6月10日 記念日 その1 | スズメの北摂三島情報局

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2011/08/02 リニューアル
2019/07/14 アメブロ移動
柴犬ハルがお伝えします

西暦(グレゴリオ暦)AD2024年 令和6年 平成36年
昭和99年 大正113年 明治157年 皇紀2684年 干支 甲辰(きのえ たつ)
第2月曜日 旧暦  5月 5日、先負(乙巳)、月齢  3.6  
グレゴリオ暦で年始から162日目、年末まであと204日。
誕生花 ヒゲナデシコ。


二十四節気・雑節等 
入梅。
雑節の1つで、太陽が黄経80度の点を通過する日。暦の上での梅雨入り。本来は「梅雨入り」の漢語的表現であり、梅雨の季節全体を「入梅」と呼ぶ地方もある。太陽黄経に基づく定義は現在のもので、芒種の後の最初の壬の日を梅雨入り、小暑の後の最初の壬の日を梅雨明けとしていた時期もあった。本当の梅雨入り・梅雨明けの日付は年により、地方により異なるものであるが、農家にとって梅雨入りの時期を知ることは、田植えの日取りを決めるのに重要であった。昔は、現在のように気象予報が発達していなかったため、江戸時代頃に目安として、暦の上で「入梅」を設けたとされている。 概ね、梅雨入りしてから約30日間が梅雨の期間となる。 現在は、気象庁の本庁、管区気象台(札幌、仙台、東京、大阪、福岡)、及び地方中枢官署(新潟、名古屋、広島、高松、鹿児島の各地方気象台)が、観測、及び予報に基づいて梅雨入りを発表しており、「入梅」は、実際の梅雨とは直接関係のない暦日となっている。
腐草蛍となる。
七十二候の1つ(26候)。 

梅雨。
雨季の一種である梅雨(つゆ、ばいう)とは、北海道と小笠原諸島を除く日本、朝鮮半島南部、中国の南部から長江流域(中国中南部)にかけての沿海部、及び台湾等、東アジアの広範囲においてみられる特有の気象現象で、5月から7月にかけて毎年巡って来る。曇りや雨の多い期間のことである。気候学的な季節変化を世界と比較した時、東アジアでは、春夏秋冬に梅雨を加えた五季、また、日本に限ると、さらに秋雨を加えた六季の変化がはっきりと表われる。東アジアでは、春や秋は、温帯低気圧と移動性高気圧が交互に通過して、周期的に天気が変化する。一方、盛夏期には、亜熱帯高気圧(太平洋高気圧)の影響下に入って、高温多湿な気団に覆われる。そして、春から盛夏の間と、盛夏から秋の間には、中国大陸東部から日本の東方沖に、前線が停滞することで雨季となる。この中で、春から盛夏の間の雨季が梅雨、盛夏から秋の間の雨季が秋雨である。なお、梅雨は、東アジア全体で明瞭である一方、秋雨は中国大陸方面では弱く、日本列島方面で明瞭である。また、盛夏から秋の間の雨季の雨の内訳として、台風による雨も無視できない程、影響力を持っている。梅雨の時期が始まることを梅雨入りや入梅(にゅうばい)といい、社会通念上・気象学上は、春の終わりであると共に、夏の始まり(初夏)とされる。また、梅雨が終わることを、梅雨明けや出梅(しゅつばい)といい、これをもって本格的な夏(盛夏)の到来とすることが多い。ただ、日本では、出梅という表現は、殆ど使われていない。 梅雨の現象が現れる多くのの地域では、気象当局が梅雨入りや梅雨明けの発表を行なっている。梅雨の期間は通常、約1ヶ月から約1ヶ月半程度である。また、梅雨期の降水量は、九州では500mm程度で、年間の約4分の1、関東や東海では300mm程度で、年間の約5分の1ある。西日本では、秋雨より梅雨の方が雨量が多いが、東日本では、逆に秋雨の方が多い(台風の寄与もある)。梅雨の時期や雨量は、年によって大きく変動する場合があり、例えば、150mm程度しか雨が降らなかったり、梅雨明けが平年より2週間程度も遅れたりすることがある。そのような年は猛暑・少雨であったり、冷夏・多雨であったりと、夏の天候が良くなく気象災害が起き易い。時折、梅雨は「雨がしとしとと降る」「それ程雨足の強くない雨や曇天が続く」と解説されることがある。これは、東日本では正しいが、西日本ではあまり正しくない。梅雨の雨の降り方にも地域差があるためである。特に、西日本や華中(中国中部の長江の中下流域付近)では、積乱雲が集まった、雲クラスターと呼ばれる水平規模約100km前後の雲群がしばしば発生して東に進み、激しい雨をもたらすという特徴がある。日本本土で梅雨期に当たる6月から7月の雨量を見ると、日降水量100mm以上の大雨の日や、その雨量は西や南に行く程多くなる他、九州や四国太平洋側では、2ヶ月間の雨量の半分以上が、僅か4日間から5日間の日降水量50mm以上の日に纏まって降っている。梅雨期の総雨量自体も、日本本土では西や南に行く程多くなる。漢字表記「梅雨」の語源としては、この時期は梅の実が熟す頃であることから、という説や、この時期は湿度が高くカビが生え易いことから「黴雨(ばいう)」と呼ばれ、これが同じ音の「梅雨」に転じた、という説、この時期は「毎」日のように雨が降るから「梅」という字が当てられた、という説がある。普段の倍、雨が降るから「倍雨」というのは、こじつけ(民間語源)である。この他に、「梅霖(ばいりん)」、旧暦で5月頃であることに由来する「五月雨(さみだれ)」、麦の実る頃であることに由来する「麦雨(ばくう)」等の別名がある。なお、「五月雨」の語が転じて、梅雨時の雨のように、物事が長くだらだらと続くことを「五月雨式」と言うようになった。また、梅雨の晴れ間のことを「五月晴れ(さつきばれ)」というが、この言葉は最近では「ごがつばれ」とも読んで、新暦5月初旬のよく晴れた天候を指すことの方が多い。気象庁では、5月の晴れのことを「さつき晴れ」と呼び、梅雨時の晴れ間のことを「梅雨の合間の晴れ」と呼ぶように取決めている。五月雨の降る頃の夜の闇のことを、「五月闇(さつきやみ)」という。
梅酒の日。
高品質の梅酒の美味しさを多くの人に味わってもらうことを目的に、大阪府羽曳野市駒ヶ谷に本社を置く、梅酒のトップメーカーである企業、チョーヤ梅酒株式会社が制定。日付は、6月の入梅の時期より、梅酒の原料となる梅の収穫がピークを迎えることと、この頃より梅酒を飲んで、夏を元気に乗切ってもらいたい、との想いから。チョーヤ梅酒は、日本を代表する果実酒メーカーの一社で、特に、梅酒において圧倒的シェアを誇る。創業当時はブドウ酒の製造を行なっていたが、ブランデー製造を経て、現在では梅酒の製造がメインとなっている。主力製品の「チョーヤ梅酒」は全商品、日本国内産の梅を100%使用、添加物は一切使用していない。梅酒は、一般的に6月頃に収穫される青梅を、蒸留酒(ホワイトリカー、焼酎、ブランデーが一般的)に漬込むことで作られる混成酒類(アルコール飲料)の一種である。家庭でも容易に作れることから、古来より民間で健康に良い酒として親しまれており、近年では、食前酒としても飲まれている。梅酒の生産量は、2002(平成14)年から2011(平成23)年にかけて約2倍となった一方、青ウメの生産量は殆ど変わっていない。これは、梅、糖類、アルコールのみを使った本来の梅酒ではなく、人工酸味料や香料等を使った梅酒(合成梅酒)の生産量が増えたことを意味する。「酒税法(昭和28年2月28日法律第6号)」上、梅、糖類、アルコールのみを使った梅酒も、人工酸味料や香料等を使った合成梅酒も、同様に「リキュール」に分類され、消費者にとって紛らわしいことが指摘されていた。そのため、日本洋酒酒造組合は2015(平成27)年から、梅と糖類、酒類のみを使った梅酒を「本格梅酒」と表示することのできる自主基準を設けた。
端午の節句(旧暦)。
旧暦の五月五日。菖蒲の節句とも言われる。現在では、新暦で祝われる地域が殆どとなっているが、旧暦日で祝う地域もある。なお、中国語圏では、現在も旧暦5月5日に行なうことが一般的である。この日は邪気を払う為、菖蒲や蓬を軒に挿し、粽や柏餅を食べる。旧暦では午の月は5月に当たり、この午の月の最初の午の日を節句として祝っていたものが、後に5が重なるこの月の5日が端午の節句の日になったという。「端」は物の「はし」、つまり「始り」という意味で、「午」は「五」に通じることから、元々「端午」は月の始めの五の日を意味した。その中でも月と日の数字が重なる5月5日を、特にめでたい日として「端午の節供」と呼ぶようになった。同じように、奇数の月番号と日番号が重なる3月3日、7月7日、9月9日も節句になっている。日本では、旧暦5月を皐月(さつき)と呼び、現在では、新暦5月の別名としても用いる。「さつき」は、この月は田植えをする月であることから「早苗月(さなへつき)」と言っていたものが、短くなったものである。また、「サ」という言葉自体に田植えの意味があるので、「さつき」だけで「田植の月」になる、とする説もある。また、日本では、男性が戸外に出払い、女性だけが家の中に閉じ籠もって、田植えの前に穢れを祓い、身を清める儀式を行なう五月忌み(さつきいみ)という風習があり、これが中国から伝わった端午と結び付けられた。即ち、端午は元々、女性の節句であった。しかし「菖蒲」が「尚武」と同じ読みであることから、鎌倉時代頃から男の子の節句とされ、甲胄・武者人形等を飾り、庭前に鯉のぼりを立てて、男の子の成長を祝う節供となった。因みに、「節句」ではなく、「節供」と書くのが本来であるが、現在では、「節句」の表現も一般的なものとなっている。
時の記念日。
1920(大正9)年に東京天文台(理論・観測の両面から天文学を研究する、現在の大学共同利用機関法人自然科学研究機構国立天文台)と、生活改善同盟会が制定したもので、日本に伝存する最古の正史『日本書記』に、671(天智天皇10)年の4月25日(グレゴリオ暦で671[天智天皇10]年6月10日に当たる)、「漏刻と呼ばれる水時計を新しい台に置き、鐘や鼓で人々に時刻を知らせた」と記述されていることを記念して制定。日本国民に「時間をきちんと守り、欧米並みに生活の改善・合理化を図ろう」と呼掛け、時間の大切さを尊重する意識を広めるために設けられた。1940(昭和15)年に創祀された、滋賀県大津市神宮町に鎮座する近江神宮は、第38代天皇であり、一般には中大兄皇子として知られる天智天皇を祭神としている。その天智天皇が、日本で初めて漏刻(水時計)を設置した歴史から、境内には各地の時計業者が寄進した日時計や漏刻等が設けてあり、時計館宝物館と近江時計眼鏡宝飾専門学校が境内に併設されている。生活改善同盟会が、1920(大正9)年5月16日から7月4日まで東京教育博物館(現在の国立科学博物館の前身)で「時の展覧会」を開催し、期間中の6月10日を時の記念日として設定し、行事・宣伝を行なったことに始まる。翌1921(大正10)年以降、20年以上に亘り、生活改善同盟会を中心に全国各地で記念行事が行なわれた。なお、財団法人生活改善同盟会は、1919(大正8)年に開催された文部省(現在の文部科学省の前身の1つ)主催の「生活改善展覧会」の後を受けて、1920(大正9)年に文部省社会局に開設された組織(外郭団体[官公庁の組織の外にありながら、 その官公庁から出資・補助金を受ける等して、補完的な業務を行なう団体])である。翌1921(大正10)年には機関誌『生活改善』を創刊。国家的利益と産業効率を向上させるために、個々人の生活意識そのものを改革することを目標として、社交儀礼から服装、食事、住宅まで、生活全般に関わる改善と合理化を目指した。第二次世界大戦後は、時計の業界団体を始め、各種の民間団体が関連行事を行ない、特に、東経135度の子午線上にある兵庫県明石市の「時のウィーク」や、天智天皇を祀る滋賀県大津市の近江神宮の漏刻祭はよく知られている。また、小学校や幼稚園等では、標語を作ったり時計の絵を描いたりして、時間の規律を教えている例が多い。定刻厳守の尊重が国民性と言われるまでになり、鉄道や航空機の定時運行が世界一と言われるまでになったのも、時の記念日の創設にその原点の1つがあるとも言える。漏刻(水時計)は、容器に水が流入(流出)するようにして、その水面の高さの変化で時を計る時計のことである。日にちを数えるために刻み目を付ける棒を除けば、水時計は、日時計と同様、おそらく最古の計時器具である。その古さゆえに、水時計がいつ・どこで発明されたかは不明である。ただ、日時計では夜間には使えないことから、これを補うものとして、水時計は作られたと考えられている。水時計の設計には、各地で独立に生み出されたものもあれば、貿易によって知識が伝播したものもある。公衆が時刻を知りたがるようになったのは、労働時間が重要になってくる産業革命(18世紀半ばから19世紀にかけて起こった一連の産業の変革と、それに伴なう社会構造の変革)が最初である。それ以前には、水時計の使用目的は、天文学、及び占星術であった。当時の水時計は、日時計を基準にして目盛りが刻まれていた。これらの水時計は、弁護士が法廷で発言する時間や、売春宿の労働時間、夜警の勤務時間、教会での説教やミサの時間等を計るのに使われた。今日の計時器具程の精度は得られなかったものの、水時計は約1,000年もの間、最も正確で最もよく使われる計時器具であった。その地位は、より高い精度を持つ振り子時計(振り子の振動の等時性を利用して時刻を指示する装置)が17世紀のヨーロッパで発明されるまで保たれた。なお、1999(平成11)年のこの日、日本の標準時(ある国、又は広い地域が共通で使う地方時)を電波で全国に発信することが開始された。電波を送信する施設は、福島県田村市と福島県双葉郡川内村の境の大鷹鳥谷山の山頂付近にある「おおたかどや山標準電波送信所」で、郵政省通信総合研究所(法令と告示に基づいて標準電波を発射し、及び標準時を通報する業務を行なう、現在の国立研究開発法人情報通信研究機構の前身)によって建設され、40kHzの長波で高さ250mのアンテナから全国に発信されている。しかし、九州沖縄方面では受信しにくい現象が起こる等で、日本全国をカバーできなかったため、2001(平成13)年10月1日には、佐賀市富士町の羽金山に「はがね山標準電波送信所」を開局し、これにより日本国内の広い範囲で標準電波が受信ができるようになった。いわゆる電波時計は、この標準電波を受信し、自動で時刻を合わせる時計である。長波の波長は、1kmから10kmで、非常に遠くまで伝わることから、1930(昭和5)年頃まで電信用として利用されていたが、大規模なアンテナと送信設備が必要という欠点と、短波通信の発展により、電信用にはあまり用いられなくなっている。因みに、日本標準時(JST)は、国立研究開発法人情報通信研究機構の原子時計(原子[分子]の固有共鳴周波数を基準にした、最も精密な時計)で生成・供給される協定世界時(UTC)を9時間(日本標準時子午線とされる東経135度分の時差)進めた時刻をもって、日本における標準時としたもので、俗に日本時間とも呼ばれる。日本標準時(JST)は、日本全国で日本放送協会(NHK)等の放送局や、日本電信電話株式会社(NTT)の時報サービス「117」に用いられている。子午線上の兵庫県明石市にある、日本標準時子午線上に建つ「時と宇宙」をテーマにした博物館『明石市立天文科学館』では、日本標準時(JST)を刻む大きな時計を設置している。『明石市立天文科学館』は、プラネタリウムが特に有名であり、伝統的な手動操作の主投影機に、各種補助投影機やスライド等を組合わせて、学芸員の肉声解説・穏やかな生声ナレーションによる生番組等を投影している。このプラネタリウムについては、閉館後にプラネタリウムを借り切って投影を行なう権利が、2018(平成30)年より、兵庫県明石市のふるさと納税の返礼品となっており、実際に投影も行なわれている。地上からの熱によるゆらぎの影響をできる限り抑えるために、時計塔の最上階、16階に作られた天体観測室には、口径40cmの反射式天体望遠鏡が設置され、月1回実施される天体観望会で公開されている。また、『明石市立天文科学館』の南側を、西日本旅客鉄道(JR西日本)山陽本線(JR神戸線)と、山陽電気鉄道本線が通っており、これらの鉄道路線や車窓からもタワーがよく見えることから、兵庫県明石市のランドマークにもなっている。