6月16日 記念日 その5 | スズメの北摂三島情報局

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2011/08/02 リニューアル
2019/07/14 アメブロ移動
柴犬ハルがお伝えします

スペースインベーダーの日。
東京都新宿区新宿に本社を置き、アミューズメント施設の運営・アミューズメント機器の開発、モバイルゲーム(携帯ゲーム)の企画・開発・運営とその配信等、エンターテインメント事業を手掛ける企業、株式会社タイトーが制定。日付は、アーケードビデオゲーム「スペースインベーダー(Space Invaders)」が初めて世に出た、1978(昭和53)年6月16日から。株式会社タイトー(初代法人時代)から発売された「スペースインベーダー」は、世界的にブームを巻起こし、日本のゲーム文化が花開くきっかけにもなった。記念日は、2018(平成30)年で発売40年となることを記念したもの。生誕40周年を迎えることを記念して、2018(平成30)年1月には、六本木ヒルズ(東京都港区六本木に所在する複合商業施設)展望台「東京シティビュー」(海抜250mの屋内展望回廊と、海抜270mの屋外展望回廊「スカイデッキ」を有する展望施設)において、「スペースインベーダーと遊ぼう!」をテーマとした「PLAY!スペースインベーダー展」が開催された。初代法人時代の株式会社タイトーは、純国産ジュークボックス(自動販売機[自動サービス機]の一種で、内部に多数[数百枚から2,000枚程度]のレコードを内蔵し、硬貨を投入することで任意の音楽を演奏させ楽しむもの)1号機の開発や、パチスロ(パチンコ店等に設置される、スロットマシンに似た遊技機のことで、「パチンコ型スロットマシン」の略称である)の嚆矢(物事の始まり)となる「オリンピア」(既存のスロットマシンを流用して開発された遊技機)の風俗営業許可の取得、遠隔操作のマジックハンドで玩具を吊上げる「クレーンゲーム」の開発等でも知られる。2006(平成18)年、ゲームソフト販売や開発等を手掛ける企業、株式会社スクウェア・エニックスの完全子会社となり、現在は、株式会社スクウェア・エニックスが持株会社(他の株式会社の株式を多数保有することによって、その会社の事業活動を支配することを事業としている会社)体制へ移行したことから、株式会社スクウェア・エニックス・ホールディングスの機能子会社(自社、或いは、グループ会社へのサービス提供を主な生業とする会社)となっている。「スペースインベーダー」は、株式会社タイトーが1978(昭和53)年に発売したアーケードゲームであると共に、これを初めとする株式会社タイトーの後継製品や、他社製の類似商品・模倣品までをもが総称され、「インベーダーゲーム」と呼ばれる。「敵キャラクターが攻撃を仕掛けてくるゲーム」としては、世界で初めて大ヒットしたゲームで、シューティングゲーム(主に弾丸やレーザービーム等の飛び道具を用いて、敵[機]を撃ち落とすコンピュータゲームのジャンルの1つ)に属し、画面上方から迫り来るインベーダー(敵キャラクター)を、移動砲台の自機で撃ち、全滅させることを目的とする。時々、上空に母艦のUFOが出現し、これを撃ち落とすとボーナス点を獲得できる。敵弾を回避して敵を撃つ、というこのゲームシステムは、他のシューティングゲームに受継がれた。記録的な大ヒットにより、著作権を無視したコピーゲームが氾濫し、それらを作ったメーカーは、後に家庭用ゲーム用のソフトハウスとして、世界的な存在となったものも少なくない。社会現象となり、ゲームセンターが次々に開店し、喫茶店やスナックのテーブルの多くがインベーダーゲーム用のテーブルに変わった。日本のシューティングゲームの始祖の1つとされる「スペースインベーダー」の人気の理由は、100円で1時間以上遊べることに加え、敵が自機を認識して攻撃してくるアルゴリズム(問題を解決するための方法や手順)にある。当時のTVゲーム黎明期の時代、敵キャラクターが自機を攻撃して、プレイを妨害する形態のゲームは存在したが、その「自機に対する攻撃」は、あくまで擬似的な「障害物要素」であって、アルゴリズム的に自機に対し、能動的に攻撃を行なうプログラムを持つものではなかった。しかし、「スペースインベーダー」は、インベーダーがある程度、自機の位置を認識して攻撃を仕掛けてくるため、単にそれまでの障害物を乗越えるだけの要素のゲームとは違い、「コンピュータと対戦している」という攻防の要素が加味されたのも、ヒットの要因と言われている。    
手羽トロの日。
大阪市旭区大宮に本社を置く、鶏肉加工食品の販売を手掛ける企業、株式会社マザーフーズが制定。日付は、数字の「6」が手羽元の形に似ていることと、「16」を「ト(10、十)ロ(6、六)」と読む語呂合わせから、6月16日に。株式会社マザーフーズが登録商標している「手羽トロ」は、鶏1匹から僅かな量しか取れない希少部位で、その美味しさを多くの人に知ってもらうことが目的。株式会社マザーフーズは、2008(平成20)年6月16日に設立された会社で、この日は「マザーフーズ設立記念日」でもある。手羽トロとは、鶏肉の手羽元から太い骨を完全に取除いた肉である。その肉を唐揚げにした手羽トロ唐揚げは、柔らかくプリプリとした食感で、もも肉にも胸肉にもないその食感が、マグロでいうトロのようであることから、「手羽トロ」という名前が付けられた。株式会社マザーフーズは、名付け親として「手羽トロ」「手羽トロ唐揚げ」の商標登録を取得している。「手羽トロ」という部位があると思われる程に、その名前は広く知れ渡った。また、手羽トロ唐揚げは年間約240トンもの出荷となり、手羽元の価格が高騰する程の大ブレイクを引起こした。  
ユリシーズの日、ブルームズ・デー。
アイルランド出身の作家、ジェイムズ・ジョイスの名作長編小説『ユリシーズ』では、1904(明治37)年6月16日の朝8時から、翌日午前2時過ぎまでの約18時間に、18の挿話が展開することから、世界中のファンから記念日の扱いをされている。別名の「ブルーム・デー」は、主人公の名前「レオポルド・ブルーム」に由来する。ジェームズ・ジョイスは、20世紀の最も重要な作家の1人と評価される。1922(大正11)年に出版された画期的な小説『ユリシーズ』は、20世紀前半のモダニズム文学(都市生活を背景にし、既成の手法を否定した前衛的な文学運動)における最も重要な作品の1つであり、フランスの作家、マルセル・プルーストの長編小説『失われた時を求めて』(マルセル・プルーストが半生をかけて執筆した大作)と共に、20世紀を代表する小説と見做されている。物語は、さえない中年の広告取り「レオポルド・ブルーム」を中心に、ヨーロッパ大陸北西沖の北大西洋東部に位置する島、アイルランド島東部の都市で、アイルランドの首都ダブリンのある一日(これが1904[明治37]年6月16日)を多種多様な文体を使って詳細に記録している。タイトルの『ユリシーズ』は、ギリシャ神話の英雄、オデュッセウスのラテン語(ギリシャ語と並んで西欧の古典語で、古代ローマ帝国の公用語であり、中世から近代の初めに至るまで、カトリック教会を中心とする全ヨーロッパの知識層の、言わば共通の文語として用いられた)形の英語化であり、18の章からなる物語全体の構成は、アオイドス(吟遊詩人)、ホメロスの作として伝承された古代ギリシャの長編叙事詩『オデュッセイア』との対応関係を持っている。例えば、英雄オデュッセウスは、さえない中年男レオポルド・ブルームに、息子テレマコスは、作家志望の青年スティーヴンに、貞淑な妻ペネロペイアは浮気妻モリーに、20年に亘る辛苦の旅路は、たった1日のできごとに、それぞれ置換えられる。また、ダブリンの街を克明に記述しているため、ジェイムズ・ジョイスは「例えダブリンが滅んでも、『ユリシーズ』があれば再現できる」と語ったという。 
カビ取るデー。
東京都渋谷区桜丘町に本店を置き、洗濯槽クリーナー「カビトルネード」等の美容、日用雑貨、機能衣料商品を企画販売する企業、株式会社リベルタが制定。カビや汚れが気になる6月の梅雨の時期と、12月の大掃除の時期に記念日を制定することで、洗濯槽のカビをクリーナーを使ってきれいにすることは元より、他のカビも取る意識を高めてもらうことが目的。日付は、6月と12月の年2回、カビを「取る(と[10,十]る[6])」の語呂合わせで16日としたもの。
父の日(Father's Day)。
6月第3日曜日。1910(明治43)年、アメリカ合衆国西海岸最北部のワシントン州東部に位置する中規模商工業都市、スポケーンにいたソノラ・スマート・ドッド(ジョン・ブルース・トッド夫人)が、男手1つで自分を育ててくれた父を讃え、教会の牧師に依頼して、父の誕生月である6月に礼拝をしてもらったことがきっかけと言われている。ソノラ・スマート・ドッドが幼い頃、南北戦争(アメリカ合衆国と、奴隷制存続を主張するアメリカ南部諸州の内、11州が合衆国を脱退して結成したアメリカ連合国との間で行なわれた戦争)が勃発。父ウィリアム・ドッドが召集され、ソノラ・スマート・ドッドを含む子ども6名は母親が育てることになるが、母親は過労が元で、ウィリアム・ドッドの復員後間もなく亡くなった。以来男手1つで育てられたが、ウィリアム・ドッドも子ども達が皆成人した後、1909(明治42)年に亡くなった。最初の父の日の祝典は、その翌年の1910(明治43)年6月19日にスポケーンで行なわれた。当時既に母の日が始まっていたため、ソノラ・スマート・ドッドは父の日もあるべきと考え、「母の日のように父に感謝する日を」と牧師協会へ嘆願して始まった訳である。1916(大正5)年、アメリカ合衆国第28代大統領ウッドロー・ウィルソンは、スポケーンを訪れて父の日の演説を行ない、これにより父の日が認知されるようになる。1966(昭和41)年、アメリカ合衆国第36代大統領リンドン・ジョンソンは、父の日を称賛する大統領告示を発し、6月の第3日曜日を父の日と定めた。さらに、1972(昭和47)年には、当時のアメリカ合衆国第37代大統領リチャード・ニクソンが「6月の第3日曜日は父の日」と宣言し、アメリカでは正式な祝日となった。母の日の花がカーネーションであるのに対し、父の日の花はバラで、ソノラ・スマート・ドッドが、父の日に父親の墓前に白いバラを供えたからとされている。1910(明治43)年の最初の祝典の際には、キリスト教主義に立ち、教育・スポーツ・福祉・文化等の分野の事業を展開する非営利公益団体であるキリスト教青年会(YMCA)の青年が、父を讃えるために、父が健在の者は赤いバラ、亡くなった者は白いバラを身に付けたと伝えられる。父の日は、母の日と比べると日本に伝わったのも一般に定着したのも、随分遅れている。日本では、1981(昭和56)年に設立された日本ファーザーズ・デイ委員会が様々なキャンペーンを行なっており、父の日には「黄色いリボン」を贈るよう推奨している。古来、イギリスで「黄色」は身を守るための色とされており、この考え方がアメリカに渡って「幸福の黄色いリボン」となり、「愛する人の無事を願うもの」となったからである。「父の日黄色いリボンキャンペーン」では、幸せや幸福の象徴である「黄色」を「父の日」のイメージカラーとしていて、このことがバラの花と融合して、黄色のバラを送るようにしたという。
イケダンの日。
東京都品川区西五反田に本社を置く、日本を代表する化粧品メーカーで、アンチエイジングのリーディングカンパニーを目指す株式会社ポーラが制定。女性だけでなく男性の「美しくイキイキとした生き方」を応援したいとの想いが込められ、イケてる男性、イケてる旦那さまから「イケダンの日」と命名。日付は、男性や旦那さまのシンボル的な記念日である「父の日」に因んでいる。 
モンブランの日。
兵庫県神戸市西区上新地に本社を置く洋菓子店、株式会社モンブランが社名に因み制定。「母の愛は海より深く、父の恩は山より高く」の言葉から「父の日」に、ヨーロッパアルプス最高峰の名を冠するケーキ「モンブラン」を父に贈る習慣を広めたいとの願いからこの日に。「モンブラン」とは、栗をふんだんに使ったケーキである。山の形に似せて作ったことからこう呼ばれる。名前の由来は、フランスとイタリアの国境に位置する、ヨーロッパアルプスの最高峰(西ヨーロッパでも最高峰)モンブラン(標高4810.9m)であり、フランス語で「白い山」を意味する。形状や大きさ、土台となる生地部分には様々なバリエーションがあるが、栗を用いたクリームを山状にデコレーションされたものが、多くのものに共通する。 
父の日はうなぎの日。
岐阜県各務原市鵜沼西町に本社を置き、人気のうなぎ店「うなぎ屋たむろ」を運営する「岐阜鰻 たむろ」が制定。「岐阜鰻 たむろ」は、品質に拘った美味しいうなぎを提供、うなぎの蒲焼の通信販売も行なっており、父の日にうなぎの蒲焼を贈る人が多いことから、「父の日に美味しいうなぎを家族みんなで食べる」という食文化を広めることが制定の目的とされる。日付は、「父の日」である6月の第3日曜日としている。「岐阜鰻 たむろ」の通信販売では、「岐阜鰻たむろ極」の商品名で、「うなぎの蒲焼き」と「うなぎの白焼き」を販売している。「岐阜鰻たむろ極」は、モンドセレクションにおいて2016(平成28)年に金賞、2017(平成29)年に最高金賞を受賞している。なお、モンドセレクションとは、食品、飲料、化粧品、ダイエット、健康を中心とした製品の技術的水準を審査する民間団体であり、ベルギー連邦公共サービスより指導、及び監査を受け、モンドセレクションより与えられる認証(この組織では、賞と表記している)である。
さくらんぼの日。
6月第3日曜日。1990(平成2)年3月、さくらんぼの産地である山形県寒河江市が「日本一のさくらんぼの里」をPRするために、さくらんぼ狩りの最盛期とされる6月の第3日曜日を「さくらんぼの日」と制定した。さくらんぼ(桜桃)は、丸みを帯びた赤い実が多く、中に種子が1つある核果類に分類される。短いハート型をしており、糖度が高く、甘さ十分で、酸味とのバランスが抜群に良い、贈答用にも人気の品種、佐藤錦は、国内で最も多く生産されているもので、1912(大正元)年から約16年かけて開発された。名前は、ヨーロッパ各国で栽培されている、日持ちは良いが固く酸味の強い「ナポレオン」と、味は良いが日持ちが悪い「黄玉」を交配して育成した山形県東根市の篤農家(農業に熱心で研究的な人)、佐藤栄助の名と、「砂糖のように甘い」という意味に因んで、1928(昭和3)年に命名された。さくらんぼの生産地としては、山形県が全国の収穫量の約7割を占めており(その中でも、山形県東根市は生産量日本一)、それに次ぐ青森県と山梨県を合わせた上位3県で、全国の約9割近くを生産している。なお、数字の「6」がさくらんぼのシルエットに見えること、収穫の最盛期を迎えることから、自他共に認める高品質な「山形のさくらんぼ」をさらに広くPRしようと、全国農業協同組合連合会山形県本部(JA全農山形)が制定した「山形さくらんぼの日」は、「6」が並ぶ6月6日とされている。