6月19日 記念日 その4 | スズメの北摂三島情報局

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2011/08/02 リニューアル
2019/07/14 アメブロ移動
柴犬ハルがお伝えします

紛争における性的暴力根絶のための国際デー
(International Day for the Elimination of Sexual Violence in Conflict)。
2015(平成27)年6月19日の国際連合総会で制定された国際デーの1つ。2008(平成20)年6月19日に採択された、国際連合安全保障理事会(国連安保理)決議1,820号を記念して日付が決定された。国際連合安全保障理事会(国連安保理)は、紛争における性的暴力が、平和と安全の維持に影響を及ぼすと認識し、紛争における性的暴力が、戦争犯罪に相当することを明らかにした。また、武力紛争の当事者に対し、兵員の訓練と懲戒処分の執行を含め、民間人を性的暴力から守るための適切な措置を、直ちに講じるよう求めた。性的暴力はテロ戦術として、最も恐ろしい形で利用される場合もあり、過激派集団による強制結婚、拉致や性的奴隷制の被害者となった女性や少女が、多く存在することも事実である。解放後も社会的な孤立や抑うつに苦しむことがあり、これらの人々に対するケアや支援が求められる。また、望まない妊娠により、生まれた子どもとその母親に対する医療・心理・社会面での専門的な支援が必要となる。「紛争における性的暴力」とは、女性、男性、少女、少年に対する性的暴力を意味する。この国際デーは、この世界的な問題について一般の人々の意識を高め、紛争における性的暴力の根絶を目的としている。また、性的暴力の被害者や、命を失った全ての人々に敬意を表する日である。 
世界鎌状赤血球症デー(World sickle cell disease Day)。
鎌状赤血球症の撲滅を訴える日。鎌状赤血球症とは、遺伝性の貧血病で、赤血球の形状が鎌状になり、酸素運搬機能が低下して起こる貧血症である。主にアフリカ、地中海沿岸、中近東、インド北部等で見られ、腹痛、骨の痛み、吐き気の時に疑われる疾患の1つとされる。鎌状赤血球遺伝子を持つ者は、日本には殆ど見られないが、マラリア(「悪い空気」という意味の古いイタリア語が語源とされる、熱帯から亜熱帯に広く分布する原虫[寄生性で、特に病原性のある原生動物]感染症)が比較的多く発症するアフリカにはかなり見られる。鎌状赤血球の遺伝子と、マラリアの流行には深い関係がある。マラリアは幼児期に罹ると、死に至る可能性が高い感染症である。つまり、鎌状赤血球症自体は、保有者の生存に不利であるが、マラリア蔓延地域では、その遺伝子をヘテロ接合型で持つものは非保有者と比べ、相対的に自然選択において有利であり(生存確率が高い)、この遺伝子が維持されていると考えられている。しかし、保有者ばかりになれば、保有者同士の子にはホモ接合型で持つ者が増えるため、非保有者が頻度依存淘汰的に有利になり、非保有者の割合も一定に保たれていると考えられる。ヒトを含む、有性生殖をする動物の殆どは、染色体を2組持った生物であり、このような生物は二倍体と呼ばれる。二倍体生物がもつ相同な染色体のペアは、性決定システムに関与する染色体のような例外を除き、基本的に同一の遺伝子座(座位)を持つ。しかしながら、同じ座位であっても、そのDNA(核酸の一種で、地球上の多くの生物において、遺伝情報の継承と発現を担う高分子生体物質であるデオキシリボ核酸)の配列までは必ずしも一致していない。この多様性がアレル(対立遺伝子)と呼ばれる。二倍体個体において、相同な染色体ペアの双方のアレル(対立遺伝子)が同一である時、その座位に関してホモ接合型とされ、アレル(対立遺伝子)が異なる時は、ヘテロ接合型とされる。鎌状赤血球症は、黒人の若者で、腹痛、骨の痛み、吐き気の時に疑われる疾患の1つで、発作時は、生理食塩水の大量点滴、輸血、酸素投与が行なわれる。現在では、遺伝子治療も研究されている。
魚がし日本一・立喰い寿司の日。
東京都千代田区有楽町に本社を置き、海産物を中心とした飲食店の経営・企画等を行なう企業、株式会社にっぱんが制定。2019(令和元)年に株式会社にっぱんの立喰い寿司屋である「魚がし日本一」が創業30周年を迎えることを記念し、多くの顧客や関係者に日頃の感謝の気持ちを表わすことが目的。日付は、日本初の立喰いスタイルチェーン店1号店の「魚がし日本一新橋駅前店」が開店した、1989(平成元)年6月19日から。立喰い寿司「魚がし日本一」は、都心を中心に駅近の立地にあり、新鮮なネタを使った握りたての江戸前寿司を、リーズナブルに提供している。いつでも、好きなネタを、好きなだけ食べられる。元祖立喰い寿司の店であり、約200年前の「寿司屋台」への原点回帰でもある。カウンター越しに出される鮮度の良いネタと温かいシャリの握りが、多忙なビジネスマンの食をサポートしている。立喰い寿司の店の利点としては、販売側が客席を設けないことで、混雑時に顧客の回転率を低下させないことや、面積当たりの収益率を上げる効果等が挙げられる。食事を手早く済ませたいニーズが多い、駅構内やオフィス街の一角等に立地される。江戸時代後期に登場した江戸前の握り寿司は、屋台料理として、瞬く間に江戸市中に拡がった。屋台で廉価な寿司を売る「屋台店」が市中に溢れる一方で、「内店」と呼ばれる固定店を構える寿司屋では、比較的高価な寿司を売った。第二次世界大戦後は、衛生上の理由から屋台店が無くなり、寿司屋は概ね、高級な料理屋の部類に落着いた。
桜桃忌、太宰の日、太宰治生誕祭。
1948(昭和23)年6月13日に自殺した、「無頼派」「新戯作派」とも呼ばれる「破滅型作家」の代表的な存在とされる作家、太宰治の遺体が発見された日。太宰治は1933(昭和8)年、短編小説『列車』でデビューし、この作品で初めて太宰治の筆名を用いる。処女短編作品集『晩年』を上梓し、『富嶽百景』『駆け込み訴へ』『走れメロス』等の優れた短編小説を発表した。1947(昭和22)年、没落華族を描いた長編小説『斜陽』が評判を呼び、「斜陽族」が流行語となる等、流行作家となる。さらに、中編小説『人間失格』や短編小説『桜桃』等を書上げる。太宰治が戦争未亡人の愛人、山崎富栄と東京都北多摩郡三鷹町(現:東京都三鷹市)の玉川上水に入水心中したのは6月13日。遺体は6日後の6月19日に発見され、さらに、偶然にも6月19日は、太宰治の誕生日でもあったことから、6月19日は「桜桃忌」と呼ばれるようになった。この日、東京都三鷹市下連雀にある寺院、禅林寺で供養が営まれ、全国から多くの愛好家が訪れる。「桜桃忌」の名前は、桜桃の時期であることと、晩年の短編小説『桜桃』に因むもの。太宰治の出身地である青森県北津軽郡金木町(現:青森県五所川原市)でも、「桜桃忌」の行事を行なっていたが「生誕地には、生誕を祝う祭の方がふさわしい」という遺族の要望もあり(太宰治は、1909[明治42]年6月19日生まれ)、生誕90周年となる1999(平成11)年から「生誕祭」に名称を改めた。青森県五所川原市金木町朝日山に所在する、太宰治記念館「斜陽館」は太宰治の生家で、現在は、五所川原市太宰治記念館「斜陽館」として、五所川原市立の施設となっている。また、2004(平成16)年には、近代和風住宅の代表例として、国の重要文化財に指定されている。建物は、1907(明治40)年に太宰治の父で、衆議院議員であった津島源右衛門によって立てられたものであり、当時の住所は青森県北津軽郡金木村であった。太宰治の死後、1950(昭和25)年に津島家は、この家を売却する。町内の旅館経営者が買収し、太宰治文学記念館を併設した旅館として改装され、太宰治の長編小説『斜陽』から「斜陽館」と命名された。1950(昭和25)年から営業を始めた旅館「斜陽館」は太宰治ファンが多く宿泊に訪れており、中には喫茶店も併設されていた。また、文学記念館は宿泊者以外にも公開され、多くの太宰治ファンで賑わった。その後、旅館の経営が悪化して、経営者が手放す旨を発表し、青森県北津軽郡金木町(当時)は、経営者から斜陽館を買取り、町営の文学記念館として、1998(平成10)年に、太宰治記念館「斜陽館」となり改装オープンした。2005(平成17)年、青森県五所川原市と青森県北津軽郡金木町、青森県北津軽郡市浦村が合体(新設合併)して、改めて五所川原市(第2次五所川原市)が発足。太宰治記念館「斜陽館」も、市営の文学記念館となった。旅館が廃業となり、従来のような宿泊はできなくなったものの、太宰治の文学資料、また、昭和初期の大地主であった津島家の貴重な資料を展示する資料館として、多くの観光客、太宰治ファンが訪れている。