6月9日 できごと その2 | スズメの北摂三島情報局

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2011/08/02 リニューアル
2019/07/14 アメブロ移動
柴犬ハルがお伝えします

1915年 - アメリカ合衆国国務長官ウィリアム・ジェニングス・ブライアンが辞任する。これは、ドイツによるイギリス船籍の客船、『ルシタニア』撃沈(当時は最大の旅客船で、乗客1,198名が死亡したが、犠牲者の中には128名のアメリカ人が含まれていた)の際の対独方針について、アメリカ合衆国大統領ウッドロー・ウィルソンと見解を異にしたためとされる。
1923年 - ヨーロッパ南東部、バルカン半島に位置するブルガリアで軍事クーデターが発生。右派や軍部の主導したクーデターの結果、政権は崩壊し、首相のアレクサンダル・スタンボリイスキらが失脚する。
1928年 - オーストラリアの開拓飛行士で、飛行機の草創期における最も有名なオーストラリア人飛行家とされるチャールズ・キングスフォード・スミスが、アメリカからオーストラリアまでの太平洋横断飛行に成功する。他にも、オーストラリアからニュージーランドまで、初めて無着陸飛行を成遂げたチャールズ・キングスフォード・スミスの名は、オーストラリア南東部にあるシドニー(オーストラリアを代表する世界都市)大都市圏の主要空港、シドニー国際空港の正式名称に使われている(「シドニー・キングスフォード・スミス国際空港」)。
1934年 - アヒルをモチーフにしたアニメのキャラクター、ドナルドダックが、アメリカの短編アニメ映画『かしこいメンドリ』で初登場。
1938年 - 日中戦争: 黄河決壊事件。中国国民党軍が、日本軍の進撃を止める目的で黄河(中国の北部を流れ、中国北部、遼東半島と山東半島の間にある内海状の海域、渤海へと注ぐ川で、全長は約5,464kmと、中国では2番目に長く、中国史上において、巨大な存在感を持つ河川の1つとされる)の堤防を破壊し、黄河は氾濫を起こす。犠牲者は数十万に達し、農作物に与えた被害も住民を苦しめる。黄河の流れは南側へ変わり、中国大陸と朝鮮半島の間にある黄海に注ぐようになったが、堤防が1946年から1947年にかけて再建されたことで、1938年以前の流域に戻っている。
1944年 - 第二次世界大戦・継続戦争: ソビエトが、北ヨーロッパに位置するフィンランドへの再攻勢を開始。
1945年 - 第二次世界大戦・日本本土空襲: 熱田空襲。名古屋大空襲の1つで、現在の愛知県名古屋市熱田区にある軍需工場の従業員や動員学徒等、1,045名が死亡し、周辺住民も数十名が死亡する。工場従業員や周辺住民を合わせて約2,000名が死亡、重軽傷者も約2,000名との説もある。
1946年 - ラーマ8世の崩御により、弟のラーマ9世が、東南アジアに位置するタイ王国の国王に即位。
1950年 - 国鉄(日本国有鉄道、現在の東日本旅客鉄道[JR東日本])信越本線の熊ノ平駅(群馬県碓氷郡松井田町[現:群馬県安中市]に所在したが、1997年に廃止)で、この前日に土砂が崩壊して本線と突込線が埋没する。この時点での人的被害はなかったが、含水量が多いこと等から作業が難航した上、翌6月9日午前6時6分頃、その上方で大規模な崩落が発生し、作業中の人員や宿舎等が埋まってしまう。その後、手作業での救出作業が行なわれたが、6月11日午後11時半頃に3回目、6月12日午前7時24分に4回目の崩落がそれぞれ発生。最終的に、この事故による死者は50名、重軽傷者は21名に上り、線路は延長約70mに亘って幅約60m、深さ約2mの土砂が堆積する。
1952年 - 「日本国とインドとの間の平和条約(日印平和条約、昭和27年条約第12号)」が調印される。インドは、1951年に開催された、日本とアメリカ等、西側諸国との第二次世界大戦の講和会議であるサンフランシスコ講和会議に招請を受けたが、当時のインド首相ジャワハルラール・ネルーが、「日本に名誉と自由を他の国々と同様に与えるべきである」と考えたため、1951年8月23日、会議への参加と条約への調印を拒否する。但し、日本との関係回復を否定する立場にはないとして、「日本国との平和条約(サンフランシスコ講和条約、昭和27年条約第5号)」調印当日になって、日本側に対し、個別に平和条約を結ぶ意思があることを通告する。そして、交渉の結果、翌1952年6月9日に、「日印平和条約」が東京で調印されている。なお、この「日印平和条約」で取決められた外交・通商関係の規定は暫定的なものとされ、具体的な項目については、1958年2月に締結(同年4月8日発効)された「通商に関する日本国とインドとの間の協定(日印通商条約、昭和33年条約第8号)」によって、最終的な解決をみることとなる。
1957年 - 中国とパキスタンとの国境にある世界12番目の高峰ブロード・ピーク(標高8,047m)に、マルクス・シュムック率いるオーストリア登山隊が無酸素で初登頂。オーストリア登山隊は、高所ポーターや酸素ボンベを使わずに隊員4名で荷揚げ、ルート工作をして登頂に成功する。大量の物資とポーターを投入して登るのが普通であった当時としては、画期的な成果である。
1959年 - アメリカ海軍のジョージ・ワシントン級弾道ミサイル原子力潜水艦の1番艦『ジョージ・ワシントン』が進水。ジョージ・ワシントン級は、世界初の弾道ミサイル原子力潜水艦である。1959年12月に1番艦『ジョージ・ワシントン』が就役し、冷戦(第二次世界大戦後の世界を二分した、西側諸国のアメリカを盟主とする資本主義・自由主義陣営と、東側諸国のソビエト連邦を盟主とする共産主義・社会主義陣営との対立構造)期のアメリカに、巨大な核火力と強力な抑止力をもたらす。1960年代のロバート・マクナマラ国防長官の核抑止政策の下、後継のイーサン・アレン級、ラファイエット級と共に「自由のための41隻」の一翼をなし、冷戦下の水中核戦力におけるアメリカの優位の維持に寄与している。
1967年 - 第三次中東戦争: イスラエルが、イスラエル、レバノン、ヨルダン、シリアの国境が接するゴラン高原を占拠する。
1973年 - アメリカの競走馬セクレタリアトが、アメリカクラシック三冠を達成。アメリカクラシック三冠とは、アメリカ合衆国のサラブレッド平地競馬の競走の内、5月から6月にかけて開催されるケンタッキーダービー、プリークネスステークス、ベルモントステークスの3歳限定競走の全てを制覇することである。
1974年 - ポルトガルとソビエト連邦が国交を結ぶ。
1975年 - 東南アジアに位置するフィリピンが中華人民共和国と国交を結び、中華民国(台湾)と断交する。
1993年 - 皇太子徳仁親王(当時33歳)と外務省職員の小和田雅子(当時29歳)の結婚の儀。2019年5月1日、皇太子徳仁親王は即位し、第126代天皇、今上天皇(天皇徳仁)となり、皇太子妃雅子は皇后雅子となる。
1995年 - 衆議院で「歴史を教訓に平和への決意を新たにする決議(戦後50年決議)」を採択。
2002年 - サッカー日本代表が、2002 FIFAワールドカップ(第17回日本・韓国共同開催大会)で1-0でロシアに勝ち、ワールドカップ初勝利を挙げる。
2005年 - 日韓歴史共同研究で、歴史教科書を研究対象に加える方向で調整に入る。
2006年 - 2006 FIFAワールドカップ(第18回ドイツ大会)が開幕。強豪国が次々と敗れて新興国が上位に進出し、「新時代の到来」と呼ばれた、2002 FIFAワールドカップ(第17回日本・韓国共同開催大会)から打って変わり、2006 FIFAワールドカップ(第18回ドイツ大会)は波乱が殆ど起こらない、順当な上位の顔ぶれとなる。タレントに欠けると言われ、親善試合でも結果が出なかった開催国のドイツは、蓋を開ければ抜群の得点力を武器に勝ち進み、戦前の予想を大きく覆す3位に入賞する。また、予選、親善試合、更には、開幕後のグループリーグでも大苦戦し、早期敗退が有力視されたフランスは、本大会限りで引退する名選手、ジネディーヌ・ジダンの花道を飾ろうとチームが団結し、最終的には準優勝に輝く。国内リーグ所属選手のみで構成されたイタリアが、24年振り4回目の優勝を果たし、圧倒的な優勝候補筆頭に挙げられていた前回優勝国のブラジルは、準々決勝でフランスに敗退している。
2018年 - 2018年東海道新幹線車内殺傷事件。神奈川県の新横浜駅 - 小田原駅間を走行中の東海道新幹線「のぞみ265号」 (東京発新大阪行き)の12号車において、犯人(当時22歳の男)が旅客3名を鉈で切付け、1名を殺害し、2名に重傷を負わせる。
2019年 - 中華人民共和国の南部にある特別行政区の香港で、中国本土、マカオ(中国大陸南岸にある旧ポルトガル海外領土で、中華人民共和国の特別行政区の1つ)、台湾への犯罪者引渡しを可能にする「2019年逃亡犯条例改正案」改正案に反対する大規模デモが行なわれる
2021年 - 韓国南西部にある光州広域市で、解体中の5階建て建物が崩壊。現場に差掛かったバスが巻込まれ、乗客9名が死亡、8名が重傷を負う。