6月10日 記念日 その3 | スズメの北摂三島情報局

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2011/08/02 リニューアル
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柴犬ハルがお伝えします

商工会の日。
1960(昭和35)年6月10日、「商工会の組織等に関する法律(商工会法、昭和35年5月20日法律第89号)」が施行され、商工会活動が法的な意味を持ったことを記念して、東京都千代田区有楽町に事務局を置く団体、全国商工会連合会が1985(昭和60)年に制定。商工会は、「商工会法」に基づき、経済産業大臣の認可を受けて設立された特別認可法人(特別の法律により設立されるが、民間の発意により設立される法人)である。地域内商工業者の経営の改善に関する相談とその指導、地域内経済振興を図るための諸活動、及び社会一般の福祉の増進に資することを目的として、幅広い活動を行なっている。商工会の運営を支え、事業活動の推進力となるのは、会員である。 会員は、自分の事業を発展させるために、商工会を十分に活用することができる。この商工会が、他の商工業者の組織と異なる点は、商工会は運営に当たって、法律で定められている、営利を目的としない、特定の個人や団体の利益のために活動しない、特定の政党のために活動しない、という3つの原則に基づいて、公正な立場で事業を行なわなくてはならない点である。全国の商工会を会員として組織された「特別の法律により設立される民間法人(特別民間法人)」全国商工会連合会は、商工会の振興に寄与するため、都道府県商工会連合会を会員とし商工会間の意見等を総合、調整したり、国内外の経済団体との提携を進めたりする機関である。  
路面電車の日。
1995(平成7)年6月10日、全国の路面電車を持つ自治体と支援団体が広島市で開催した「路面電車サミット」で、開催日を記念して制定。「路面電車」の「ろ(6)」と、「でん」が英語の「テン(10)」に近いことから、6月10日とされた。公共交通機関としての路面電車事業について、より理解を深めてもらうことが目的。この日には、各地で路面電車の利用促進のためのキャンペーンやイベント等が行なわれている。また、2023(令和5)年には、全国各地で路面電車を運行する事業者で構成された全国路面軌道連絡協議会が、この日を「路面電車の日」としている。路面電車は、主に道路上に敷設された軌道(併用軌道)を用いる「路面鉄道」を走行する電車である。主に都市内、及びその近郊の道路上に敷設された鉄道で、比較的、短距離の旅客移動手段として利用される。道路上の安全地帯や歩道から車両に乗降する、停留場の間隔が短い等の特徴がある交通機関である。普通鉄道と異なり、軌道は道路上に敷設される。基本は、軌道敷内の自動車通行は不可である。専用軌道を有する路線もある他、市街地では、一部地下や高架で道路との分離を図った路線もある。世界では、約50ヶ国の約400都市に存在し、ドイツ、ロシア、ウクライナで特に発達している。日本以外の多くの国の路線では、終端ループ線が用いられ、片ドア片運転台式の車両で運行している。20世紀末以降は、路面から乗降できることが再評価され、ヨーロッパを中心に整備が進む動きがある。また、ヨーロッパでは、公共交通として都市中心部の歩行者空間に乗入れる形態も多い。第二次世界大戦後の日本では、自動車の普及や都市人口の増加に伴ない、道路交通が渋滞したため、路面電車の多くが廃止され、地下鉄に代わっていった。しかし、最近では、地上を走るコストの安さや、道路を利用する上で自動車より大量輸送のできる路面電車は、渋滞緩和に有効とされる。また、道路からの乗降が便利な路面電車が見直され、超低床車両と共に新設が検討されている都市も多くある。現在でも、日本に約20ヶ所の路面電車の路線が存在しているが、東北地方では皆無となっている。なお、1903(明治36)年8月22日、東京電車鉄道(旧:東京馬車鉄道)の路面電車が新橋 - 品川間で営業を開始し、東京で初めて路面電車(チンチン電車)が走った。これは、馬車鉄道の路線を電気に動力変更し、電車化したもので、東京電車鉄道は現在の東京都電車の前身となる。そのことから、8月22日が「チンチン電車の日」とされている。因みに、日本で初めて路面電車が走ったのは、1890(明治23)年5月4日に現在の東京都台東区にある上野公園で開催されていた内国勧業博覧会の会場内で、また、日本で最初の一般の道路を走る路面電車は、1895(明治28)年2月1日に開業した小路東洞院 - 伏見京橋間の京都電気鉄道(後の京都市電、1978[昭和53]年に全廃)である。日本最大の路面電車事業者で、中四国地方最大のバス事業者でもある広島電鉄は、軌道線6路線19.0kmと、鉄道線1路線16.1km、総延長35.1kmの路線を持つ。軌道線と鉄道線を合わせた輸送人員と路線延長は、路面電車としては日本一である。但し、路面電車として運行される軌道線のみの長さでは、高知県中部を中心としたエリアで路面電車・路線バス・高速バス・貸切バスを運営している、とさでん交通が上回る。市内線と総称される広島電鉄の軌道線は、ほぼ全線が併用軌道(道路上に敷設された軌道)で、各路線間で直通運転が行なわれており、合計8つの運行系統を持つ。市内線区間の2号線(西広島 - 紙屋町東/西 - 広島駅)は、西日本旅客鉄道(JR西日本)山陽本線とほぼ並行する鉄道線、宮島線に直通しない西広島 - 広島駅のみの区間運転便を含め、全て連接車(2個の車体の一端を、1個の台車で支持し連結している車両)で運行されている(ダイヤが乱れた時等には例外があり)。また、日中の1号線(広島港 - 紙屋町東 - 広島駅)は、連接車と単行車が混ざって運行され、通勤・通学時間帯には、5号線(広島駅 - 比治山下・皆実町六丁目 - 広島港)と8号線(横川駅 - 十日市町・土橋 - 江波)でも、一部が連接車で運行されている。
歩行者天国の日。
1973(昭和48)年6月10日、東京都中央区銀座から東京都台東区上野までの約5.5km(当時は世界最長)で、日本初の歩行者天国が実施されたことから。歩行者天国とは、欧米等で発達している都市・街の歩行者空間の一種を指す。日本では、車両通行止の規制を行ない、車道部分を含めた道路全体を歩行者用道路として歩行者が歩けるようにする、警察署による措置の通称となる。1954(昭和29)年12月から1973(昭和48)年11月までの約19年間とされる、高度経済成長期(日本経済が飛躍的に成長を遂げた時期)の当時、自動車の急増による事故の急増(いわゆる交通戦争)や環境問題への配慮により、道路交通を車優先から歩行者中心の交通への転換が求められた時期であり、そのきっかけとしてスタートしたのが始まりである。歩行者天国は、道路全体を歩行者用道路とすることから、交差点等による人の流れの妨害を阻止し、近隣の商業地の発展に寄与できるであろうとされた。また、排ガスや騒音といった交通公害の一時的な防止になり、開放的なイメージにもなるため、観光客や買い物客の増加に繋がるとも考えられた。なお、1972(昭和47)年6月1日には、日本初の恒久的な歩行者天国として、北海道旭川市の平和通買物公園が開設されている。「歩行者天国」という呼称の由来は不明であるが、1966(昭和41)年には既に、朝日新聞でこの名称が使われている。歩行者天国を実施する理由は様々あるが、主に大学・高等学校等の休み時間に、学生が多く路上に溢れるために、その時間のみ行なうもの、繁華街の一定の時間に実施し、商業の発展を狙ったもの、祭り等の行事のために一時的に道路を規制するもの、商店街に車を通さないことを目的としたもの、子どもが路上で遊べるように道路を規制したもの等が挙げられる。大規模なものは、警察署は実施と解除時にアナウンスを行ない、それより前の時間には規制道路に路上駐車している車の一斉排除を行なう。商店街等、地域に密着した小規模なものは、所轄警察署が規制を行なう場合もあるが、警察官を配備しなくても、道路標識によって一定時間に歩行者専用道路となるように、規制を掛ける方式が一般的である。