7月7日 記念日 その2 | スズメの北摂三島情報局

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2011/08/02 リニューアル
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柴犬ハルがお伝えします

七夕(七夕の節句)(続き)。
日本語「たなばた」の語源は、日本最古の歴史書『古事記』で、アメノワカヒコが死にアヂスキタカヒコネが来た折に詠まれた歌にある「淤登多那婆多」(弟棚機)、又は、日本に伝存する最古の正史『日本書紀』葦原中国平定の1書第1にある「乙登多奈婆多」、或いは、お盆の精霊棚とその幡から棚幡という。また、日本に現存する最古の和歌集『万葉集』卷10春雜歌2080(「織女之 今夜相奈婆 如常 明日乎阻而 年者将長」)に、「たなばたの今夜あひなばつねのごと明日をへだてて年は長けむ」等の七夕に纏わる歌が存在する。日本では、雑令によって7月7日が節日と定められ、相撲御覧(相撲節会)、七夕の詩賦、乞巧奠等が奈良時代以来行なわれていた。その後、第51代天皇、平城天皇が7月7日に亡くなると、826(天長3)年に相撲御覧が別の日に移され、行事は分化して、星合と乞巧奠が盛んになった。乞巧奠(きこうでん、きっこうでん)は、乞巧祭会(きっこうさいえ)、又は単に乞巧とも言い、7月7日の夜、織女に対して手芸上達を願う祭である。古くは、中国年中行事記『荊楚歳時記』に見え、唐の玄宗の頃は盛んに行なわれた。この行事が日本に伝わり、宮中や貴族の家で行なわれた。宮中では、清涼殿の東の庭に敷いたむしろの上に机を4脚並べて果物等を供え、ヒサギの葉1枚に金銀の針をそれぞれ7本刺して、五色の糸をより合わせたもので針の穴を貫いた。一晩中香を焚き灯明を捧げて、天皇は庭の倚子に出御して牽牛と織女が合うことを祈った。また、軍記物語『平家物語』によれば、貴族の邸では願いごとをカジの葉に書いた。二星会合(織女と牽牛が合うこと)や詩歌・裁縫・染織等の技芸上達が願われた。江戸時代には、手習いごとの願掛けとして一般庶民にも広がった。なお、日本において機織りは、当時もそれまでも、成人女子が当然身に付けておくべき技能であった訳ではない。殆どの神事は、「夜明けの晩」(7月7日午前1時頃)に行なうことが常であり、祭は7月6日の夜から7月7日の早朝の間に行なわれる。午前1時頃には天頂付近に主要な星が上り、天の川、牽牛星、織女星の3つが最も見頃になる時間帯でもある。全国的には、短冊に願いごとを書き、葉竹に飾ることが一般的に行なわれている。短冊等を笹に飾る風習は、夏越の大祓に設置される茅の輪の両脇の笹竹に因んで江戸時代から始まったもので、日本以外では見られない。「たなばたさま」の楽曲にある五色の短冊の五色は、五行説に当て嵌めた五色で、緑・紅・黄・白・黒をいう。中国では五色の短冊ではなく、五色の糸を吊るす。さらに、乞巧奠は技芸の上達を祈る祭であるために、短冊に書いてご利益のある願いごとは芸事であるとされる。また、お盆や施餓鬼法要で用いる仏教の五色の施餓鬼幡からも、短冊は影響を強く受けている。サトイモの葉の露で墨をすると習字が上達するといい、7枚のカジ(梶)の葉に歌を書いて手向ける。俊成女の歌に「たなばたのとわたるふねの梶の葉にいくあきかきつ露のたまづさ」とある。このようにして作られた笹を7月6日に飾り、さらに海岸地域では、翌7日未明に海に流すことが一般的な風習である。しかし、近年では飾付けにプラスチック製の物を使用することがあり、海に流すことは少なくなった。地区によっては、川を跨ぐ橋の上に飾付けを行なっているところもある。他方、商店街等のイベントとしての「七夕まつり」は、一般的に昼間に華麗な七夕飾りを通りに並べ、観光客や買い物客を呼込む装置として利用されており、前述のような、夜間の風習や神事等を余り重視していないことが多い。顕著な例としては、短冊を記入させて笹飾りに付けるような催しが、7日夜になっても行なわれていたりする。多くの地域では、グレゴリオ暦の7月7日は梅雨の最中なので雨の日が多く、旧暦の頃からあった行事をグレゴリオ暦の同じ日付で行なうことによる弊害の1つと言われる。統計では、旧暦7月7日が晴れる確率は約53%(東京)であり、晴れる確率が特別に高いという訳ではない。しかし、旧暦では毎年必ず上弦の月となることから、月が地平線に沈む時間が早く、月明かりの影響を受け難い。一方、新暦7月7日は、晴れる確率は約26%(東京)と低く、その上月齢が一定しないために、晴れていても月明かりの影響によって天の川が見えない年もある。従って、天の川が見える確率は、旧暦の七夕の方がかなり高いと言える。七夕に降る雨を「催涙雨(さいるいう)」、又は「洒涙雨(さいるいう)」といい、織姫と彦星が流す涙と伝えられている。七夕の織姫星(織女星)としてよく知られているベガは、こと座(プトレマイオスの48星座[2世紀、古代ローマの数学者・天文学者・占星学者、クラウディオス・プトレマイオスが作成した星表に見られる星座で、プトレマイオスの英語形トレミー、からトレミーの48星座とも呼ばれる]の1つで、北天の星座であり、比較的小さい星座、こと座のα星(1つの星座の中で、最も明るい星で、主星ともいう)であり、全天21の1等星(明るさの等級[天体の明るさを表す尺度]が1.5等より明るい恒星)の1つとなっている。2003(平成15)年には、惑星系が形成されつつあることが分かった。この惑星系は、太陽系に近似している可能性がある。さらに、2006(平成18)年には、自転周期が約12.5時間という高速で自転しており、その速さは遠心力でベガが自壊する速度の約94%に達していることが判明した。このため、極付近と赤道付近では、大きな温度差が生じている。七夕の彦星(牽牛星)としてよく知られているアルタイルは、日本では夏の星座とされるプトレマイオスの48星座の1つ、わし座のα星で、こと座のベガと同様、全天21の1等星の1つである。また、こと座のベガ、はくちょう座(プトレマイオスの48星座の1つで、北天の有名な星座の1つであり、天の川の上に翼を広げ、北から南に向けて飛ぶ形をしていて、日本では夏の代表的な星座の1つである)のα星デネブと共に、夏の大三角を形成している。夏の大三角(夏の大三角形)とは、3つの星を結んで描かれる、細長い大きな三角形をしたアステリズム(複数の明るい恒星が天球上に形作るパターン)である。アルタイルは、非常に高速で自転(毎秒約240km、約8.9時間で一周)しているため、楕円となっている。そのため、赤道の直径は、極の直径より約14%膨らんでいる。また、3個の伴星を持つ4重星であることが判明している。理論・観測の両面から天文学を研究する、研究所・大学共同利用機関(大型測定機器や高速計算機等、非常に高額で、大学単独では購入することが難しい研究施設を整備し、或いは、貴重な文献や資料を収集保存することによって、学術研究の発展・振興に資するという国家政策に基づく研究機関)、国立天文台では、2001(平成13)年から、「新暦7月7日は大抵、梅雨の最中でなかなか星も見られない」という理由で、旧暦7月7日を「伝統的七夕」と呼び、その日の新暦での日付を広く報じている。ただ、「旧暦」は、現在では公には使われていないにも係わらず、国の機関が「旧暦」で定義することはできないため、「伝統的七夕」の日は、旧暦7月7日に近い日として、「二十四節気の処暑(太陽黄経が150度になる瞬間、8月23日頃)を含む日か、それよりも前で、処暑に最も近い朔(新月)の瞬間を含む日から数えて7日目」と定義している。この定義によれば、早くて新暦の7月31日、遅くとも8月30日までに該当する。