7月27日 記念日 その1 | スズメの北摂三島情報局

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2011/08/02 リニューアル
2019/07/14 アメブロ移動
柴犬ハルがお伝えします

西暦(グレゴリオ暦)AD2024年 令和6年 平成36年  
昭和99年 大正113年 明治157年 皇紀2684年 干支 甲辰(きのえ たつ)
第4土曜日 旧暦  6月22日、先負(壬辰)、月齢 21.2 
グレゴリオ暦で年始から209日目、年末まであと157日。
誕生花 ゼラニウム・フウロソウ(風露草)。

二十四節気・雑節等
土潤って蒸し暑し。
七十二候の1つ(35候)。

政治を考える日。
1976(昭和51)年7月27日、ロッキード事件で、自由民主党(自民党)衆議院議員であった当時の前首相、田中角栄が逮捕されて、日本の政治に多大な影響を与えたことから、政治を改めて考えてみようという日。ロッキード事件は、主に軍用機を製造していたアメリカの大手航空機メーカー、ロッキード社(現在は、アメリカの航空機メーカー、マーティン・マリエッタ社と合併して、ロッキード・マーティン社となっている)による、主にロッキード社の旅客機の受注を巡って、1976(昭和51)年2月に明るみに出た世界的な大規模汚職事件である。この事件は、国内航空大手の全日本空輸(全日空)の新ワイドボディ(客室1階に通路が2本ある機体)旅客機導入選定に絡み、田中角栄が受託収賄罪(「刑法[明治40年4月24日法律第45号]」第197条第1項後段)と「外国為替及び外国貿易法(外為法、昭和24年12月1日法律第228号)」違反の疑いで逮捕され、その前後に田中角栄以外にも、政治家2名(運輸政務次官佐藤孝行と元運輸大臣橋本登美三郎)が逮捕された。さらに、収賄、贈賄双方の立場となった全日本空輸(全日空)社長の若狭得治以下数名の役員、及び社員、ロッキードの販売代理店であった大手総合商社、丸紅の役員と社員、行動派右翼の大物と呼ばれ、暴力団やアメリカ中央情報局(CIA)と深い関係にあった児玉誉士夫や、児玉誉士夫の友人で「政商」と呼ばれた、陸運業で総合商社でもある国際興業の社主、小佐野賢治と、相次いで逮捕者を出した。また、関係者の中から多数の不審死者が出る等、第二次世界大戦後の日本の疑獄(政治問題化した大規模な贈収賄事件)を代表する大事件となり、世界的な大規模汚職事件ともなった。この事件は、1976(昭和51)年2月に、アメリカ合衆国上院で行なわれた上院外交委員会多国籍企業小委員会(委員長フランク・チャーチの名から「チャーチ委員会」と呼ばれる)における公聴会で発覚しており、アメリカとの間の外交問題にも発展した。東京地検特捜部は、8月16日に田中角栄を起訴し、その公判は、1977(昭和52)年1月27日に東京地方裁判所で開始され、日本国内はおろか、世界各国から大きな注目を集めることになった。その後、1983(昭和58)年10月12日には懲役4年、追徴金5億円の有罪判決が下った。この第一審判決を受けて国会が紛糾し、衆議院解散のきっかけとなった(田中判決解散)。1970(昭和45)年11月に初飛行し、1972(昭和47)年4月に運航が開始されたL-1011 トライスターは、アメリカの大手航空機メーカー、ロッキード社初のジェット旅客機として、ロッキード社の威信を掛けて開発されたもので、中二階の客室、貨物室構造にエレベーターが設置された他、自動操縦装置については、軍用機のトップクラスメーカーとしてのノウハウが生かされ、当時としては他に例がない程の、先進的な装備が施されていた。ロッキード社は、レシプロ機(レシプロエンジン[ピストンがシリンダー内を往復運動する構造のエンジン]を動力とする航空機)時代には、ロッキード コンステレーション(4発の高速旅客機で、レシプロエンジン旅客機の歴史の最後を飾る存在として著名)シリーズで一世を風靡したものの、ジェット化の波には乗遅れてしまい、軍用機メーカーとしては屈指の大手になったものの、民間機市場での地位は低下してしまっていた。そこで、ロッキード社は、このL-1011 トライスターで民間機市場での起死回生を狙っていたのである。しかし、ジェット旅客機メーカーとしての実績が先行していたアメリカの大手航空機メーカー、マクドネル・ダグラス社(現在は、アメリカの大手航空機メーカーであり、世界最大の航空宇宙機器開発製造会社でもあるボーイング社に合併されている)が開発した、ワイドボディ(客室1階に通路が2本あるもの)の3発式ジェット旅客機マクドネル・ダグラス DC-10や、1970(昭和45)年に初就航してから既に多くの発注を受けていた、当時最大の民間航空機で、「ジャンボジェット」の愛称で知られており、航空機による安価な大量輸送を実現し、それまで一般庶民にとって高嶺の花であった航空旅行(特に国外旅行)を可能にした画期的な機体である大型旅客機ボーイング747との間で、激しい販売競争に晒されていた。また、L-1011 トライスターに搭載するロールス・ロイス社製ターボファンエンジン「RB211」は、軽量化のため複合材のファンブレードを用いていたが、複合材のファンブレードではバードストライクの衝撃試験でブレードの前縁が破壊されるため、金属製のファンブレードに変更することになり、また、その最中、航空機用エンジンや乗用自動車の製造を行なっていたイギリスのメーカー、ロールス・ロイス社が破産・国有化される等して開発が遅れていたため、日本においても、既に全日本空輸(全日空)のライバルである国内航空大手の日本航空が、マクドネル・ダグラスDC-10の大量発注を決めた他、他国においても発注が伸び悩む等、苦戦していた。このため、このような状況を解消すべく、ロッキード社が各国の政治家や航空関係者に、様々な働き掛けを行なっていた。1970(昭和45)年から新機種選定作業を実施していた全日本空輸(全日空)は、1972(昭和47)年10月28日にロッキードL-1011を選定した。1976(昭和51)年2月4日、アメリカ合衆国上院で行なわれた外交委員会多国籍企業小委員会(チャーチ委員会)公聴会でロッキード社が、全日本空輸(全日空)を始めとする世界各国の航空会社に、L-1011 トライスターを売込むため、L-1011 トライスターの開発が行なわれていた1970年代初頭に、各国政府関係者に巨額の賄賂をばら撒いていたことが明らかになった。なお、全日本空輸(全日空)への工作費は、約30億円であったと言われる。チャーチ委員会での証言内容を受け、検察等の本格的捜査の開始に先立つ、1976(昭和51)年2月16日から数回に亘って行なわれた衆議院予算委員会には、事件関係者らが証人喚問され、この模様は全国にテレビ中継された。その後、当時の首相三木武夫が、チャーチ委員会での証言内容や世論の沸騰を受けて、直々に捜査の開始を指示、同時に、当時のアメリカ合衆国大統領ジェラルド・フォードに対して、捜査への協力を正式に要請する等、事件の捜査に対して異例とも言える積極的な関与を行なった。また、捜査開始の指示を受けて、2月18日には最高検察庁、東京高等検察庁、東京地方検察庁による初の検察首脳会議が開かれ、2月24日には検察庁と警視庁、国税庁による合同捜査態勢が敷かれた。捜査の開始を受けて、マスコミによる報道も過熱の一途を辿り、それに合わせて、国内外からの事件の進展に対する関心も増大したものの、明らかにライバルの田中角栄をターゲットにした捜査の急激な進展は、親田中角栄の議員達を中心に、「国策捜査」として批判されることになった。政治家汚職、脱税、経済事件等を独自に捜査し、大物政治家の立件・有罪等の結果を出していることから、「日本最強の捜査機関」とも呼ばれている、東京地方検察庁特別捜査部(東京地検特捜部)は、その後、異例のスピードで元首相田中角栄を7月27日に逮捕し、起訴に持込んだ。1976(昭和51)年12月5日に行なわれた第34回衆議院議員総選挙では、ロッキード事件の余波を受けて自由民主党(自民党)が8議席を失う等、事実上敗北し、三木武夫首相は敗北の責任を取って首相を辞任。大平派と福田派の「大福密約」により、後継には「三木おろし」を進めた1人の福田派のリーダー、福田赳夫が就くことになった。