9月1日 記念日 その3 | スズメの北摂三島情報局

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2011/08/02 リニューアル
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柴犬ハルがお伝えします

宝塚歌劇団レビュー記念日。
1927(昭和2)年9月1日、兵庫県宝塚市栄町にある劇場『宝塚大劇場』で、日本初のレビューとなる『モン・パリ~吾が巴里よ!~』が初演されたことによる。兵庫県宝塚市に本拠地を置く歌劇団、宝塚歌劇団が1989(平成元)年に制定。宝塚歌劇団は、1914(大正3)年に初の公演を行なって以来、現在も人気を集める、未婚の女性だけで構成された歌劇団である。年間公演数約1,300回、観客動員数約250万名、歌劇団員総数約400名。現在は、花(はな)・月(つき)・雪(ゆき)・星(ほし)・宙(そら)の5組と、いずれの組にも所属しない専科に分かれている。「宝塚」「ヅカ」等と略して呼ばれることも多い。レビューとは、大衆娯楽演芸のことである。装置・衣装・照明といった視覚的な要素に重点を置き、音楽、舞踏、寸劇、曲芸等の演目を展開する。日本では、宝塚少女歌劇団(現在の宝塚歌劇団)が「グランド・レヴュウ」の名歌や踊りを演じたのが最初である。宝塚少女歌劇団における『モン・パリ~吾が巴里よ!~』の成功が庶民の娯楽としてのレヴューの人気を高めた。日本人の世界旅行記をテーマにして制作され、画期的な内容で大ヒットを記録した『モン・パリ~吾が巴里よ!~』は、レビューという言葉が初めて冠され、大階段やラインダンス(ダンスフロアに整列し、全員が一斉に同じステップを踏むダンス)等も登場させて、宝塚歌劇団のスタイルを創り出したともいうべき作品である。宝塚少女歌劇団は、現在の阪急宝塚本線・阪急箕面線を敷設した、阪急電鉄の前身とされる箕面有馬電気軌道創始者の小林一三が、三越少年音楽隊や白木屋少女音楽隊等、百貨店や 大型店舗における少年音楽隊が一種のブームとなったことに想を得て、1913(大正2)年に結成した宝塚唱歌隊が前身となる。箕面有馬電気軌道の終点となった宝塚への旅客誘致を目的として、1911(明治44)年に開業した、兵庫県宝塚市に所在した遊園地兼動物園、宝塚新温泉にあった国内初の室内プール(暖房設備は無く、男女共泳も禁止であったという)「パラダイス」が閉鎖された際、このプールを利用し、改装した劇場(脱衣場が舞台でプールが客席)で温泉場の余興として、集客のために少女達に歌を歌わせようということになり、組織された。同1913(大正2)年12月に宝塚少女歌劇養成会に改称。尋常小学校(現在の小学校に相当する)卒の少女に、大卒者同等の給与を払う厚遇であった。翌1914(大正3)年4月1日から5月31日まで、宝塚新温泉で初演される。初演演目は、桃太郎を題材した歌劇『ドンブラコ』や『浮れ達摩』、ダンス『胡蝶』、管弦合奏、及び合唱であった。この年の平均入場者数は、1日当たり約1,100名であった。宝塚新温泉入場者は観覧無料で、観客は次第に増えた。以後、数年間はパラダイス劇場・公會堂劇場での正月・春期・夏期・秋期の年4回公演を中心に活動した。1918(大正7)年、帝国劇場(現在の東京都千代田区丸の内に所在)での公演を行ない、東京への進出を果たす。この年の平均入場者数は、1日当たり約2,000名で、徐々にその人気を伸ばしつつあった。1919(大正8)年、私立学校としての認可が下り、宝塚音楽歌劇学校が設立される。少女歌劇養成会は解散し、新たに宝塚少女歌劇団として発足し、予科1年・本科1年と研究科からなる学校組織となった。1921(大正10)年には、公演の増加により花組・月組に分割されている。1923(大正12)年1月22日、パラダイス劇場・公會堂劇場が焼失し、急遽建造された宝塚中劇場での公演を経て、翌1924(大正13)年に3,000名収容(当時)を誇る「宝塚大劇場」が完成した。「宝塚大劇場」完成に先立ち、雪組が新設された。当時の宝塚は、宝塚指定席・温泉入場券・カレーライスが各30銭で「一圓あれば一日遊べる」(現在の貨幣価値に換算すると、1円が約1,000円程度)、まさに総合娯楽施設であった。1925(大正14)年からは、年12回の本公演が行なわれるようになる。1926(大正15)年、現在のOSK日本歌劇団の前身、大阪松竹少女歌劇団(OSSK)が『春のおどり』を上演した翌年、宝塚も『春のをどり』を上演する。以後、20世紀末まで『春の踊り/をどり/おどり』等として、春先に日本物ショーが上演されることが定番となった。1927(昭和2)年、初期の宝塚歌劇において非常に重要な作家であり、多才な人物として知られる宝塚歌劇団の演出家、岸田辰弥(父親は新聞記者・実業家・教育家の岸田吟香[薬業界の大立者としても知られ、卵かけご飯を食べた日本で初めての人物とされ、周囲に卵かけご飯を勧めたという]、兄は洋画家の岸田劉生)が欧米遊学から帰国する。岸田辰弥は欧米遊学の経験を活かして、日本初のレビュー『モン・パリ~吾が巴里よ!~』を、日本人の世界旅行記をテーマにして制作する。『モン・パリ~吾が巴里よ!~』は、同1927(昭和2)年9月1日から上演され、画期的な内容で大ヒットを記録した。主題歌レコードがヒットし、当時としては露出の高い豪華な衣装も話題となった。また、ラインダンスを初めて演目に取入れ、16段ながら(現在は26段)大階段も登場した。以後、大階段は、少女歌劇のレビューに欠かせないものとして定着する。なお、1974(昭和49)年8月29日、宝塚歌劇団でミュージカル作品『ベルサイユのばら』が初演されたことから、8月29日が「ベルばらの日」とされている。
大腸がん検診の日。
東京都新宿区西新宿に事務局を置く、「大腸がん」に関する調査研究事業・検診の受診啓発事業等を行なう特定非営利活動法人(NPO法人)、ブレイブサークル運営委員会が制定。日付は、日本対がん協会が提唱する「がん征圧月間」が9月であり、その初日である9月1日を記念日としたもの。がんによる死亡原因の上位である大腸がんは、早期発見・早期治療で約95%以上の人が治ると言われており、年に1回の検診を行なうことで、その命を守ることができる。記念日を通じて「大腸がん検診」についての理解を深め、検診を受診してもらうことが目的。特定非営利活動法人(NPO法人)ブレイブサークル運営委員会は、大腸がんに関する知識の啓発や調査研究、健康増進のためのイベントを通じ、生活習慣の改善とがん検診受診による予防促進により、大腸がんで亡くなる人を減らすことを目的に活動を行なっている。「大腸がん検診」は、男女共に40歳以上が検診の対象者である。大腸がんの一次検診では、問診と便潜血検査が行なわれる。便潜血検査は、便に潜む血液の有無を調べる検査で、目に見えない僅かな出血も検知することが可能である。この一次検診で異常がある場合は、精密検査(二次検診)を受けることになる。大腸内視鏡検査や注腸X線検査により、本当に大腸がんかどうかを確認し、その後に診断と治療が行なわれる。大腸がんの早期発見・早期治療のためにも、年に1回の検診を受けることが大切である。
だじゃれの日。
神奈川県川崎市中原区新丸子東に事務局を置く、だじゃれ活用に関する各種イベントの企画や運営等を行なう一般社団法人、日本だじゃれ活用協会が制定。「ク(9)リエイティブかつイ(1)ンパクト」があるだじゃれは、人と人とのコミュニケーションをより豊かなものにしてくれる「無形文化遊具」であり、だじゃれが秘める無限の「吸引(きゅう[9]い[1]ん)力」を活かし、生活に彩りと潤いをもたらすことで、世の中に「救い(すく[9]い[1])」を届けたい、との願いが込められている。日付は、「9」と「1」の語呂合わせから9月1日としたもので、一般社団法人日本だじゃれ活用協会の設立は、2014(平成26)年9月1日となっている。だじゃれは、人間関係を円滑にする力があり、場の雰囲気を和らげることができ、心にゆとりと潤いをもたらす。そんなだじゃれが広がれば、世界は救われる。一般社団法人日本だじゃれ活用協会は、「だじゃれは世界を救う」を合言葉に、だじゃれの秘めた無限の力を活用して、世の中に笑顔と希望を広げることを目指している。また、人間関係を円滑にするコミュニケーションツールとして、だじゃれを活用するための考え方や、トレーニング法を紹介するワークショップ「だじゃれ道場」の運営やイベントの実施、だじゃれグッズの販売等を行なっている。