6月7日 できごと その1 | スズメの北摂三島情報局

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2011/08/02 リニューアル
2019/07/14 アメブロ移動
柴犬ハルがお伝えします

0671年 - 漏刻(容器に水が流入、又は流出するようにして、その水面の高さの変化で時を計る時計)と鐘鼓(鐘と太鼓)による時報が開始される。これはユリウス暦によるもので、グレゴリオ暦(新暦)では6月10日に相当する(時の記念日)。
0871年 - 山形県と秋田県とに跨がる標高2,236mの活火山、鳥海山が噴火。鳥海山は、山頂に雪が積もった姿が富士山にそっくりなため、出羽富士とも呼ばれて親しまれており、秋田県では秋田富士、山形県では庄内富士とも呼ばれている。紀元前466年には大規模な山体崩壊を起こし、岩石や土砂が、現在の秋田県にかほ市に堆積して、浅い海と多くの小さな島々ができ、象潟(現在は平地となっているが、かつては潟湖[砂州やサンゴ礁により、外海から隔てられた水深の浅い水域]で、それを象「潟」と呼んだ)の原型を形成している。1801年の噴火では、死者8名の記録があり、生じた溶岩ドームは、東鳥海山の新山として現在も残っている。1974年3月から5月にかけては、1801年に形成された水蒸気爆発新山の東側火口、及び荒神ヶ岳の割れ目から噴煙を噴出している。
0923年 - 903年に筑前国大宰府(現在の福岡県太宰府市に所在)で亡くなった貴族・学者、菅原道真を右大臣に復し、正二位を贈る。
1099年 - 第1回十字軍: 現在のイスラエル東部にある聖地エルサレムを舞台に、エルサレム攻囲戦が始まる。
1494年 - スペインとポルトガルの間で、トルデシリャス条約が締結される。新大陸(15世紀中ばから17世紀中ばまで続いた大航海時代以降に、ヨーロッパ人が新しく「発見」した、南北アメリカ大陸とオーストラリア大陸)における両国の境界を定める。「新世界」への冒険的航海がブームとなっていたスペインとポルトガルとは、船団の到達先において争うことがあり、抜本的な解決策が求められ、ローマ教皇が介入する。スペイン出身であった第214代ローマ教皇アレクサンデル6世が、自国に便宜を図ろうとし、スペインとポルトガルの勢力分界線を、アフリカのヴェルデ岬(アフリカ大陸最西端、現在のセネガル領内の岬)西方の子午線で、大西洋中央部の洋上に位置するアゾレス諸島と、大西洋中東部の洋上、ヴェルデ岬の西方沖に位置するヴェルデ諸島の間の海上を通過する、経線の東をポルトガル、その西をスペインの勢力圏とする。ポルトガル国王ジョアン2世は、スペインのフェルディナンド2世と直接交渉し、この決定を覆し、境界線をさらに西側へ移動させる。スペインは、トルデシリャス条約により、南北アメリカ大陸の全域で優先権を持つことができたが、現在のブラジルに当たる領土は、1500年にポルトガルの第2回インド遠征隊隊長、ペドロ・アルヴァレス・カブラルが到達(「漂着」)したため、ポルトガルに与えられている。なお、この条約について、スペインもポルトガルも過度に拘った様子はなく、アメリカ大陸にポルトガルが植民活動を行なうことを、スペインも黙認している。
1520年 - フランス北部のカレー近郊で、イングランド王ヘンリー8世とフランス王フランソワ1世との会見、金襴の陣が始まる。
1576年 - 安土城天主(天守)が完成。安土城は、琵琶湖東岸の安土山(現在の滋賀県近江八幡市安土町下豊浦)に所在した城(山城)である。織田信長によって建造され、大型の天守(現地では「天主」と表記)を初めて持つ等の威容を誇り、建造当時は郭が琵琶湖に接していたが、昭和期に干拓が行なわれたため、現在は湖岸からやや離れている。地下1階地上6階建てで、天主の高さは約32m。それまでの城にはない独創的な意匠で、絢爛豪華な城であったと推測されている。この城を築城した目的は、岐阜城よりも京(京都)に近く、琵琶湖の水運も利用できるため利便性があり、加えて、北陸街道から京への要衝に位置していたことから、「越前・加賀の一向一揆に備えるため」、或いは「上杉謙信への警戒のため」等と推察されている。城郭の規模、容姿は、太田牛一(信長の一代記である『信長公記』等を著した 安土桃山時代の武人)や宣教師の記述にあるように、天下布武(織田信長の天下統一事業)を象徴し、一目にして人々に知らしめるものであり、山頂の天主に織田信長が起居、その家族も本丸付近で生活し、家臣は山腹、或いは城下の屋敷に居住していたとされる。1582年、織田家家臣明智光秀による織田信長への謀反(本能寺の変)の後、間もなくして何らかの原因によって焼失し、その後廃城となり、現在は石垣等の一部の遺構を残すのみであるが、当時実際に城を観覧したポルトガル出身の宣教師ルイス・フロイス等が残した記録によって、焼失前の様子を窺い知ることができる。日本の城の歴史という観点からは、安土城は六角氏(鎌倉時代から戦国時代にかけて近江南部を中心に勢力を持った武家)の観音寺城(現在の滋賀県近江八幡市安土町に所在)を見本に総石垣で普請された城郭であり、ここで培われた築城技術が、安土桃山時代から江戸時代初期にかけて相次いで日本国中に築城された、近世城郭の範となる。そして、普請を手掛けたとの由緒を持つ石垣職人集団「穴太衆」はその後、全国的に城の石垣普請に携わり、石垣を使った城は全国に広がっていった、という点でも重要である。
1628年 - イングランド王チャールズ1世が、権利の請願受託の署名を行なう。権利の請願とは、イングランドの議会から国王チャールズ1世に対して出された議会の同意無しでは、課税等をできないようにした請願のことである。
1654年 - フランス王ルイ14世が戴冠(国王が即位の後、公式に王冠・帝冠を聖職者等から受け、王位への就任を宣明する儀式を行なうこと)。幼くしてフランス国王に即位したルイ14世は、中央集権と重商主義政策(貿易等を通じて貴金属や貨幣を蓄積することにより、国富を増すことを目指す経済思想)を推進した他、対外戦争を積極的に行ない、領土を拡張して権威を高める。そして、絶対君主制(君主が統治の全権能を所有し、自由に権力を行使する政体)を確立して王朝の最盛期を築き、「太陽王」と呼ばれる。
1692年 - 南北アメリカ大陸に挟まれた中央アメリカ地域、カリブ海(メキシコ湾の南、大西洋に隣接する水域)洋上の大アンティル諸島に位置する、ジャマイカのポート・ロイヤルで大地震が発生。ポート・ロイヤルは、ジャマイカ島の南西沿岸部に位置しており、17世紀のジャマイカの海運業の中心地である。この地震は、ポート・ロイヤルに甚大な被害を与え、町の約3分の2がカリブ海に沈んだという。この惨事の後、商業の中心地は、ジャマイカ島の南東部の湾に位置するキングストンに移される。
1776年 - 北アメリカ大陸に設立されたイギリス領植民地、バージニア植民地生まれの政治家リチャード・ヘンリー・リーが、アメリカ独立を求めるリー決議案を大陸会議(北アメリカ13州の各植民地代表による会議)に提出する。
1863年 - メキシコ出兵:フランスがメキシコシティ(現在のメキシコの首都)を占領。
1868年 - 明治政府が、長崎の浦上村(現在の長崎市浦上地区)で発見されたキリスト教の信徒達を流罪にする(現在の長崎で、江戸時代中期から4度に亘って発生したキリシタン弾圧事件、浦上崩れの4度目となる、浦上四番崩れ)。
1880年 - 太平洋戦争 (南米): アリカの戦い。
1884年 - 「商標条例(旧法、明治17年6月7日太政官第19号布告)」が制定され、商標の制度が始まる。商標とは、事業者が、自己(自社)の取扱う商品やサービスを他人(他社)のものと区別するために使用するマーク(識別標識)である。日本で最初の商標に関する法規は、この「商標条例(旧法)」である。1888年に勅令をもって全部改正され、「商標条例(新法、明治21年12月20日勅令第86号)」となる。1899年、最初の「商標法(旧法、明治32年3月2日法律38号)」が制定され、これにより「商標条例(新法)」は廃止される。この「商標法(旧法)」は、1909年の「商標法(旧法の第一次改正、明治42年4月5日法律第25号)」と1921年の「商標法(旧法の第二次改正、大正10年4月30日法律第99号)」と2回の全部改正を経て、1959年に「商標法(新法、昭和34年4月13日法律第127号)」が新たに制定されている。
1893年 - インドの民族運動家、マハトマ・ガンディーが、最初の市民的不服従(良心に基づき、従うことができないと考えた特定の法律や命令に、非暴力的手段で公然と違反する行為)を行なう。