6月10日 記念日 その2 | スズメの北摂三島情報局

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2011/08/02 リニューアル
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柴犬ハルがお伝えします

社会教育法施行記念日。
1949(昭和24)年6月10日、「社会教育法(昭和24年6月10日法律第207号)」が公布・施行されたことを記念して制定された。「社会教育法」は、「学校教育法(昭和22年3月31日法律第26号)」で定める、学校の教育課程として行なわれる教育活動を除いた、組織的な教育活動を法律上の社会教育(行政機関が振興する社会教育)として定義し、各種の事項を規定している。社会教育は、社会において行なわれる教育を広く指すことが多い。明治期には「通俗教育」と呼ばれ、「国民教化」の手段として位置付けられた。社会階層の中以下の国民(言い換えれば庶民である)に平易な教育の機会を提供する施策に始まり、1921(大正10)年6月、「文部省官制中改正ノ件(大正10年6月23日勅令第273号)」によって、文部省(現在の文部科学省の前身の1つ)の官制(行政機関の組織、名称、設置、構成、権限等を定めた法規)が改正され、「通俗教育」を「社会教育」に改めた。近年は、「社会教育」に換えて「生涯学習」という用語を狭義の同義語として使う場合も多いものの、「生涯学習」は、法的にも学問的にも学校教育を含む概念であるため、扱いが難しい用語となりつつある。因みに、公民館や図書館、博物館等の施設を利用して、学校教育以外の教育活動を強調するために設けられた「社会教育週間」は、4月29日から5月5日までとなっている。公的で制度的な教育施設の他にも、学習塾や予備校、スポーツクラブ、ボーイスカウト、ガールスカウト、映画館、職場でのセミナー、行政や民間団体の行なう市民講座、その他習い事等も、広義の社会教育に含めることができる。
ミルクキャラメルの日。
1913(大正2)年6月10日、東京都港区芝に本社を置く大手菓子メーカー、森永製菓株式会社がミルクキャラメルを初めて発売した。そのミルクキャラメルの製造発売元である森永製菓株式会社が、2000(平成12)年3月1日に制定した日。それ以前は、1899(明治32)年の創業以来、「キャラメル」とだけ記載して発売していたという。高温多湿の日本の気候に合わず、キャラメルが溶けてしまうという性質があり、森永製菓の創業者である森永太一郎が改良を重ねて開発した。初期にはブリキ缶1斤に1粒5厘(現在の貨幣価値で30円程度)のばら売りで販売されていたが、容器代等にコストが掛かり、高級菓子となってしまったため、その後、現在まで続く黄色いデザインの紙容器となった。ミルクキャラメルは森永製菓株式会社の全商品中、現在も唯一、昔のエンゼルマークを使用している。なお、箱入り商品は、箱内部の舟と呼ばれる、キャラメルを乗せている部分の裏側に「懐かしの風景」というコーナーが印刷され、大正・昭和時代の世相や懐かしの遊びをイラストと共に紹介している。初期には、ブリキ缶1斤(約600g)に1粒5厘(厘は、1円の1,000分の1を指す通貨単位で、現在の貨幣価値に換算すると、5厘は概ね5円に相当する)のばら売りで販売されていたが、容器代等にコストが掛かり、高級菓子となってしまったため、その後、現在まで続く黄色いデザインの紙容器となった。大正末期から昭和20年代にかけては帯封(札束や書類等を束ねているテープ状[帯状]の紙)をしていたが、その後廃止された。1935(昭和10)年から第二次世界大戦終戦までは、帯に「祈武運長久」の文字が入れられていたり、また、ブリキ缶による慰問用のミルクキャラメルが発売されたりと、戦時色の濃いものもあった。パッケージ表側は、黄色地に、帯をイメージした紐等の線画が描かれ、黒地枠にエンゼルマークと「森永」、縦書きに「ミルクキヤラメル」とあり、両サイドに「滋養豊富」「風味絶佳」の筆文字がある。裏側には、「森永謹製」と記されている。また、下部分は「登録商標 第四四九二八三号」と記されている。基本デザインは原則として変更することができない。但し、アクセントとして特別表示を付けることがある。「大粒」(149g箱・18粒入)の場合は、箱左下に大粒と表示している。 
無糖茶飲料の日。
健康への関心が高まる中、無糖茶飲料にもさらに注目をと、東京都渋谷区本町に本社を置く、茶製品、野菜飲料、コーヒー飲料等を扱う飲料メーカーの株式会社伊藤園が制定。日付は、6月10日の「6」と「10」を、「無糖(む[6]とう[10、十])」と読む語呂合せから。健康への関心が高まる中、無糖茶飲料をさらにPRすることが目的で、株式会社伊藤園のコンセプトである自然、健康、安全、おいしい、良いデザイン等に基づき、その良さをアピールしていく。生の茶の葉を発酵させずに製造した不発酵茶、緑茶を缶やペットボトル、紙パック等の容器に詰めた茶系飲料の一種、緑茶飲料は、日本では無糖のものが主流となっている。特に、緑茶で高名である株式会社伊藤園は、1979(昭和54)年から烏龍茶(中国茶の一種で、茶の葉を摘採後、萎れさせ、葉を擦り合わせるようにゆすって発酵を促し、程良いところで釜で煎り、加熱して発酵を止め、揉捻して乾燥させたもの)の輸入卸を手掛け、缶入り烏龍茶を世界で初めて生産・発売して、清涼飲料水市場に進出する。缶入り緑茶「煎茶」(後の「お~いお茶」)も生産・発売する等、缶入り烏龍茶の先駆け的な企業である。飲料業界第5位ながら、茶飲料部門では最大手に位置している。「お~いお茶」は、ナチュラルヘルシーRTD緑茶飲料の販売実績世界一として、2018(平成30)年より4年連続で、『ギネス世界記録』(イギリスの出版社、ギネスワールドレコーズが、地球上のあらゆる世界一を探求し、認定・登録してきた記録集)に認定されている。 
無添加の日。 
神奈川県横浜市中区山下町に本社を置く、無添加化粧品のパイオニアとして知られる化粧品・健康食品のメーカー、株式会社ファンケルが2007(平成19)年に制定した日。無添加の良さや大切さを、より多くの人に知ってもらうことがその目的。日付は、6月10日の「6」と「10」を、「無添加(む[6]てん[10、英語の「ten」]か)」と読む語呂合せから。無添加とは、特定の物質が使用されていないことを表わす表現である。但し、何が無添加であるというような規定はない。第二次世界大戦以降、様々な分野で、天然には存在しないような化学合成された物質が大量生産され、その安全性について疑問視する人々がいることから、マーケティング上の理由で、様々な無添加の商品が生み出されてきた。化学合成された物質を使用する代わりに、安全性が確認されていない天然由来の物質を使用していることも多い、とされる。1980(昭和55)年4月、ファンケル化粧品として創業し、1981(昭和56)年8月に株式会社化された「ファンケル」の社名は、「ファイン・ケミカル」(日本語で「混じりけのない化学製品」)を簡略したものとされるが、「不安を蹴る = ファンケル」という説もある。株式会社ファンケルが製造する化粧品は、創業以来、無添加に拘り続けている。また、健康食品がまだ高価であった1994(平成6)年に、株式会社ファンケルは、高品質・低価格なサプリメント(栄養補助食品や健康補助食品とも呼ばれる、ビタミンやミネラル、アミノ酸等、栄養摂取を補助することや、ハーブ等の成分による薬効が目的である食品)を販売し、健康食品を一気に身近なものにした。株式会社ファンケルの健康食品事業のテレビCMについては、2019(平成31/令和元)年より3度目の読売ジャイアンツ(読売巨人軍)の監督を務める原辰徳を起用しており、原辰徳は、株式会社ファンケルの「パートナー」として、株式会社ファンケルがスポンサーとなっている野球教室、「ファンケルキッズベースボールチャレンジ」にも携わっている。