6月23日 記念日 その2 | スズメの北摂三島情報局

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2011/08/02 リニューアル
2019/07/14 アメブロ移動
柴犬ハルがお伝えします

オリンピックデー(Olympic Day)。
1894(明治27)年6月23日、国際オリンピック委員会(IOC)がフランスの首都パリで創立されたことを記念した日。提唱者は、フランスの教育者、ピエール・ド・クーベルタン男爵。国際オリンピック委員会(IOC)は、近代オリンピックを主催する団体であり、また、オリンピックに参加する各種国際スポーツ統括団体を統括する組織である。本部はスイス南西部にあり、「オリンピックの首都」とも言われる都市、ローザンヌに置かれている。2009(平成21)年に国際連合総会オブザーバー資格を得たため、国際機関の1つと思われ勝ちであるが、非政府組織(NGO)の非営利団体(NPO)であり、その運営資金は、主に放送権料販売とスポンサーシップ収入による。国際オリンピック委員会(IOC)は、各オリンピック大会を運営する各大会組織委員会の親組織で、五輪の商標、過去の大会の映像等の著作権その他の、オリンピック関連の知的財産権を国際的に保有する唯一の団体である。また、オリンピックに関するスポーツ競技大会以外の活動(文化オリンピック活動、オリンピック博物館[ローザンヌにあるオリンピックをテーマとする博物館]等)も含めた、いわゆる「オリンピック・ムーブメント」を運営統括する団体でもある。さらに、スポーツ振興のための国際組織として、国際競技連盟(IF)とも非常に密接な連携しており、また、国際オリンピック委員会(IOC)の下部組織である国内オリンピック委員会(NOC)を通じて、世界各国のスポーツ振興にも力を注いでいる。国際オリンピック委員会(IOC)の公用語は、第一言語としてフランス語、次に英語で、国際オリンピック委員会(IOC)の全ての会議は、仏英2ヶ国語で運営される。フランス語と英語で解釈上の疑義が有る場合は、フランス語での解釈を優先する。また「オリンピック賛歌」は国際式典において、国歌と同様の扱いを受ける。なお、国際オリンピック委員会(IOC)初代会長は、ギリシャ出身の会社経営者、ディミトリオス・ヴィケラスである。ピエール・ド・クーベルタンが1894(明治27)年にパリで国際会議を催し、ここで近代オリンピック運動が創設されたが、この時に、ディミトリオス・ヴィケラスも出席していた。元々、1900(明治33)年にパリで近代オリンピック最初の式典を開催するというのが、ピエール・ド・クーベルタンの考えであったが、ディミトリオス・ヴィケラスは、ピエール・ド・クーベルタンと新設された国際オリンピック委員会(IOC)に対して、最初の式典はギリシャの首都アテネで開催するべきと説得した。当時の国際オリンピック委員会(IOC)憲章では、会長は次回開催地のある国の人物から選ばれなければならなかったため、ディミトリオス・ヴィケラスは、初代のオリンピック委員会(IOC)会長となった。近代五輪最初の大会は、1896(明治29)年に開催されたアテネオリンピック(第1回オリンピック競技大会)であり、1894(明治27)年の時点では、次回開催地がギリシャの首都アテネであったからである。ピエール・ド・クーベルタンは、アテネオリンピック終了直後に国際オリンピック委員会(IOC)第2代会長に就任し、1925(大正14)年まで会長を務め、近代オリンピックのシンボルである五輪のマークも考案した。また、ピエール・ド・クーベルタンの考案・提唱によって、近代五種競技(1人で射撃・フェンシング・水泳・馬術・ランニングの5競技をこなし、順位を決める複合競技)が1912(明治45)年のストックホルムオリンピック(第5回オリンピック競技大会)から種目に採用された。ピエール・ド・クーベルタンの名言として、「オリンピックは、勝つことではなく参加することにこそ意義がある」の言葉が有名であるが、実はこの言葉は、ピエール・ド・クーベルタンの考え出したものではない。この言葉は、キリスト教の教派の1つである聖公会のペンシルベニア大主教、エセルバート・タルボットが、1908(明治41)年のロンドンオリンピック(第4回オリンピック競技大会)の際に、アメリカの選手達に対して語った言葉である。ロンドンオリンピック(第4回オリンピック競技大会)が開催された当時、アメリカとイギリスは犬猿の仲となっており、アメリカの選手団は、イギリスの首都ロンドンに来てから色々な嫌がらせを受けた。それで気の滅入ってしまったアメリカ選手団が、気分転換にセント・ポール大聖堂(イギリスの首都ロンドン中心部に所在する、教会の教区の中心となる聖堂)の聖餐式(イエス・キリストが最後の晩餐でパンとぶどう酒を弟子達に与え、「パンは私のからだであり、杯は私の血による契約である」と言った言葉を記念して、パンとぶどう酒を会衆に分けるキリスト教の儀式)に出掛けたところ、この大聖堂で、招待されていたエセルバート・タルボット大主教(この時期、聖公会の会議があり、ロンドンに世界中から247もの聖公会の主教が集まっていた)から、「オリンピックは、勝つことではなく参加することにこそ意義がある」との言葉の入った説教を受けて、大いに勇気付けられた。この時のできごとと言葉が伝わり、感銘を受けたピエール・ド・クーベルタンが、各国のオリンピック関係者を招いての晩餐会の席上でのスピーチで、引用して演説したところ、たちまちこの言葉が「ピエール・ド・クーベルタン男爵の演説」として有名になり、世界に広まってしまった、というのが真相である。第二次世界大戦後の1948(昭和23)年、第42次国際オリンピック委員会(IOC)総会において、国際オリンピック委員会(IOC)の創立記念日である6月23日が「オリンピック・デー」に定められた。この日は、各国の国内オリンピック委員会(NOC)により、「オリンピック・ムーブメント」の一環として、記念イベントが実施される。国際オリンピック委員会(IOC)に承認された日本の国内オリンピック委員会(NOC)は、公益財団法人日本オリンピック委員会(JOC)である。日本オリンピック委員会(JOC)は、国際オリンピック委員会(IOC)の日本での窓口として、また、日本における「オリンピック・ムーブメント」を推進する組織として、オリンピック競技大会やアジア大会等の国際総合競技大会への選手派遣事業を行なう。1911(明治44)年の大日本体育協会(日本のスポーツ競技連盟、協会、及び各都道府県の体育協会を統括する団体)の設立と共に、長く日本体育協会(1948[昭和23]年に大日本体育協会から名称変更した)の一委員会であったが、1989(平成元)年8月7日、財団法人日本オリンピック委員会として、独立した法人となり、2011(平成23)年4月1日には公益財団法人へと移行した。オリンピックのメダリストに報奨金を出す等、選手強化に努めてきた。例えば、事業の一環として、「選手強化キャンペーン(旧名称は、がんばれ!ニッポン!)キャンペーン」等が挙げられる。選手強化キャンペーンは、日本オリンピック委員会(JOC)が加盟団体の肖像権を一括して管理し、日本オリンピック委員会(JOC)が指定したオフィシャルスポンサー企業にだけ代理店(現状では、日本最大手の広告代理店で、「広告界のガリバー」の異名を持つ株式会社電通)を介してコマーシャル出演を認め、スポンサー企業は、協賛金を日本オリンピック委員会(JOC)に支払って、選手の強化資金に活用するというシステムである。以前は「がんばれ!ニッポン!キャンペーン」と称していた。但し、現在でも、「がんばれ!ニッポン!」というフレーズ自体は使用している。