6月28日 記念日 その1 | スズメの北摂三島情報局

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2011/08/02 リニューアル
2019/07/14 アメブロ移動
柴犬ハルがお伝えします

西暦(グレゴリオ暦)AD2024年 令和6年 平成36年 
昭和99年 大正113年 明治157年 皇紀2684年 干支 甲辰(きのえ たつ)
第4金曜日 旧暦  5月23日、先負(癸亥)、月齢 21.6 
グレゴリオ暦で年始から180日目、年末まであと186日。
誕生花 トルコギキョウ・ゼラニウム。

貿易記念日。
1859(安政6)年5月28日(旧暦)、江戸幕府がアメリカ、イギリス、フランス、ロシア、オランダの5ヶ国との間に結んだ友好通商条約に基づき、横浜、長崎、箱館(函館)の各港で自由貿易の開始を布告した。自由貿易は、国内産業の保護育成の大きな障害となったが、その一方で、外国の物品を安く購入することが可能となり、明治期の近代化に寄与したとも考えられる。これを記念して、日付を太陽暦に換算した6月28日を、貿易に携わる企業だけでなく、広く国民全般が輸出入の重要性について認識を深める日として、1963(昭和38)年の閣議決定で、通商産業省(現在の経済産業省の前身)に実施される「貿易記念日」が制定された。なお、この「貿易記念日」は、日本電気協会が1927(昭和2)年9月に制定した3月25日の「電気記念日」、現在の「特許法(昭和34年4月13日法律第121号)」の元となる「専売特許条例(明治18年4月18日太政官布告第7号)」が、1885(明治18)年4月18日に公布されたことを記念して、公益社団法人発明協会が1954(昭和29)年に制定した4月18日の「発明の日」、1993(平成5)年11月1日、「計量法(旧法、昭和26年6月7日法律第207号)」を全部改訂した「計量法(新法、平成4年5月20日法律第51号)」が施行されたことを記念して、日本経済、或いは、「日本株式会社」の総司令塔として、1960年代の高度経済成長(飛躍的に経済規模が継続して拡大することで、好景気時の実質経済成長率が約10%以上となった)の牽引役とされていた、通商産業省(現在の経済産業省の前身)が制定し、翌年の1994(平成6)年度から実施された11月1日の「計量記念日」と共に、経済産業省四大記念日とされている。因みに、幕末期となる1867(慶応3)年の長崎港での輸出品は、茶がトップで、次いで、石炭、人参、ロウ、昆布等となっており、いわゆる一次産品(産出される製品の中で、自然から採取されたままの状態であり、加工されていない物)や原料が中心となっている。一方、輸入品は、江戸幕府や各藩が輸入した火器や艦船が上位を占めており、その他は、綿織物、毛織物等を輸入していた。同じ1867(慶応3)年の横浜、長崎、箱館(函館)の3港のシェアをみると、輸出品、輸入品共に、横浜が大部分を占めている。これは、横浜が日本の政治の中心で、一大消費地である江戸、生糸の主要生産地である関東・甲信、茶の産地である静岡と、比較的近場であったこと等の立地条件の有利性があったため、とされる。自由貿易は、関税等、国家の介入、干渉を排して生産者や商人が自由に行なう貿易のことである。19世紀に重商主義(貿易等を通じて貴金属や貨幣を蓄積することにより、国富を増すことを目指す経済思想や経済政策)に基づく保護貿易に対して、イギリスの経済学者・神学者・哲学者アダム・スミス、イギリスの経済学者デヴィッド・リカード、フランスの医師・経済学者フランソワ・ケネーらによって唱えられた。現在は、自由貿易促進を主たる目的として創設された国際機関、世界貿易機関(WTO)が、諸国間の取引のルールを定め、より自由貿易に近い状態が実現されるよう努めている。個々の市場で完全競争原理が働いた場合、生産者と消費者は、市場価格による生産・消費によって最大の利益を享受できる。このような完全競争原理を国際的に適用させようとするものが、自由貿易の理論である。自由貿易の利益は、国際分業によって図られるが、関税等の貿易障壁が高過ぎると、貿易の利益は損なわれ、利益ある国際分業が起きなくなる。このため、関税等を撤廃することで、貿易取引を自由に行ない、経済的な利益を増大させることができる、と考えられている。自由貿易の利益は、一方からの所得移転ではなく、経済全体の所得増大によって実現されるため、貿易に関係する両国が利益を得ることができる。自由貿易を行なっていけば、どの国においても必ず衰退する産業は出てくる。自由貿易では、産業構造調整が生じるが、その調整は簡単でもスムーズでもなく、様々な社会的軋轢を伴ない、困難な過程があるのが常である。この時、特定の比較劣位の産業は厳しい競争にさらされ、衰退する場合があるため、自由貿易への反対は根強い。19世紀前半、国際分業において工業分野で圧倒的優位を誇ったイギリスは、世界的な自由貿易体制確立に腐心していた。生み出す利益が、自国をより優位にすると考えられたためである。元々自由貿易は、産業資本家の要請を受けて展開された。19世紀初頭のイギリスでは、穀物法(穀物価格の高値維持を目的とした法律)や航海法(イングランドの貿易をイングランド船に限定した法律)によって国内市場を保護すると共に、貿易による利益が一部の特許会社に独占されていたが、これに対して、産業資本家から批判の声が上がった。そして、国内市場を保護しないという方針は、19世紀イギリスの基本政策となった。非ヨーロッパ地域では、自由貿易を強制することも可能であったが、ドイツやアメリカに対して、武力で自由貿易を強制することは不可能であった。イギリスは結局、ブロック経済まで一方的に自由貿易を展開することになる。イギリス以外の中核国では、イギリスに対抗し自国産業を育成するために保護関税が導入され、早くに自由貿易は衰退している。1930年代、世界恐慌の猛威にさらされた自由貿易圏諸国(ヨーロッパ、アメリカ、日本等の列強とその植民地)は、自国経済圏における需要が貿易によって漏出し、他国経済圏へ流れるのを防ぐため、関税等の貿易障壁を張り巡らした。これはブロック経済と呼ばれる。自由貿易の途絶により、各国の経済回復の足並みがずれて、経済的な不利益が多大に生じた。20世紀後半、西ヨーロッパでは、諸国同士が経済圏の拡大による利益と安全保障を求めて、貿易障壁撤廃を開始する。周辺のイギリス、フランス、西ドイツ(ドイツ連邦共和国)を巻込んで自由貿易圏を拡大した。これが現在の欧州連合(EU)となった。人的物的資本移動の自由に伴ない、細菌やウイルスまでも自由に国境を越えて移動するようになっており、そのリスクが国家間で双方向に伝わる。世界保健機関(WTO)の定義によると、「かつては知られていなかった、この20年間に新しく認識された感染症で、局地的に、或いは、国際的に公衆衛生上の問題となる感染症」とされている新興感染症の発生は、経済にも悪影響を与える。グローバル化(社会的、或いは経済的な関連が、旧来の国家や地域等の境界を越えて、地球規模に拡大し、様々な変化を引起こす現象)された世界では、一度伝染性疾患が発生すると、ペットやその他の動物の、飛行機や船による輸出入を通して、一気に新興感染症等の疾患が蔓延してしまう。また、無制限な資本移動の自由によって、開発途上国における賃金格差が増大する、という指摘がある。しかし、自由貿易によって、開発途上国の所得水準は向上し、先進国から開発途上国への輸出の拡大という好循環が生まれている、との指摘もある。