6月7日 できごと その2 | スズメの北摂三島情報局

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2011/08/02 リニューアル
2019/07/14 アメブロ移動
柴犬ハルがお伝えします

1905年 - 北ヨーロッパのスカンディナビア半島西岸に位置するノルウェーの議会で、同君連合スウェーデン=ノルウェーからの分離・独立が宣言される。
1913年 - 北アメリカ大陸最高峰のマッキンリー山(標高6,168m)に、アメリカの宣教師、ハドソン・スタックら4名が初登頂。
1919年 - セッテ・ジューニョの暴動: イタリアの西南、シチリア島の南(地中海の洋上)に位置するマルタで、パンの公定価格の値上げに端を発し、イギリス支配に反対する住民の暴動が起こる。イギリス軍が住民に発砲し、4名が死亡する。
1920年 - 名古屋電気鉄道(愛知県名古屋市を中心に鉄道事業を展開していた企業で、愛知県を基盤とする大手私鉄の名古屋鉄道[名鉄]や、名古屋市営地下鉄等を運営する名古屋市交通局の前身となる)の主力車両基地、那古野車庫が漏電により出火、重油に引火して全焼する。市内線車両91両という、約半数に当たる車両の焼失で、名古屋電気鉄道を市営化する動きが急激に加速し、1921年に郊外路線を名古屋鉄道(初代で、後の名岐鉄道、名古屋鉄道の前身)へ譲渡、翌1922年、市内線を名古屋市電気局(名古屋市交通局の前身)へ譲渡し、名古屋電気鉄道は解散する。
1921年 - 小協商(第一次世界大戦後にチェコスロバキア、ユーゴスラビア、ルーマニアの間で成立した同盟関係): ルーマニア・ユーゴスラビア相互援助条約が締結される。
1921年 - 九州全域で豪雨となり、大分県内だけでも約200名の死者を出す。
1924年 - 第二次護憲運動(憲政擁護を求める、大衆の関与の薄い政党中心の運動)による倒閣の動きが高まり、5月10日に行なわれた第15回衆議院議員総選挙で清浦奎吾内閣支持派が大敗し、清浦奎吾内閣が総辞職する。
1926年 - スペイン(スペイン北東部の地中海岸にあるカタルーニャ出身)の建築家、アントニオ・ガウディが路面電車に轢かれ、3日後に死亡する。享年、73歳。アントニオ・ガウディの建築は、曲線と細部の装飾を多用した、生物的な建築を特徴とし、その独創的なデザインは、多くの建築家や芸術家に影響を与えている。その設計手法は、独自の構造力学的合理性と物語性に満ちた装飾の2つの側面より成立する。装飾は形式的なものに留まらず、植物・動物・怪物・人間等をリアルに表現している。
1935年 - イギリスの第55代・第57代首相であったスタンリー・ボールドウィンが第59代首相に就任し、挙国一致(大規模な戦争や経済恐慌といった、国家の危機や政党内閣の危機に際して、対立する政党をも包含して作られた内閣)の第3次ボールドウィン内閣が発足。
1936年 - 『多摩川スピードウェイ』で、第1回全国自動車競走大会が開催される。『多摩川スピードウェイ』は、かつて神奈川県川崎市中原区の多摩川河川敷に存在したパーマネント(常設)サーキットである。日本、及びアジア初のパーマネント(常設)サーキットとして、1936年5月9日に開業しており、一周1,200m、幅20mのオーバルダートトラック(直線をバンク[傾斜]の付いたターンで繋いだ未舗装の周回路)の左回りのコースに、多摩川の堤防土手を利用したメインスタンドを持つ構造となっており、メインスタンドの収容人数は数千名程度で、サーキット敷地内の最大収容人数は3万名とされている。運営は、東京横浜電鉄(現在の東京圏にある大手私鉄、東京急行電鉄[東急]の前身の1つ)が行なっている。第二次世界大戦後の1950年代初頭には廃止されることとなったが、サーキットとして廃止された正確な時期は不明である。
1938年 - 大型レシプロ旅客機ダグラス・エアクラフト(現在はボーイング社に吸収される)DC-4E試作機が初飛行。結果的に旅客機として実用化されることはなく、試作機1機のみで開発計画は中止になる。
1939年 - 満蒙開拓青少年義勇軍(日本内地の数え年16歳から19歳の青少年を、満州国[現在の中国東北部に所在]に開拓民として送出する制度)壮行会が『明治神宮外苑競技場』で開催される。『明治神宮外苑競技場』は、近代日本における最初の大規模スタジアムで、1957年に取壊されたが、日本を代表する大型スタジアムとして利用され、2014年5月に閉鎖された『国立霞ヶ丘陸上競技場』の前身に当たる。 
1941年 - アメリカ海軍の戦艦『サウスダコタ』が進水。サウスダコタ級のネームシップである戦艦『サウスダコタ』は、就役直後、海図にない囲い柵に衝突し、船体に大きな損傷を受ける。第二次世界大戦対米英戦への参加後も、友軍の駆逐艦と衝突する等、様々な苦境に陥ったため、「艦隊の疫病神」という嬉しくないニックネーム(渾名、別名)を付けられている。
1941年 - 中部圏の商工業の興隆、他銀行の買収・合併等によって、着実に業容を拡大していた在名3行、愛知銀行・名古屋銀行・伊藤銀行が、政府の「一県一行主義」の方針に従って合併し、東海銀行(現在の三菱FJ銀行の前身の1つ)を設立する。その後、東海銀行は、銀行業整備の国策に基づいて、1945には、愛知県内の他の地元銀行を相次いで合併し、県下唯一の本店銀行となる。第二次世界大戦後は中京圏に本店を置く、唯一の都市銀行となり、愛知県に本店を置く戦後設立地銀が新設されなかったため、名古屋財界(中京圏財界)において「五摂家」(他の4社は、中部電力・東邦瓦斯・名古屋鉄道・松坂屋)の一員として影響力を持っていたが、バブル崩壊(1991年3月から1993年10月までの景気後退期)による不良債権処理等から、2002年2月に大手都市銀行6行の1つであった三和銀行と合併し、UFJ銀行となる。なお、UFJ銀行は2006年、東京三菱銀行と合併し、三菱東京UFJ銀行となり、2018年には商号を三菱UFJ銀行と変更している。
1942年 - 第二次世界大戦: ミッドウェー海戦が終結する。
1942年 - 第二次世界大戦・アリューシャン方面の戦い: 日本軍がアリューシャン列島のキスカ島を占領。
1945年 - ノルウェー王国の国王ホーコン7世が、亡命先のイギリスから帰国する。
1948年 - チェコスロバキア(中央ヨーロッパに位置する現在のチェコとスロバキアにより構成されていた)のエドヴァルド・ベネシュ大統領が辞職。
1951年 - 「計量法(旧法、昭和26年6月7日法律第207号)」公布。
1951年 - 日本初の信販会社、日本信用販売(後の日本信販、現:三菱UFJニコス)が創立される。「消費者信用」とは「消費者の信用に基づいた契約」のことをいい、後払いで商品等を購入する「販売信用」と、現金を借入れる「消費者金融」とに分けることができる。信販会社は、その「販売信用」を主な事業とする会社で、俗に言う「クレジット屋」である。「販売信用」を営む会社には、小売等の業務を営むものも含まれるが、信販会社は「販売信用」をメインとするものであり、「貸金業法(昭和58年5月13日法律第32号)」に基づく「貸金業者」(消費者や事業者を対象に融資を行なう事業で、銀行や協同組織金融機関、保険会社、証券金融会社、短資業者等を除くもの)と混同される場合があるが、「販売信用」は、商品やサービスの代金を立替払いし、後から請求する形であり、顧客へ金銭の貸付けを行なう訳ではない。 
1955年 - 日本が「関税及び貿易に関する一般協定(GATT)」に加盟。「関税及び貿易に関する一般協定(GATT)」は、関税や各種輸出入規制等に関する貿易障壁を取除き、多国間で自由貿易を維持・拡大するために締結された国際協定で、第二次世界大戦後の安定を見据えて、為替相場の安定化を目的として設立された国際通貨基金(IMF)、及び、各国の経済面での復興を援助するために設立された国際復興開発銀行(IBRD)と共に、設立が予定されていた国際貿易機関(ITO)の設立準備の際、暫定協定として結ばれたものであったが、国際貿易機関(ITO)の設立が廃案となり、「関税及び貿易に関する一般協定(GATT)」がその代替として発展強化されていく内に、再びこの分野の常設機関が求められ、自由貿易促進を主たる目的とした国際機関、世界貿易機関(WTO)が設立されることとなる。
1955年 - 東京で、第1回日本母親大会が開かれる。
1957年 - フランス、ドイツ、イタリア、スイス、オランダ、ベルギー、ルクセンブルクの7ヶ国の鉄道により、各国約90の主要都市を結んで直通運転される、ヨーロッパ横断特急(TEE)が運行を開始。全て一等車からなる昼行の国際列車で、一定の条件を満たしたものがヨーロッパ横断特急(TEE)とされたが、一等国際列車としてのヨーロッパ横断特急(TEE)は1988年に全廃され、国内列車のヨーロッパ横断特急(TEE)も1991年に廃止される。