6月14日 記念日 その1 | スズメの北摂三島情報局

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2011/08/02 リニューアル
2019/07/14 アメブロ移動
柴犬ハルがお伝えします

西暦(グレゴリオ暦)AD2024年 令和6年 平成36年  
昭和99年 大正113年 明治157年 皇紀2684年 干支 甲辰(きのえ たつ)
第2金曜日 旧暦  5月 9日、先勝(己酉)、月齢  7.6 
グレゴリオ暦で年始から166日目、年末まであと200日。
誕生花 グラジオラス・しもつけ・ハルシャギク。

二十四節気・雑節等
上弦。
半月。月と太陽の黄経差が90°となる日。

星条旗制定記念日(フラッグ・デー[Flag Day])。
1777(安永6)年6月14日、アメリカ合衆国議会が、独立宣言時の13州を赤白のストライプで象徴した星条旗を、正式にアメリカ国旗と制定した。アメリカ合衆国の国旗は、一般に星条旗と呼ばれ、正式名は「合衆国旗」であり、「古き栄光」の別名もある。アメリカが独立宣言を行なった頃の旗には、イギリスの国旗が入っていたが、独立戦争で戦った相手の国の国旗が旗に入っていては、国民の士気に影響すると考えられ、アメリカ合衆国初代大統領ジョージ・ワシントンらが、アメリカ合衆国北東部にあるペンシルベニア州フィラデルフィアに居住した女性旗作り職人ベッツイ・ロスに依頼し、星条旗を作った。アメリカ合衆国第28代大統領ウッドロウ・ウィルソンが、この日を国民の祝日と定めた。星条旗には、白線と赤線の組合せの13本の横縞(赤7本と白6本、従って上下縁は赤)、四角に区切った左上部(カントン)は、青地に50の白い星が配置されている。赤は勇気、白は真実、青は正義を表わす。また、縞模様は、独立当時の13の入植地を表わし、星は現在の州を表している。星は独立時の13個から、連邦に州が加わる度に増やされて現在に至っており、その度に、次の独立記念日に配置が変更される(初期を除く)。このため、星条旗は、世界で最も変更回数の多い国旗であるが、現在の「50星」デザインは、太平洋中央部の洋上に位置するハワイが州に昇格した翌年の1960(昭和35)年から続いており、2007(平成19)年7月4日には、これまでの「48星」の「47年」を抜いて、最も長い期間使われているデザインとなった。当初は、星の数と共に縞の本数も増やされていたが、本数が多くなるに従って、不恰好で見辛くなった(遠目からはピンクに見えるようになった)ため、発足時の13本に戻したという経緯がある。この「星と縞、赤・白・青」の組合せは、アメリカ合衆国をイメージするあらゆるシンボルに使用されている。国旗を縦に掲揚する際は、そのまま「時計回りに90度回して」掲げるというのが国際的なルールであるが、星条旗は例外で、シールド(盾、旗の全体)の左上の角(デキスター・チーフ)に置かれる小さな方形のチャージ(図案)であるカントンが常に左上にくるよう「時計回りに90度回してから裏返す」のが正式な掲げ方である。国旗の誤掲揚は国際儀礼上の非礼とされるため、儀典担当者は神経を使うが、合衆国旗の誤掲揚は、最も頻繁に起こる失態の1つとなっている。野球の世界一決定戦、ワールド・ベースボール・クラシックや、オリンピックアメリカ代表のユニフォーム右袖に付けられた合衆国旗は、カントンが右上にくる配置になっていた。合衆国旗の配置のもう1つの原則に、カントンは、常にポール側になければならず、必然的に風上側にあることになる。着衣の場合、風を前から受けると想定してデザインするため、右袖に付けた合衆国旗は必然的にカントンが右上、つまりは、風にたなびいたように通常掲揚する場合と裏返しに配置されている。これは、アメリカ合衆国軍の軍服でも同様である。18世紀後半にイギリスから独立したアメリカ合衆国の軍服は、旧宗主国のイギリスと、独立以来民主主義の手本としていたフランスのデザインに影響が見られるが、早い時期から独自の進歩が見られた。アメリカには、ヨーロッパ諸国のような王侯貴族が存在しないため、士官の制服にも貴族的な装飾が必要とされず、全体に実用性が重視された。このことは、20世紀の軍服に求められるコンセプト(全体を貫く基本的な概念)に通ずるものであった。また、19世紀初頭には、世界に先駆けて既製服産業がアメリカで興り、1850年代には、ミシンによる大量生産が行なわれた。このようにして、19世紀中には、アメリカ合衆国が軍服に関して世界を主導する下地ができ上がっていた。そして、第一次世界大戦が国家の総力を挙げた近代戦となり、その終戦により、ヨーロッパの君主制が衰退したため、軍服に関してもアメリカ合衆国の地位は確固たるものになった。第二次世界大戦後は、アメリカ合衆国が東西冷戦における西側陣営の盟主となり、東側陣営の盟主たるソビエト連邦軍と並んで、世界各国の軍服に最も大きな影響を与える存在となった。東側陣営が解体した1990年代以降は、この傾向がさらに強まって現在に至っている。軍服以外の衣服やファッションに取入れられた要素や、与えた影響も大きなものがある。同様に、日常の衣服に取入れられたイギリス軍のトレンチコート(ダブルの前開き、ウエストの近くにはベルト、肩にボタンで留めたショルダーストラップがある、レインコートの1つで、トレンチとは塹壕の意味であり、元々イギリスの軍隊で、寒冷な戦いに対応するための防水型のミリタリーコートとして使用された)等と比べると、よりカジュアル(気軽)な形で若年層に受入れられている。なお、アメリカ合衆国の国歌も『星条旗』である。『星条旗』の歌詞は、当時35歳であった、アメリカ合衆国の弁護士で詩人のフランシス・スコット・キーによって書かれている。イギリス、及びその植民地であるカナダ、及びイギリスと同盟を結んだインディアン諸部族と、アメリカ合衆国との間で行なわれた北アメリカ植民地戦争、米英戦争中の1814(文化11)年9月、友人である医師を含む捕虜の交換交渉のため、イギリスの軍艦に乗込んだフランシス・スコット・キーは、機密保持のため、イギリス軍艦内で抑留された。イギリス艦隊による激しい夜間砲撃の後、アメリカ合衆国側のフォートマクヘンリー要塞(現在のアメリカ合衆国東部、メリーランド州ボルティモアに所在)には、星条旗(その当時は星15個、縞15本)が屹立しており、その光景に感銘を受けたフランシス・スコット・キーは、「マクヘンリー砦の防衛」という詩の着想を得、その後推敲し、4節の詩に体裁を整えた。アメリカ合衆国第31代大統領ハーバート・フーヴァー在任時の1931(昭和6)年3月3日、フランシス・スコット・キー作詞の『星条旗』が、アメリカ合衆国の国歌として正式に採用された。なお、曲名を「星条旗よ永遠なれ」とする例が間々あるが、「星条旗よ永遠なれ」は、元アメリカ海兵隊音楽隊隊長の作曲家、ジョン・フィリップ・スーザによる行進曲であり、全く別の曲である。こちらは、アメリカ人の愛国心の象徴とも言える行進曲で、1987(昭和62)年12月に、アメリカ合衆国の「国の行進曲」と制定されている。  
認知症予防の日。
福岡県北九州市八幡東区山路松尾町に事務局を置き、認知症予防に関する諸分野の科学的研究の進歩発展を図る学会(査読[研究者仲間や同分野の専門家による評価や検証]、研究発表会、講演会、学会誌、学術論文誌等の研究成果の発表の場を提供する業務や、研究者同士の交流等の役目を果たす機関)、日本認知症予防学会が制定。日付は、認知症の大きな原因であるアルツハイマー病を発見したドイツの医学者・精神科医、アロイス・アルツハイマーの誕生日、1864(元治元)年6月14日から。認知症予防の大切さを、より多くの人に伝えることが目的。認知症は、65歳以上の10人に1人の頻度で見られる疾患であり、さらに増加が予想されている。しかし、現在の医学において、認知症を治療する方法はまだ見付かっておらず、安全で効果的な治療法を模索する研究が行なわれている。また、認知症は、高齢者が最もなりたくないと考えている病気の第1位であり、医療保険や介護保険の負担においても、大きい経済負担になっている。このようなことから、認知症対策は急務であり、予防という観点から見ていく必要性があると考えられる。日本認知症予防学会では、効果的な認知症予防のために、学術集会の開催や、認知症予防の専門家である「認知症予防専門士」の養成と、その資格認定等を行なっている。