCDの音質を超える「ハイレゾ音源」なんてものがある。
カセットテープやLPからCDへ変わった時に感じた、劇的な音質の向上は
以前では収めきれなかった音の情報が聴こえるようになったからだ。
そのCDからさらに情報量を増やした音源が今では存在するわけだ。
しかしながら、かつてのCDのような普及には至っていないとの事。
確かに、MP3のような「CDの情報量を半分ぐらいにしたような音源」でも
日常的に楽しむものとして充分に快適である。
むしろ、何もかもが鮮明に聞こえてしまっては「本当に伝えたい何かに」行きつかず
注意力が散漫し、すぐ聴くことに疲れてしまいそうだ。
それと同じようなことが世の中にも起こっている。
ネット、SNSの普及により、聞こえてこなかった情報が耳に目に届いてしまうこと。
個人的な考え、感情もSNSの海へこぼせば一瞬にして世界へ拡がっていく。
要不要、真偽関係なしにそれが意図せずこちらの目の前に現れる。
必要な情報ならまだしも、要らない情報までキャッチしてしまうわけだ。
それを繰り返す度にこちらの精神が疲れてしまう。
そんな情報の海に溺れそうになり、本当にキャッチしたい「助け舟」のようなものを見逃してしまう。
もちろん、「便利が故の罠」というべきことなのだが。。。
MP3やカセットテープでも十分に音楽が楽しめたように
特に不要なものはカット出来るような、某タレント曰く「鈍感力」というものが
これからの社会においては必須になってくるのではないだろうか。
・・・・とはいえ、私も「音楽制作者」というポジションにも身を置いているので
自身の手掛ける作品においては、全身全霊で高音質を目指している。
しかし、この話を受け入れて「リスナーにとって良い音質とは何ぞ」という原点に帰り
これからの制作において、素晴らしい参考になったように手ごたえを感じた。
今日はこの辺で。
がっつり「水ブロ」でした。
では数時間後にまた。