6月7日 できごと その3 | スズメの北摂三島情報局

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2011/08/02 リニューアル
2019/07/14 アメブロ移動
柴犬ハルがお伝えします

1981年 - イラク原子炉爆撃事件。イスラエル空軍が、中東・西アジアに位置するイラクの中部、タムーズのオシラク原子炉を奇襲攻撃、破壊する。
1982年 - 1977年8月16日に42歳で没した、アメリカの歌手・俳優、エルヴィス・プレスリーの自宅、「グレイスランド」の一般公開が始まる。アメリカ合衆国南部、テネシー州の西端にあるメンフィス(テネシー州最大の都市)に所在する「グレイスランド」は、広大な敷地を誇り、白い円柱が特徴とされる。一部は一般公開されており、エルヴィス・プレスリーの命日には、世界中からファンが集まる「聖地」として知られる。世界で最も訪問者数が多い私邸(又は墓)として、『ギネス世界記録』(イギリスの出版社、ギネスワールドレコーズが、地球上のあらゆる世界一を探求し、認定・登録してきた記録集)に登録されている。エルビス・プレスリーは「グレイスランド」で亡くなったが、没後18年後に当たる1995年には、年間最多記録となる753,965名が「グレイスランド」を訪れている。
1983年 - 東鉄工業作業員宿舎放火殺人事件。千葉県四街道市で、中堅建設会社(ゼネコン)東鉄工業株式会社の作業員宿舎から火の手が上がる。作業員宿舎には社員3名が泊まっており、2名が死亡、1名が負傷する。事件後、新左翼党派の1つ、革命的共産主義者同盟全国委員会(通称:中核派)が各報道機関に犯行声明を出したことから、公安警察は中核派による放火殺人テロ事件と断定する。その後の捜査により、犯行に使われたと見られる時限発火装置が発見されている。新東京国際空港(現:成田国際空港)問題から発生した三里塚闘争(新東京国際空港建設に反対する闘争)では、既に警察官複数名が殉職していたが、この放火殺人テロ事件は、民間人が犠牲になった最初の事件であり、これ以降、民間人をも標的とする極左暴力集団によるテロ事件が起きるようになる。なお、東鉄工業株式会社は、新東京国際空港公団(現:成田国際空港株式会社)からジェット機燃料輸送用のパイプライン建設を請け負っていたことから、テロ事件の標的となっている。
1986年 - 広島東洋カープの衣笠祥雄が、日本プロ野球史上初の2,000試合連続出場を達成。衣笠祥雄は、その後も連続出場を続け、メジャーリーグベースボール(MLB、大リーグ)ニューヨーク・ヤンキースのルー・ゲーリッグが保持していた2130試合連続試合出場世界記録、2,130試合を更新し、引退する試合までに2,215試合連続出場を果たす。
1991年 - フィリピン中北部のルソン島西側にある活火山、ピナトゥボ山から高さ約7,000mの噴煙が立昇る。これに先立ち、ピナトゥボ山周辺では4月頃から、小規模な水蒸気噴火が繰返し発生しており、政府は大規模な噴火に備えて、山麓の住民を避難させていたが、この6月7日の噴火以降、ピナトゥボ山では大噴火が相次ぎ、6月12日の噴火では、噴煙柱が高さ約25,000mまで上昇する。6月15日13時42分頃からは最大規模の破局的な噴火が発生し、平成3年台風5号の接近と重なって、噴火による軽石や火山灰が雨に混ざり、ルソン島に降注ぐ。水を含んで重くなった軽石や火山灰が、家屋の屋根に堆積して多数の家屋が倒壊する等して、300名以上が死亡する。一連の噴火活動で噴煙が成層圏(大気の鉛直構造において一番下の層である対流圏の直上層)に達し、数年に亘って上空に滞留したことから日射量が減少して、世界各地で異常気象が発生する。1993年に発生した日本の記録的な冷夏は、このピナトゥボ山噴火が一因とされている。噴出物(火砕物・火砕流の堆積物)の総量は約10立方kmとされ、これは、1912年に発生した、アメリカ合衆国最北端のアラスカ州に所在するノヴァラプタ山以来の大噴火で、1980年のセント・ヘレンズ山(アメリカ合衆国西海岸最北部、ワシントン州スカマニア郡にある活火山)噴火の約10倍に当たる。噴出物はマグマより希薄なので、マグマで換算すると約4立方kmに相当する。この大噴火の火山爆発指数(火山の爆発規模の大きさを示す区分で、0から8に区分され、8が最大規模となる)は6である。山頂があったところは、差渡し約2.5kmのカルデラ(スペイン語で大鍋の意味であり、火山の活動によってできた大きな陥没地形で、噴火時にできた火口とは区別され、火口よりも大きく、内側は急崖で、外側は緩斜面からなる)になる。外輪山の最高点は標高1,485mで、噴火以前より259m低くなっている。堆積した噴出物の厚さは最大約200mにも達し、場所によっては、噴火から3年余り経ってからも、二次的な水蒸気爆発が起きる程の高温であったとされる。噴火による死者は、300名余を数える。死因の多くは、濡れた火山灰の重さによる屋根の崩壊である。噴火と同時に到来した台風による雨水が、堆積した火山灰に染込んで重さを増したため、被害が拡大する。噴火前の避難指示は数万名の命を救い、火山学と噴火予知の偉大な成功として認められている。しかし、噴火の沈静後も、毎年のように雨季になると火山泥流が発生して、数千名が避難している。また、避難所の不衛生な環境により、数百名が死亡したという。地域の農業は、噴火の影響で大打撃を受け、数百平方kmもの耕地が不毛と化し、数千名に及ぶ農民の生活基盤が破壊されている。1991年の噴火は、その大きさと激しさにおいて20世紀最大級であったが、地質学者が発見した過去の噴火に比べると小規模なものである。複数の証拠によると、ピナトゥボ山の噴火は段々と弱くなってきているようであるが、立証はされていない。この地域には、米比相互防衛条約に基づく大きな米軍基地が2つ存在しており、それは、火山の南西約75kmのスービック海軍基地と、東約40kmのクラーク空軍基地である。両基地共、噴火により大きな被害を受け、そのまま放棄される。アジア最大のアメリカ海軍基地であったスービック海軍基地の使用期限延長に関する交渉中の1991年4月、ピナトゥボ山が活動し始め、6月に大噴火する。スービック海軍基地は、ピナトゥボ山の近くにあったクラーク空軍基地の兵員の大半と、その家族の避難場所になったが、屋根に降積もった火山灰の重さで建物が倒壊し、死者が出る等の被害を受ける。アメリカ軍はクラーク空軍基地の放棄を決定する一方、スービック海軍基地については、10年間の使用期限延長を望んだが、フィリピン上院は拒絶し、両基地は1991年11月26日に返還される。戦略上の要衝に位置するこの地域において、駐留アメリカ軍の軍事的抑止力を失った結果、南シナ海の岩礁を中国に奪われたフィリピン政府は2015年、南シナ海での中国による環礁埋立て強行に対応する為、新たに導入した軽戦闘爆撃機と数隻のフリゲート艦を、スービック地域に再配備すると発表する。アメリカ海軍も小規模ながら、スービック海軍基地の利用を再開している。
1995年 - アメリカの航空会社、ユナイテッド航空をローンチカスタマー(航空機の新規開発の後ろ盾となる航空会社)として、ワイドボディ(客室1階に通路が2本ある機体)双発ジェット旅客機ボーイング777が運用を開始。ボーイング777は、中距離向けの双発ジェット旅客機ボーイング767と、大型ジェット旅客機ボーイング747の中間的なサイズの旅客機として開発されたものである。3軸6輪の主脚を持つこと、そして、短・中距離路線向けの小型双発ジェット旅客機ボーイング737の胴体と同じくらいの太さのエンジンを、双発で装備すること等が特徴で、双発での長距離飛行が承認された初の機体である。機体は、アメリカ合衆国に所在する世界最大の航空宇宙機器開発製造会社、ボーイング社では初めて、コンピュータ上(コンピュータ支援設計[CAD]等)で全て設計されており、また、ボーイング社の旅客機としては初めて、全翼面のフライバイワイヤー(コンピューターを使った操舵)を導入している。
2017年 - ミャンマー空軍Y-8墜落事故。東南アジアのインドシナ半島西部に位置するミャンマーの南部、ミェイクから、ミャンマー中部にあるヤンゴン(ミャンマーの旧首都で、国内最大都市)へ向かっていたミャンマー空軍の多用途ターボプロップ4発中型輸送機、西安飛機工業公司(中国の航空機製造会社)運輸八型(Y-8F-200)が、アンダマン海(ミャンマー南部の西沖合)に墜落し、乗客108名(ミャンマーの軍人達やその家族達)と乗員14名、合わせて122名全員が死亡する。 
2022年 - 横浜DeNAベイスターズの今永昇太が、史上85人目のノーヒットノーランを達成。