6月19日 記念日 その3 | スズメの北摂三島情報局

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2011/08/02 リニューアル
2019/07/14 アメブロ移動
柴犬ハルがお伝えします

ベースボール記念日。
1846(弘化3)年6月19日、アメリカ合衆国東部、ニュージャージー州ホーボーケン(アメリカ合衆国最大の都市、ニューヨーク市を含む都市圏、ニューヨーク都市圏に属している)のエリシアン球場で、ニッカ・ポッカベースボールクラブが、現行にほぼ近いルールで、公式な記録に残るものとしては初めて、野球の試合が行なわれたことを記念して制定。ベースボール(野球)は、主に競技の発祥国とされているアメリカ合衆国を始め、キューバやドミニカ共和国等の南北アメリカ大陸に挟まれたカリブ海周辺の諸国、日本や韓国、台湾等といった東アジア地域の国や地域を中心に行なわれている球技スポーツである。近年では、ヨーロッパやアフリカ等にも広まりを見せている。「野球」と言う言葉は、明治期に、日本で教育家の中馬庚が作った和製漢語である。日本では国技ではないものの、非常に人気の高いスポーツであり、野球用語である「ヒット」「アウト」「トップバッター」「セーフ」「続投」「ピンチヒッター」等の言葉は、野球以外でも、様々な局面に転じて使われている。野球用の帽子、ベースボールキャップ(野球帽)は、ヒップホップ系ファッション等のファッションの分野において着用される他、しばしば軍事や警察、消防等といった行政機関の作業帽・活動服の一部として取入れられることもある。日本へは、1871(明治4)年に来日したアメリカ人教師ホーレス・ウィルソンが、当時の東京開成学校予科(現在の東京大学の前身の1つ)で教え、その後全国的に広まった。従って、日本国内の野球の創成期の歴史は、そのまま大学野球の創成期の歴史と重なっている。第二次世界大戦前から1950年代前半までは、プロ野球よりも、東京六大学野球等に代表される学生野球の人気の方が高かった。1950年代後半に読売ジャイアンツ(読売巨人軍)の長嶋茂雄や王貞治といったプロ野球選手が国民的な人気を得ると、プロ野球が六大学野球に代わり、1990年代前半までの野球人気を担った。1995(平成7)年に近鉄バファローズ(当時、2005[平成17]年3月末に解散)のエース投手であった野茂英雄が、メジャーリーグベースボール(MLB、大リーグ)のロサンゼルス・ドジャースへ移籍して成功を収めると、これに端を発して、次々と日本国内の人気プロ野球選手達がメジャーリーグベースボール(MLB、大リーグ)へと移籍し、本格的な日本人選手のメジャーリーグベースボール(MLB、大リーグ)挑戦が始まった。それに伴ない、主に日本放送協会(NHK)の衛星放送等で、盛んに日本人選手の出場するメジャーリーグベースボール(MLB、大リーグ)の試合が放送され始めた。また、野球の世界一決定戦ワールドベースボールクラシック(WBC)において、日本が第1回大会から2連覇し、各試合で高視聴率を記録した。但し、地上波でのプロ野球中継は視聴率が低迷し、2008(平成20)年頃からは、テレビで放送した場合の視聴率は一桁が多い。そのため、放送の削減が進んでいる。しかし、低迷の原因は延長放送がないためであり、延長放送ありのBS放送やCS放送、インターネットでの放送の人気が高まりつつある。また、報道量上位7競技の中では、プロ野球の比率が非常に高く、その報道量は多い。特に、スポーツ新聞の1面を占める割合も高い。阪神甲子園球場で毎年8月に行なわれる全国高校野球選手権大会は、夏の風物詩として定着しており、時には、太田幸司、荒木大輔、松坂大輔、斎藤佑樹等の社会的関心を浴びるまでの高校球児が出現することもある。全国中等学校優勝野球大会として、1915(大正4)年に第1回大会が開催され、100年以上続く全国高校野球選手権大会(「夏の甲子園」)は、2020(令和2)年に開催予定であった第102回大会が、新型コロナウイルス感染症の流行を考慮し、大会中止となった。1918(大正7)年の第4回全国中等学校優勝野球大会は、コメの価格急騰に伴なう暴動事件、1918年米騒動により中止され、1941(昭和16)年(第27回全国中等学校優勝野球大会)から1945(昭和20)年までは、第二次世界大戦対米英戦の影響で中止された(戦争のための中断)。第102回大会の中止は、79年振り3度目のこととなり、全国高校野球選手権大会と名称を変更してからは史上初、また、春夏連続の中止も史上初である。なお、1936(昭和11)年2月5日、日本職業野球連盟(現在の日本野球機構[NPB]のルーツ)が結成され、プロ野球が誕生したことから、2月5日が「職業野球連盟設立の日/プロ野球の日」、8月9日の「8」と「9」で「野球(や[8]きゅう[9])」の語呂合せと、全国高校野球選手権大会の期間中でもあり、野球に対する関心が高まる季節であることから、8月9日が「野球の日」とされている。 
ロマンスの日。 
大切なパートナーとの仲ががいつまでも続くように、この日に非日常的な演出をして、2人の関係にトキメキを甦らせてもらおうと、東京都港区赤坂に事務局を置く、一般社団法人日本ロマンチスト協会が制定。「大切な人を世界で一番幸せにする日」を記念して、幸せを分かち合い、絆を確かめ合う2人の誠実な誓いとして「真実の愛」の象徴である「青」に、「最愛」というメッセージを込めて、大切な人に「何かひとつ青いもの」を贈ることを提案している。ロマンチストの聖地とされる、長崎県雲仙市愛野町で「ジャガチュー(ジャガイモ畑の中心でロマンスを叫ぶ)」等のイベントを行なっている。日付は、6月19日の「6」と「19」で、「ロ(6)マンティ(1)ック(9)」の語呂合わせ等から。1911(明治44)年に島原鉄道(長崎県の島原半島一帯で、鉄道や路線バス運行事業、船舶運航事業等を経営している会社)の本諫早駅 - 愛野村駅(現在の愛野駅)間が開通し、1913(大正2)年には、島原鉄道線の諫早駅 - 島原湊駅(現在の南島原駅)間が全線開通した。島原鉄道線の途中駅となる愛野駅から吾妻(あづま)駅間の乗車キップは、両駅の名前を繋げると、「愛しのわが妻」と読めることから、全国的にも有名となった。これを受けて、愛野駅と長崎県雲仙市愛野町は、「ロマンチストの聖地」「愛の聖地」として、カップルや愛妻家に親しまれ、新婚旅行、日頃の罪滅ぼしの場所として、ロマンス文化の発展に貢献してきた。長崎県南高来郡愛津村と野井村が、1889(明治22)年に合併して長崎県南高来郡愛野村となった際の合成地名、「愛野」の名をもつ現在の長崎県雲仙市愛野町には、多くの愛とロマンスが育まれた愛野協会、メルヘンチックなかわいらしい愛野駅、愛野展望台がある。日本ロマンチスト協会の本部もこの地に設置され、ロマンス文化の発展を目指している。また、長崎県は北海道に次ぐ全国有数の馬鈴薯(ジャガイモ)の産地で、暖地馬鈴薯の代表的な産地となる長崎県雲仙市愛野町は、ブランドジャガイモ「愛の小町」の産地としても有名であり、「愛の小町」は、「ホクホクしていて煮くずれしない。美味しくてヘルシー」と評判になっている。ジャガイモは本来、アンデス山脈(南アメリカ大陸の西側にある、世界最長の山脈)の高山植物であるため暑さに弱く、気温の高い九州での夏季の栽培には適さないが、冬は温暖なためよく育つ。そのため、愛野町を含め、長崎県では秋に植えて正月頃に収穫し、さらに、正月頃に植えて春に収穫するという、二期作が行なわれている。愛野町では、水はけのよい火山性堆積物の畑地基盤の上に、諫早湾を挟んで対岸の多良岳に位置する長崎県諫早市小長井町(旧長崎県北高来郡小長井町)の、玄武岩の風化したミネラル類に富んだ赤い土を客土して、味のよいジャガイモの生産に努めている。島原半島内の他の地域と異なり、愛野町の畑の土が、目立って赤いのはこのためである。  
プログラミング教育の日。
大阪府池田市室町に本社を置く、プログラミング教材の開発やプログラミング教室の運営等を手掛ける企業、株式会社ロジカ・エデュケーションが制定。プログラミング教育の必修化、共通テストでの新設の決定等、プログラミング教育が重要視されるようになっている。そうした背景から、プログラミング教育についての正しい知識の発信や、実際にプログラミングに触れる機会を設ける等の活動を通じて、プログラミング教育の躍進に繋がる記念日にすることが目的。日付は、6月19日の「6」と「19」で、「ロ(6)ジッ(10、十)ク(9)」の語呂合わせから。プログラミング教育は、論理的思考を鍛えることに最も効果を発揮することから、論理を意味する「logic(ロジック)」にかけたもの。株式会社ロジカ・エデュケーションは事業として、「ロジカ式」という子ども向けのプログラミング教室を開いている。「ロジカ式」は、公立小学校でも採用されている安心の教育ブランドで、その採用実績は46万人以上とされる。単なるプログラミング教室ではなく、子ども達の夢見る力とコミュニケーション力を育むことで、周りから愛され尊敬される大人になれるよう、全力でサポートする。そして、社会人としての基礎力をしっかり育める。