6月15日 記念日 その4 | スズメの北摂三島情報局

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2011/08/02 リニューアル
2019/07/14 アメブロ移動
柴犬ハルがお伝えします

世界高齢者虐待啓発デー(World Elder Abuse Awareness Day)。
2011(平成23)年12月の国際連合総会で制定された国際デーの1つ。現在、世界の殆どの国において高齢者の人口が増加しており、その増加に伴なって、高齢者の虐待の数も増加すると予想されている。これまでタブー視されてきた、高齢者虐待の問題が世界中で認知され始めたが、国により最も調査されていない暴力の1つであり、国の行動計画では、最も対処されていない問題の1つでもある。高齢者虐待には、殴る・蹴る等の暴力による身体的虐待、暴言や無視、嫌がらせ等の心理的虐待、勝手に年金・預貯金等を使う経済的虐待、性的虐待、介護・世話の放棄・放任等、様々な形態の虐待がある。高齢者虐待は、世界中の多くの高齢者の健康と人権を侵害する世界的な社会問題であり、この国際デーは、高齢者の虐待や苦しみに対して反対を表明する日であり、虐待防止のための取組みを啓発する日である。高齢者虐待は防止することができ、全ての人がその役割を担っている。虐待をしている人に自覚がない場合もあり、周りの人は虐待のサインに気付くこと、発見した場合には、区市町村の相談窓口に連絡すること、高齢者は家族や友達との関係を維持すること等が挙げられる。
千葉県民の日。
1983(昭和58)年、千葉県の人口が500万人を突破したことを記念して、翌年の1984(昭和59)年に、「県民の日を定める条例(昭和59年3月26日千葉県条例第3号)」によって制定された。1873(明治6)年6月15日、下総国(現在の千葉県北部、茨城県南西部等に相当)内の管轄のために、明治政府によって設置された県で、現在の千葉県北西部、茨城県南西部、埼玉県東部の一部を管轄した印旛県と、上総国(現在の千葉県中部に相当)、安房国(現在の千葉県南部に相当)一円の管轄のために設置された木更津県が合併し、初めて千葉県の名称が使われたことに因む。県庁は、印旛県と木更津県、旧両県の境界の千葉県千葉郡千葉町(現在の千葉市)に設置された。一般公募により選ばれたもので、「県民が、郷土を知り、ふるさとを愛する心をはぐくみ、共に次代に誇りうるより豊かな千葉県を築くことを期する日」としている。この日は、千葉県の公立学校等が休みであり、千葉県民のみの休日である。また、千葉県民の日を記念して、県内の各種施設等が入場料無料、又は、割引となる。なお、県民の日における学校の授業については、全ての県立学校が休業日としているが、市町村立小中学校は、学校の設置者である各市町村が、地域の実態に合わせて、市町村毎に休業日にするかどうかを決めている。千葉県は、平野と丘陵が県土の大半を占め、海抜500m以上の山地がない日本で唯一の都道府県である。地勢上、広大な可住地(総面積から林野面積と主要湖沼面積を除いたもの))と長大な海岸線を持つ。平地の割合が大きく、可住地面積が広いことや、東京都に隣接しており、首都圏の一角をなすこと等から、古くから住宅開発が進んでいる。県北西部の人口は稠密であるが、東部や中南部では、多くの地域で人口の減少が進んでいる。また、一部の市町は過疎地域に指定されている。浦安市から富津市までの東京湾沿岸には広大な埋立地が広がり、京葉工業地域の中枢として、市原市の石油化学コンビナートや、千葉市と君津市にある製鉄所等が立地している。一方、地勢を生かした農漁業も盛んに行なわれており、農業産出額、漁業総生産量共に全国で有数である。一方、酪農発祥の地である峯岡牧(現在の千葉県鴨川市と南房総市の一部に当たる地域で、江戸幕府によって馬の育成が行なわれ、1728[享保13]年にインド産と言われる白牛が輸入され、乳製品作りが始まっており、明治維新後は、新政府の嶺岡牧場として引継がれる)や、日本三大漁港の銚子漁港(千葉県銚子市の太平洋に面する漁港で、3つの卸売市場を抱える日本屈指の水産物流通拠点であり、年間水揚量では全国第1位となっている)等、太平洋や関東平野の地勢を生かした近郊農業・漁業が発達しており、平野部では畑作・稲作が盛んな他、丘陵部では酪農が盛んである。農業産出額は全国第3位、漁業総生産量は第5位と、全国有数である。貿易港としても、貿易額日本一の成田国際空港や、日本三大貿易港である千葉港を有する。2015(平成27)年度の県内総生産は約20兆2,186億円であり、世界の過半数の国の国内総生産より大きな規模を有している。 
栃木県民の日。
1985(昭和60)年に栃木県が、「栃木県県民の日に関する条例(昭和60年9月30日栃木県条例第27号)」によって制定。「県民一人ひとりが、郷土を見直し、理解と関心を深め、県民としての一体感と自治の意識をはぐくみ、より豊かな栃木県を築きあげることを期する日」としている。1873(明治6)年6月15日、下野国(現在の栃木県)東部と北部を管轄するために設置された宇都宮県と、下野国南部に上野国(現在の群馬県)南東部を加えて設置された栃木県とが合併して、概ね、現在の県域と同じ栃木県が成立したことに由来する。県庁は、下都賀郡栃木町(現在の栃木市)に置かれたが、1884(明治17)年1月、県庁は様々な理由により、現在では北関東最大の都市となっている宇都宮へ移された。薩摩国/大隅国薩摩藩藩士から新政府に出仕して、各地の県令(県の長官で、現在の県知事に相当する)を歴任し、反対派を押切って強力に土木工事を進める手法から、「土木県令」や「鬼県令」の異名で呼ばれた三島通庸が、栃木県令当時、栃木県での自由民権運動(国会の開設や憲法の制定等を政府に求めた国民運動)の拠点であった栃木町を嫌っていたことが、その理由の1つとして挙げられる。境界部に海岸線を有しない内陸県である栃木県の地勢は、北部から北西部にかけて奥羽山脈、日光連山、足尾山地が連なり、標高1,500mから2,500m程の急峻な山岳が連なっている。これらの山々から流れ出る鬼怒川、那珂川、渡良瀬川等の諸河川が関東平野の北端を形成している。県土のほぼ中央に宇都宮市が立地し、人口は県全体の約4分の1に当たる約50万人が集中している。その他は、県南の小山市、栃木市、足利市、佐野市、県北の那須塩原市が10万人以上の人口を抱えているが、県南に人口の多い市が連なる。産業は、農業、工業、商業、観光業のバランスが取れており、それぞれ盛んである。近隣の県とは関東平野を共有していることもあり、県の南部を中心に、県境を越えて他県と深い交流を持つ自治体が多いのも、栃木県の特徴となっている。県内のほぼ中心を、南北に東京と東北地方を結ぶ東日本旅客鉄道(JR東日本)東北新幹線、東日本旅客鉄道(JR東日本)JR宇都宮線(東北本線の内、東京駅から栃木県那須塩原市の黒磯駅までの区間の愛称)、東北自動車道、国道4号が南北に走る。また、北関東最大の都市で、首都圏の都市としても第10位の人口を擁する宇都宮市を中心として、放射線状に県内各地へと路線が伸びている。なお、宇都宮市を中心市とする宇都宮都市圏は、政令指定都市を除く都市圏として日本最大である。首都圏に立地することに加え、東日本旅客鉄道(JR東日本)の鉄道路線により、都心とのアクセスが至便であることから、東京の衛星都市としての性格も有しており、都心通勤者を対象としたマンションが急増し、多数建設・供給されている。
ポスチュアウォーキングの日。
神奈川県川崎市麻生区百合丘に所在し、心と体の姿勢が良くなる歩き方「ポスチュアウォーキング」を提唱する団体、一般社団法人ポスチュアウォーキング協会が制定。日付は、ポスチュア(姿勢)スタイリストのKIMIKOが、株式会社THE POSTUREを設立し、本格的に活動を始めた2006(平成18)年6月15日に因んで。「ポスチュアウォーキング」を広めて、多くの人に体の姿勢の美しい、心に自信を持った素敵な人生を送ってもらうことが目的。KIMIKOは、一般社団法人ポスチュアウォーキング協会の会長も務め、ポスチュアウォーキング協会は、「ポスチュアウォーキング」を普及させるために、ウォーキング検定や、「ポスチュアウォーキング」を伝えるスチュアスタイリストの育成と認定等を行なっている。「ポスチュア」とは、英語で「姿勢」を意味する。「ポスチュアウォーキング」は、 日常生活でどこでもできる、エレガントで美しい歩き方である。同時に、頭のてっぺんからつま先まで使って歩く、エクササイズウォーキング法でもある。体の後ろ側を主に使って歩くことから、全身をリフトアップしてシェイプアップできるという。