9月12日 できごと その2 | スズメの北摂三島情報局

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2011/08/02 リニューアル
2019/07/14 アメブロ移動
柴犬ハルがお伝えします

1920年 - 北海道南西部にある後志支庁沖で、戦闘訓練中であった日本海軍の金剛型巡洋戦艦の3番艦、巡洋戦艦『榛名』の1番砲塔内で、榴弾(砲弾の種類で、内部に火薬が詰められ炸裂を起こすもの)破裂事故が発生。この事故で『榛名』は艦体全域に亘る損傷を負い、15名の死傷者を出す。『榛名』を含む金剛型は当初、「装甲巡洋艦」として計画されたため、一等巡洋艦の命名慣例に従って、艦名が、群馬県にある上毛三山の1つ、榛名山に由来する『榛名』は、1911年4月、神戸川崎造船所(輸送機器や機械装置等の大手メーカー、川崎重工業の前身)に発注される。それまで海外発注か海軍工廠でしか建造されることのなかった、いわゆる主力艦としては、初めて民間造船所に建造発注された艦である。榴弾破裂事故の後、『榛名』には第一次近代化改装が施され、1931年6月1日付で、姉妹艦3隻と共に巡洋戦艦から戦艦に艦種変更されている。1933年9月、海軍軍縮条約失効を睨んで、二度目の大規模近代化改装が施されることとなり、約丸1年をかけたこの第二次近代化改装では、動力部の刷新と船体・上部構造物の近代化改装が行なわれ、出力を新造時の倍としたことで、速力も30ノットを超える高速戦艦(公式類別は飽くまで「戦艦」であるが、これ以降の金剛級戦艦は、一般にこう称される)として生まれ変る。近代化改装が最も早かった『榛名』では、砲戦距離延長に伴なって、高くなった後部艦橋を後部煙突と隣接させているが、その排熱の影響が大きかったことから、後に改装された金剛型戦艦4番艦『霧島』等では、後部艦橋を後方に傾斜させて排熱を避ける工夫を施しており、この点が、『榛名』と姉妹艦を見分ける際の大きな特徴の1つとなっている。『榛名』は、第二次世界大戦対米英戦開戦時、既に艦齢26年の老朽艦であるにも拘らず、最前線にあって主要海戦の多くに参加しており、しばしば損害を受けている。その姿は、開戦直前に完成して、最前線での主要海戦でも殆ど損害を負うことがなく、「幸運の空母」とも称される翔鶴型航空母艦(空母)『瑞鶴』と対照的であるが、この2艦は、陽炎型駆逐艦『雪風』等と共に、「日本海軍の武勲艦」と評されることが多い。また、日本戦艦で最も多くの海戦を生き延び、その終末を解体という形で迎えたことから、諸書には「戦艦『榛名』は戦後復興のための資材となった」旨の記述が多く見られる。1945年に入ると、敗戦続く日本では、艦船を運用する燃料にも事欠く状態となり、レイテ沖海戦を生き延びた『榛名』も、修理を受けた広島県呉で停泊するのみとなる。1945年4月になって予備艦籍に入ると、マリアナ沖海戦後の改修で大幅に増設された対空火器や、副砲の大半、及び対空指揮装置等を陸上防衛に転用のため撤去されてしまい、防空砲台となるべく、呉の対岸にある江田島の小用港に転錨し、結果としてそこが最期の地となる。7月24日と7月28日の呉軍港空襲により、アメリカ海軍の航空母艦(空母)を主力とする第38任務部隊(機動部隊)の艦載機による大規模な攻撃を受け、2番砲塔の砲側照準による三式弾(日本海軍が主に、戦艦や巡洋艦用に開発した対空砲弾で、ガダルカナル島[南太平洋上、ニューギニア島の東に位置するソロモン諸島で最大の島]のアメリカ軍飛行場であるヘンダーソン基地への夜間艦砲射撃を行なった際には、『榛名』はこの三式弾を使用した砲撃を続け、滑走路、及び航空機に対して大きな損害を与えている)射撃等によって激しく抵抗を行なったものの、20発以上の命中弾を受けて大破浸水、着底する。現在、広島県江田島市には、『榛名』と共に小用港(広島県江田島市にある港湾)で戦い戦没した一等巡洋艦『出雲』と合同の戦没者留魂碑が、小用港を望む丘の上に建てられている。なお、1904年から翌1905年に、日本とロシア帝国との間で、朝鮮半島とロシア帝国主権下の満洲(現在の中国北東部に所在)南部と、日本海を主戦場として発生した戦争、日露戦争で活躍した一等巡洋艦『出雲』は、1921年9月から、旧式化により一等巡洋艦から海防艦に類別変更されるが、その後も支那方面艦隊旗艦等として最前線で活動し、1943年には練習艦となり、瀬戸内海で運用される。呉軍港空襲により転覆・沈没したが、戦没するまで45年間現役にあった長寿艦となっている。 
1929年 - 武蔵高等工科学校(後の工学系私立大学、武蔵工業大学、現在の私立総合大学、東京都市大学)が開校。 
1933年 - ハンガリー生まれのアメリカのユダヤ系物理学者・分子生物学者のレオ・シラードが、交差点で信号待ちをしている時に、核分裂の連鎖反応(中性子が衝突して原子核が核分裂を起した時、放出された中性子が別の原子核に衝突して核分裂が再び起こり、次々と核分裂が連続して起きる反応)のアイディアを思い付く。 
1938年 - ズデーテン危機: 国家社会主義ドイツ労働者党(ナチス党)大会の席上で、ドイツ国指導者兼首相(総統)アドルフ・ヒトラーが、ズデーテン地方(現在は中央ヨーロッパに位置するチェコ共和国の一部)のドイツ系住民に民族自決権を認めるよう要求する。 
1940年 - フランス西南部にあるラスコー洞窟で、洞窟壁画が発見される。この洞窟壁画は、オーリニャック文化(フランスの旧石器時代[約3万年前 - 約1万年前]後期に属する文化の1つ)の美術作品である。洞窟の側面と天井面(つまり洞窟の上半部一帯)には、数百の馬・山羊・羊・野牛・鹿・かもしか・人間・幾何学模様の彩画、刻線画、顔料を吹付けて刻印した人間の手形等が約500点も確認されている。無数の壁画がある内の1つ、黒い牛の絵の角には、遠近法が用いられている。手前の角が長く描かれ、奥の角は手前の角より短く描かれている。その他の人や動物にも、遠近法が用いられている。 
1942年 - 第二次世界大戦: イタリア人捕虜を乗せたイギリスの元客船で兵員輸送船の『ラコニア』が、ドイツの潜水艦『U-156』の攻撃により沈没する。 
1943年 - 第二次世界大戦: グラン・サッソ襲撃。バドリオ政権(ベニート・ムッソリーニ失脚によって成立した、陸軍軍人・政治家のピエトロ・バドリオによるイタリアの政権)によって幽閉されていたベニート・ムッソリーニが、ナチス・ドイツ(国家社会主義ドイツ労働者党[ナチ党]政権下のドイツ国)に救出される。
1945年 - 第二次世界大戦: 日本軍第7方面軍司令官板垣征四郎陸軍大将が、マレー半島南端にあるシンガポールでイギリス軍に対する降伏文書に調印。
1952年 - アメリカ合衆国東部、ウェストヴァージニア州フラットウッズで、宇宙人、若しくは未確認生物の「フラットウッズ・モンスター」が目撃される。「フラットウッズ・モンスター」は、高さ10フィートから12フィート(約3mから約3.66m)という驚くべき高さの生物とされ、日本では「3mの宇宙人」の名で知られる。アニメやゲーム等の世界において、1970年代のUFOブームの洗礼を受けた世代のクリエイター達は、この「3mの宇宙人」を元にしたキャラクターを、様々な作品に登場させている。 
1958年 - アメリカの電子工学者、ジャック・キルビーが、集積回路(IC)のデモンストレーションを行なう。集積回路は、特定の複雑な機能を果たすために、多数の素子を1つに纏めた電子部品である。主に、半導体で構成された電子回路が、複数の端子を持つ小型パッケージに封入されている。 
1959年 - ソビエト連邦の無人月探査機「ルナ2号」が打上げられる。「ルナ2号」は9月14日、史上初めて月の表面に到達する。 
1959年 - 指揮者の小澤征爾が、フランス東部にあるブザンソンで行なわれたブザンソン国際指揮者コンクール(数ある指揮者コンクールの中でも長い伝統を誇り、国際的にも名高い指揮者コンクールの1つ)で優勝。