7月7日 記念日 その12 | スズメの北摂三島情報局

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2011/08/02 リニューアル
2019/07/14 アメブロ移動
柴犬ハルがお伝えします

特撮の日。
福島県須賀川市に事務局を置く「特撮文化推進事業実行委員会」(会長は、福島県須賀川市の第7代市長、橋本克也)が制定。日付は、「特撮の神様」とも称される、福島県須賀川市出身の円谷英二の誕生日、1901(明治34)年7月7日から。「特撮」は、日本で独自に発展した文化であり、誇るべき文化として後世に受継ぎ、より多くの人にその魅力を知ってもらうことが目的。特撮は、特殊撮影技術(Special Effects;SFX)を指す略称で、特殊撮影技術(SFX)が多用された、映画やテレビ番組等の映像作品を指す総称でもある。元々は特殊撮影、或いは、トリック撮影と呼ばれていた「技術」を、総合的に指す略語であるが、日本では、特撮作品と呼ばれる映画やテレビ番組等が大きなジャンルを形成する程発展しており、特撮技術が大きな役割を果たして製作された作品群も含めて「特撮」と総称される。また、現在では、この言葉が使われていた古い時代の作品群を指す通称としてや、この頃に盛んであった「特撮ヒーローもの」等、一部の作品群を指す通称としても使われている。撮影技術・特殊効果としての「特撮」は、映画創生期から存在し、フランスの映画製作者で、映画の創成期において様々な技術を開発したジョルジュ・メリエスや、イギリスの制作者達によって、撮影時のカメラ操作を駆使した逆回し、高速・微速度撮影、コマ撮り、人や物が消えたように見える中抜き等が作り出され、アメリカのサイレント映画『大列車強盗』(1903[明治36]年)では、映像の合成が試みられる等、「実際には存在しない架空の映像」作りが行なわれた。また、実物を縮小したミニチュアの撮影等も長年に亘って使われ、映画の発展と共に、特撮技術も発展する。恐竜等が登場するアメリカ映画(無声映画)『ロスト・ワールド』(1925[大正14]年)は、当時の特撮映画の集大成ともされており、後のアメリカの長編映画『キングコング』(1933[昭和8]年)共々、特撮映画を世に広めていった。1949(昭和24)年頃から1981(昭和56)年にかけて、手作りのモンスターやミニチュア造形物等による多くの特撮映画を手掛けて、ハリウッド映画の特撮人気を高め、20世紀の特撮映画界のパイオニアとして牽引したアメリカの特撮監督、レイ・ハリーハウゼンは「特撮の神様」と呼ばれ、特撮怪獣映画『ゴジラ』や、アメリカ合衆国のスペースオペラ(宇宙空間で繰広げられる騎士道物語的な宇宙活劇)映画シリーズ『スター・ウォーズ』等、後の特撮作品にも多大な影響を与えた。レイ・ハリーハウゼンが生み出した特殊映像・特殊効果は、今日の様々な特撮映像の源流ともなっている。昭和における特殊撮影技術の第一人者であり、独自に創出した技術で特撮映画界に多大な功績を残したことから、特撮の神様と呼ばれる円谷英二の人生は、活動大写真と呼ばれた明治時代の黎明期から、映画斜陽期を迎えた東宝解体までの日本映画界の歴史とそのまま重なっている。円谷英二の下には数多くの若き才能が集い、彼らは親しみを込めて円谷英二を「オヤジさん」と呼んでいた。但し、円谷英二本人に向かって「オヤジさん」と呼ぶ者はいなかったという。福島県岩瀬郡須賀川町(現在の福島県須賀川市)で誕生した円谷英二は、18歳の時に映画界に入る。1933(昭和8)年、32歳の時には、アメリカの長編映画『キングコング』が日本で公開され、試写で鑑賞した円谷英二は、この特撮に衝撃を受け、フィルムを独自に取寄せ、一コマ一コマを分析し、研究した。その後、映画監督となり、1940(昭和15)年に東宝映画(現在の東宝の前身)が制作した『海軍爆撃隊』では、初めてミニチュアの飛行機による爆撃シーンを撮影し、経歴上初めて「特殊撮影」のクレジットが付き、円谷英二の特撮は、公開時大評判となった。1954(昭和29)年、日本初の本格的特撮怪獣映画『ゴジラ』が制作され、空前の大ヒットとなる。円谷英二の名は再び脚光を浴び、『ゴジラ』は邦画初の全米公開作となり、その名は海外にも轟いた。そして、怪獣・SF映画の特撮技術を次々と監督し、これらは東宝のドル箱シリーズとなり、1959(昭和34)年の長編特撮映画『宇宙大戦争』以後は、円谷英二の特撮作品というだけで、制作中から海外の映画会社が契約を結びに来日した程である。1963(昭和38)年、独立系映像制作会社の円谷プロダクションを設立し、円谷プロダクションは、特撮テレビドラマシリーズ『ウルトラシリーズ』を始めとする、数多くのテレビ番組や劇場用映画を制作し続けている。 
橋本会計の安心会計の日。
東京都港区芝に事務所を置き、歯科医院専門の会計事務所として知られる、税理士法人橋本会計が制定。1996(平成8)年、顧客が安心して会計業務を任せられる「安心会計宣言」を行なった、税理士法人橋本会計。その思いを、経営セミナーや開業セミナー等、日々の研鑽(けんさん:学問等を深く究めること)に繋げていくことが目的。日付は、信頼し任せられ、末永いお付き合いのためには良い出会いが大切、との思いから、年に一度、織姫と彦星が出会う「七夕」の日を記念日としたもの。
ハスカップの日。
北海道の美唄市農業協同組合、とまこまい広域農業協同組合厚真町ハスカップ部会、ハスカップ協会が連名で制定。日付は、「ハスカップ」は2つの花から1つの実を付けることから、「愛の契り」の花言葉があり、「七夕」の織姫と彦星のように、離れた2人が出会える日に、と7月7日とした。また、ハスカップの収穫時期が、6月下旬から7月中旬であることもその理由。ハスカップの魅力をより多くの人に知ってもらい、味わってもらうことが目的。「ハスカップ」は、スイカズラ科スイカズラ属に属する植物で、樹高約1mから約2mの落葉低木で、別名は「ハニーベリー(Honeyberry)」。果実は青みがかった黒色の液果で、食用になる。和名は「クロミノウグイスカグラ」で、「黒い実を付けるウグイスカグラ」という意味。北方系の植物で、日本では北海道の他、栃木県の日光戦場ヶ原や静岡県の荒川岳等、標高の高い地域に僅かに自生している。北海道勇払郡厚真町が作付面積日本一、北海道美唄市が生産量日本一を誇る。古くはアイヌ民族が利用し、「ハスカップ」の語源はアイヌ語である。ビタミンCやビタミンE、カルシウム、鉄分、アントシアニン、食物繊維等、豊富な栄養素を持ち「北海道の不老長寿の実」と呼ばれる。産地では主に、ジャムやジュース等の加工用途として利用される。
手織りの日。
大阪市都島区中野町に本部を置き、手織り教室の手織適塾SAORIを全国で展開する株式会社SAORIが制定。古くから全国各地で行なわれてきた手織り。継承者の減少や安価な既製品の普及で、手織りが急速に廃れていることを危惧し、改めて手織りの存在を多くの人に知ってもらい、手織り文化の発展に繋げることが目的。日付は、七夕伝説で機織りに秀でた「織姫」が、年に一度「彦星」と逢うために機織りを休む日が七夕の日とされていることから、この日に織姫に代わって手織りをしながら織姫に想いを馳せる日として、7月7日としたもの。
ダヤンの誕生日。
埼玉県富士見市鶴瀬西に本社を置く企業、わちふぃーるどライセンシング株式会社が制定。絵本作家の池田あきこが創作した、架空の国「わちふぃーるど」のメインキャラクターが猫のダヤン。その誕生日をきっかけに、ミステリアスな目が印象的なダヤンの魅力、世界観を感じてほしい、との願いが込められている。そして、その物語と共に展開される、さまざまな「わちふぃーるど」の商品やイベントへの関心を高めてもらうことも目的。自分の誕生日を知らなかったダヤンは、「わちふぃーるど」の魔女に7月7日と教えてもらうが、魔女をバースデーパーティーに呼ばなかったために、毎年赤ちゃんにされてしまう。そんなエピソードも、「ダヤンズバースディ」として人気のイベントになっている。