西暦(グレゴリオ暦)AD2024年 令和6年 平成36年
昭和99年 大正113年 明治157年 皇紀2684年 干支 甲辰(きのえ たつ)
第5水曜日 旧暦 6月26日、先勝(丙申)、月齢 25.2
グレゴリオ暦で年始から213日目、年末まであと153日。
誕生花 ユリ(ル・レーブ)。
蓄音機の日。
1877(明治10)年7月31日、アメリカ合衆国の電信技術者・発明家、トーマス・エジソンが蓄音機の特許を取ったとされる。蓄音機は、音声の振動を物理的な溝の凹凸、又は、左右への揺れとして記録されたレコードから、振動を取出し拡大して、音声を再生する装置である。エレクトロニクスが発達する前であり、回転部(ターンテーブル)の動力としては、巻上げた錘(おもり)や発条(ぜんまい)を使用し、針で拾った振動のエネルギーを直接利用して、指数的に内径の広がる(元のエネルギーが非常に僅かであるため、理想に近い形状が必要である)ホーンにより音響的に音声信号を拡大している。トーマス・エジソンは、直径約10㎝の円筒形に錫箔を巻付けた円筒型の蓄音機を発明し、「フォノグラフ」と名付けた。発明者であるトーマス・エジソン自身が、自分で製作した円筒式蓄音機からの音を初めて聴いて、飛上がる程驚愕したという。しかし、その後は、手掛けていた白熱電球の開発に夢中になり、蓄音機の研究を一時中断した。他にも、蓄音機の改良研究は多くの人によって続けられ、平面盤であるレコードとその再生専用機ができ、また、録音は、ラッカー盤という専用の盤に、カッティングマシンという専用機で記録し、それから製品とほぼ同形の、最初に用意される雄型を作成して、大量生産するようになった。蝋管(録音・再生用の蝋を塗った円筒)等によるトーマス・エジソンらの装置から、エレクトロニクス時代以前のレコードプレーヤーまでを総称して、日本では蓄音機と呼んでいる。日本では、1910(明治43)年に日本初の国産蓄音機『ニッポノホン』が発売された。これには、軍艦行進曲(一般に「軍艦マーチ」として広く知られる、海軍軍楽師・音楽家で、「日本行進曲の父」と讃えられる瀬戸口藤吉作曲の行進曲)等が収録されたレコードが付属していた。エレクトロニクスの進歩、真空管の小型化と性能向上に伴ない、レコード針の動きを電気信号に変換して増幅し、スピーカーを鳴らす「電気式蓄音機」、即ち「電蓄」が登場した(順序としては、駆動系の電化の方が遅かった)。LPレコード(塩化ビニル系樹脂製レコードで、毎分約33回転のもの)は、レコードの溝が細かくなった上、材質が一般的な合成樹脂(プラスチック)の1つ、ポリ塩化ビニルとなって、ラックカイガラムシ(熱帯や亜熱帯に分布の中心を持つ昆虫の一種)、及び、その近縁の数種のカイガラムシの分泌する虫体被覆物を精製して得られる樹脂状の物質(天然樹脂)、シェラック製のSP盤(円盤状の蓄音機用レコード)のような強い針圧に耐えられなくなったことから、電気式でないと再生できない。ステレオレコードに至っては、原理上電気信号を用いる方式でしか、再生はほぼ不可能である。オーディオ機器のコンポーネント化(チューナー・アンプ・プレーヤー・スピーカー等が、それぞれ独立した機器で、自由に選んで組合わせることのできる形式)により、レコードから電気信号を取出すところまでの装置を独立させて、レコードプレーヤーとされるようになった。また、電蓄の語は、レコード盤をはみださせて、ぎりぎり乗る大きさのターンテーブルと、そのままスピーカーを駆動できるアンプを内蔵したいわゆる「ポータブル電蓄」が普及し、昭和時代中期にはトランジスタ化されて、一般家庭にも広く普及したことから、オーディオ機器の中で、「レコードプレーヤー」の語が一般的になった後も、「ポータブル電蓄」にその名を留めていた。現在では、北海道大学の伊福部達(音響学と電子工学・医療工学の境界分野で活躍している工学者)らにより、レーザー光線による非接触の蝋管再生装置が開発されている(金属製の雄型の再生も可能である)。レコード盤は、音質や収録時間では大きな進歩を遂げたものの、通常、レコード針の機械的な接触によって再生される基本原理は、初期のレコード盤と変わらなかった。この方式は、盤面上の埃やキズ、周りの振動に影響され易く、メディア個体の再生回数が多くなると、音溝の磨耗により、高域が減衰していく問題があった。そのため、1980年代に入ってからは、扱い易く、消耗しにくい、デジタル情報を記録するためのメディア(情報の記録、伝達、保管等に用いられる物や装置)となるコンパクトディスク(CD)の開発・普及により、一般向け市場では、メディア、ソフト、ハードとも著しく衰退したが、在来システムやオリジナル盤への愛着から、アナログレコードを好む層や、コンパクトディスク(CD)との音質の差異を楽しんだり、アナログレコードに新鮮味を覚える年齢層が存在し、その中には、デジタルメディアに比して、アナログレコードに音質面の優位がある、と主張する愛好家もいて、2010年代でもレコードプレーヤーは市場に存在する。一方では、1970年代以降、磨耗したレコードを、通常の再生とは違った形でターンテーブルに載せ、手動で回転させるという表現技法が現れ、そこから発達する形で、クラブ(ディスコ[音楽を流し、アルコールを含む飲料を提供し、客にダンスをさせる店舗]が名称を変えたもの)の DJ(ディスクジョッキー、録音された音源を使い音楽を掛ける人)の演奏にも利用されるようになった。2000年代に入ると、コンパクトディスク(CD)を利用して、DJプレイができるような機器が普及してきているが、未だにレコード(アナログレコード、又は単にアナログと呼ばれる)は、その直感的な操作性とレンジの広い音質、特有のスクラッチノイズ(針音とも呼ばれる、シャカシャカと連続的に入るノイズ[雑音])、そして、アナログレコードという形式そのものへの愛着等から、根強い人気があり、DJプレイ用に発売されるシングルの主流を占めている(12インチシングル)。これは、アナログレコード再生用ターンテーブル、及びカートリッジへの一定需要(主に楽器店で販売)にもなり、その生産存続を支える一助ともなっている。ソノシートは、かつて存在した出版社、朝日ソノラマ(朝日新聞社の関連会社)の登録商標で、フォノシート、シートレコード等が正式名称である。薄く曲げられるビニール材質のレコードで、一般的には17cm盤が多く、音質は良くないが製造コストが安いため、通常盤が高価であった1960年代頃に重宝され、朝日ソノラマ本体のソノシートページ上に置く、自走式による専用のプレイヤーも発売された。1970年代以降は、単独で販売するより、雑誌の付録として綴じ込んで販売されることが多かった。海外では、音楽雑誌等に有名アーティストの限定録音が付録し、後に高価で取引されることもあった。また、コンピュータープログラムを録音したものもあった。薄いため折り目が付き易く、盤面が歪んで針飛びの原因になり易かった。さらに、B面の無いものも多かった。発明は、フランスの雑誌出版社、アシェット社によるものであるが、商業ベースに乗せるため、日本で朝日新聞と凸版印刷がタイアップさせ、音の出る雑誌という形で出たものが最初となる。製作は、輪転印刷機で、多量にシート状の塩化ビニールを溶かしたモール状のものを、紙のようにロールにされたものに、印刷とスタンパーを兼ね備えたものでプレスされていく。カラーのもの、真四角に切られたものも多い。