6月8日 記念日 その3 | スズメの北摂三島情報局

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2011/08/02 リニューアル
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柴犬ハルがお伝えします

大鳴門橋開通記念日。
1985(昭和60)年6月8日、大鳴門橋が開通したことを記念する日。大鳴門橋は、兵庫県南あわじ市福良丙 (淡路島門崎)と徳島県鳴門市鳴門町土佐泊浦(大毛島孫崎)間の鳴門海峡の最狭部を結ぶ吊り橋である。「高速道路株式会社法(平成16年6月9日法律第99号)」により設立された特殊会社、本州四国連絡高速道路が管理しており、本州と四国を結ぶ3つの本四架橋ルートの1つ、神戸淡路鳴門自動車道として供用され、四国地方と近畿地方の交通の要になっている。橋長は1,629m、中央径間は876m、幅は25m、主塔の高さは144.3m。橋は上下2層式となっており、上部は片側3車線の道路(現在は計6車線の内、中央4車線を使用)、下部は将来的に鉄道(四国新幹線)を通すことができる構造となっている。但し、明石海峡大橋が道路単独橋で建設されたので、淡路島より本州方面への鉄道整備に関しては、紀淡海峡トンネル等、別途トンネルを建設するか、架橋が必要となる。大鳴門橋の両端にある門崎高架橋、及び、亀浦高架橋が6車線分の半断面を使用して、暫定4車線としているため、最高速度が時速70Kmに制限されている。なお、車線幅が一般道路並であるので、開通当初は最高速度が時速60Kmであった。地形上風が強く、速度規制(通常時時速70km、規制時時速40km)がよく行なわれる区間でもある。開通当初は、橋上で鳴門の渦潮を見ようとするドライバーが後を絶たなかった。そのため、橋上区間全体に亘って、路側帯には「停駐車禁止 路側走行禁止」と標示されている。また、橋上には至る所にスピーカーが設置されていて、ドライバーに警告を発している。淡路島 - 鳴門間は、鳴門フェリー(日本で最初の本格的なフェリーとも言われる)、淡路フェリーボートのフェリー航路が廃止されたため、この橋以外に渡航ルートがなく、現在では徒歩、及び軽車両・原動機付自転車・小型自動二輪車・ミニカーで淡路島 - 四国間を行き来することができない。また、歩行者や自転車が通行できるような専用の通路の設置も、現状では困難となっている。なお、鳴門フェリーは、1954(昭和29)年4月に徳島県の県営で航路が開設された。日本道路公団(日本の有料道路の建設、及び管理に当たってきた公団[政府の経営する企業形態の1つで、大規模な物的施設の建設管理を業務とする特殊法人]であり、2005[平成17]年に分割民営化される)が設立された1956(昭和31)年4月からは、国道28号の海上国道(海上部、即ち、海上区間を含めて一連の道路となる一般国道)公団鳴門フェリーとして運航された。兵庫県神戸市垂水区に本社を置く淡路フェリーボートは、兵庫県三原郡西淡町(現:兵庫県南あわじ市)と徳島県鳴門市の間で短距離内航フェリー航路を運航していた。この航路は、1965(昭和40)年4月に鳴門海峡フェリーが運航を開始していたものを、本州 - 淡路島航路を運営していた淡路フェリーボートが鳴門海峡フェリーを合併したものである。鳴門の渦潮と共に、大鳴門橋は、徳島の代表的な建築物として県民から愛されており、瀬戸内海国立公園、及び名勝に指定された鳴門海峡にふさわしい景観をもつ道路として、1987(昭和62)年度の「日本の道100選」に選定された。橋桁下部空間は鉄道を敷設し得る構造として建設されたが、明石海峡大橋は鉄道を通さない構造で建設されたため、淡路島 - 本州間については別途ルートの整備が必要となる。代わりに、紀淡海峡に鉄道を通して和歌山から鳴門に至る、若しくは、明石海峡に鉄道トンネルを掘削することで、大鳴門橋を活用しようとする模索は続けられている。2000(平成12)年4月、徳島県では橋の鉄道予定空間を利用して、鳴門の渦潮の見学施設「渦の道」を建設し、鳴門公園の新たな観光スポットとして人気を集めている。また、着工後に四国新幹線建設の見通しが不明確なことと、建設費の圧縮を理由として、一度に1列車しか橋上を通過できない「単線載荷」への設計変更が、1980(昭和55)年に為されているため、仮に鉄道が敷設されても、大鳴門橋の区間は実質的に単線運行となる。明石海峡と鳴門海峡に架橋し、淡路島を経由して鉄道で本州と四国を直結する構想は古くから存在しており、 1953(昭和28)年には「鉄道敷設法(改正法、大正11年4月11日法律第37号)」別表に2つの架橋区間が追加されている。その後、1969(昭和44)年の新全国総合開発計画(第2次の全国総合開発計画[日本国土の利用、開発及び保全に関する総合的、かつ基本的な計画であり、住宅、都市、道路その他の交通基盤の社会資本の整備のあり方等を、長期的に方向付けるもの])での記載を経て、1973(昭和48)年には大鳴門橋を含む本州四国連絡橋の工事基本計画が運輸大臣(現在の国土交通省の前身の1つ、運輸省の長)より指示され、3ルート同時着工が一旦決まったものの、その直後に起きたオイルショック(原油の供給逼迫、及び原油価格高騰と、それによる世界の経済混乱)に伴なう総需要抑制政策の一環として、工事は凍結されることになった。1975(昭和50)年に、生活橋として最初に着工された大三島橋(愛媛県の伯方島と大三島を結ぶ、瀬戸内海の鼻栗瀬戸に架かるアーチ橋)に続き、1976(昭和51)年に着工された。元来は、鉄道橋として構想されたものであったが、1973(昭和48)年の基本計画で鉄道道路併用橋とされた。1975(昭和50)年に着工が決定した際には「従来の方針で諸般の準備を進める」とされ、その規格によって建設されている。大鳴門橋の年間通行台数は、本四3ルート(本州と四国を橋等で結ぶ、3つの道路・鉄道ルート)の各橋の中では、明石海峡大橋に次いで2番目に多い。神戸淡路鳴門自動車道の全通、高松自動車道の鳴門延伸に伴ない交通量も増加し、また、2009(平成21)年に始まったETC割引制度(電子料金収受システム[ETC、有料道路を利用する際に、料金所で停止することなく通過できるノンストップ自動料金収受システム]を利用して、料金所を無線通信によって通行する自動車が、有料道路を利用した際の各種の条件による通行料金の割引制度)を始めとする各種料金割引により、休日、及び小型車の交通量が大幅に増加した結果、管理会社の本州四国連絡高速道路が当初予測した交通量をほぼ達成した。2015(平成27)年3月14日には、愛媛県四国中央市の川之江東ジャンクションに至る徳島自動車道との接続(徳島インターチェンジ - 鳴門ジャンクション間の開通)が可能となった。大鳴門橋は、本州と四国間を移動するための利用が大半であるが、淡路島南部(兵庫県南あわじ市、兵庫県洲本市)から徳島市や徳島県鳴門市への買物や通院等、さらに、徳島県から淡路島への観光等にも、少なからず利用されている。また、関西と四国各地を結ぶ、高速バス等の路線バスも多く運行されている。大鳴門橋架橋を記念して、徳島県鳴門市鳴門町土佐泊浦に設置された徳島県立大鳴門橋架橋記念館(愛称:エディ)は、大毛島の最北突端部、大鳴門橋を望む位置にある。大鳴門橋の架橋の意義を後世に伝えると共に、鳴門公園地区の優れた自然を理解させ、合わせて、県の自然・歴史・民俗・産業等を紹介することを目的に開設された。鳴門海峡や大鳴門橋に隣接しており、眺望が素晴らしいことで知られる鳴門公園の中にあり、鳴門公園には、エスカヒル鳴門(観光用エスカレーターを持つ展望施設)や大塚国際美術館(西洋名画等をオリジナルと同じ大きさに複製し展示する、陶板複製画を中心とした美術館)等もある。