7月7日 記念日 その1 | スズメの北摂三島情報局

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2011/08/02 リニューアル
2019/07/14 アメブロ移動
柴犬ハルがお伝えします

西暦(グレゴリオ暦)AD2024年 令和6年 平成36年 
昭和99年 大正113年 明治157年 皇紀2684年 干支 甲辰(きのえ たつ)
第1日曜日 旧暦  6月 2日、先勝(壬申)、月齢  1.2 
グレゴリオ暦で年始から189日目、年末まであと177日。
誕生花 スイレン・スグリ・アベリア・クチナシ。

 

七夕(七夕の節句)。
七夕は、五節句の1つにも数えられる。なお、節句は、伝統的な年中行事を行なう季節の節目となる日である。この日には、日本の宮廷において、節会と呼ばれる宴会が開かれた。年間に亘り、様々な節句が存在しており、その内の5つを江戸時代に、幕府が公的な行事・祝日として定めた。それが人日の節句、上巳の節句、端午の節句、七夕の節句、重陽の節句の五節句である。七夕は、旧暦では7月7日の夜のことで、日本ではお盆(旧暦7月15日前後)との関連がある年中行事であったが、明治改暦以降、お盆が新暦月遅れの8月15日前後を主に行なわれるようになったため関連性が薄れた。日本の七夕祭りは、新暦7月7日や月遅れの8月7日、或いはそれらの前後の時期に開催されている。古くは、「七夕」を「棚機(たなばた)」や「棚幡」と表記した。これは、そもそも七夕とはお盆行事の一環でもあり、精霊棚とその幡を安置するのが7日の夕方であることから、7日の夕で「七夕」と書いて「たなばた」と発音するようになったともいう。元来、中国での行事であったものが奈良時代に伝わり、元からあった日本の棚機津女(たなばたつめ)の伝説と合わさって生まれた言葉である。その他、牽牛織女の二星がそれぞれ耕作、及び蚕織を司るため、それらに因んだ種物(たなつもの)・機物(はたつもの)という語が、「たなばた」の由来とする江戸期の文献もある。織女と牽牛の伝説は、詩文集『文選』の中の漢の時代に編纂された「古詩十九首」が文献として初出とされているが、まだ7月7日との関わりは明らかではない。その後、南北朝時代の年中行事記『荊楚歳時記』には7月7日、牽牛と織姫が会合する夜であると明記され、さらに、夜に婦人達が7本の針の穴に美しい彩りの糸を通し、捧げ物を庭に並べて針仕事の上達を祈ったと書かれており、7月7日に行なわれた乞巧奠と織女・牽牛伝説が関連付けられていることがはっきりと分かる。また、六朝・梁代(6世紀の中国の王朝)の殷芸(いんうん)が著した『小説』には、「天の河の東に織女有り、天帝の子なり。年々に機を動かす労役につき、雲錦の天衣を織り、容貌を整える暇なし。天帝その独居を憐れみて、河西の牽牛郎に嫁すことを許す。嫁してのち機織りを廃すれば、天帝怒りて、河東に帰る命をくだし、一年一度会うことを許す」(「天河之東有織女 天帝之女也 年年机杼勞役 織成云錦天衣 天帝怜其獨處 許嫁河西牽牛郎 嫁後遂廢織紉 天帝怒 責令歸河東 許一年一度相會」『月令廣義』七月令にある逸文)という一節があり、これが現在知られている七夕のストーリーとほぼ同じ型となった、最も古い時期を考証できる史料の1つとなっている。