6月2日 記念日 その3 | スズメの北摂三島情報局

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2011/08/02 リニューアル
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柴犬ハルがお伝えします

イタリア共和国建国記念日。 
1946(昭和21)年6月2日、イタリアは国民投票により、王制に代わって共和制を政体とすることを決定した。イタリア王国国王ウンベルト2世が退位し、イタリア共和国が建国された記念すべき日であることから、イタリアでは「共和国建国記念日」として祝日となっており、イタリア共和国の首都ローマでは、祝典と、それに続く軍隊による盛大なパレードや音楽会等が開催される。イタリアは君主制を撤廃し、民主主義を回復し、長期に及ぶ好景気を享受したことにより、1990(平成2)年までに先進国の1つになり、世界的な軍事、文化、外交において大きな役割を果たし、主要な地域大国(ある一定の地域内で政治、軍事、経済で大きな影響力を持つ国)と考えられている。イタリア国内は、気候、土壌、高度が地域差に富んでいるため、旧来さまざまな農作物の栽培が可能である。世界有数のワイン生産国であり、オリーブとオリーブ・オイル(オリーブの果実から得られる植物油で、他の食用の油脂に比べて酸化されにくく、常温で固まりにくい性質を持つ)の生産量も多い。酪農も主要な産業であり、ゴルゴンゾーラ、パルミジャーノ・レッジャーノを始め、約50種類のチーズが生産される。第二次世界大戦以降、イタリアでは工業が急速に発展し、イタリアは農業国から工業国へ転換した。   
イタリアワインの日。 
美味しいイタリアワインの認知度を高め、そのニーズの掘起こしを目的に、東京都港区三田に所在する駐日イタリア大使館と、東京都港区南青山に所在するイタリア貿易振興会が2007(平成19)年に制定。イタリアの祝日「共和国建国記念日」に合わせて、イタリアワインをPRするイベントが行なわれる。イタリアは温暖な気候に恵まれており、イタリア半島最初の入植者が古代ギリシャ人であったため、古代ギリシャ語で「ワインの大地」と呼ばれている。イタリア全土で赤・白・ロゼ・スパークリングのワインが作られ、それぞれの州で特徴あるワイン作りが行なわれている。生産規模ではフランスとほぼ互角であり、ワイン生産量・海外輸出量共に、1位2位争いを繰広げている。東京都港区芝に本社を置く、イタリアワインの輸入・販売を行なう食品と酒類の輸入商社、日欧商事株式会社では、この日に合わせてイタリアの白ワインを解禁したり、「イタリアワイン・デー」祭を開催する等、イタリアワインをPRするイベントを行なっている。
ローズの日。 
6月2日の「6」と「2」で、「ロ(6)ーズ(2)」の語呂合わせと、6月は薔薇が最も美しい季節であることから、薔薇をこよなく愛する人のための日をと、奈良県香芝市にある薔薇の雑貨ショップ「フレンチレース」が制定。部屋を薔薇で飾ったり、ローズ風呂を楽しもうと提案している。また、神奈川県横浜市都筑区茅ケ崎中央に事務局を置き、ブルガリア共和国のバラ(ブルガリアンローズ)の普及を目指して、研究・文化交流等を行なう一般社団法人ブルガリアンローズ文化協会も、この日を「ローズの日」としている。日本は、薔薇の自生地として世界的に知られており、品種改良に使用された原種の内、3種類(ノイバラ、テリハノイバラ、ハマナシ)は日本原産である。古く薔薇は、「うまら」「うばら」と呼ばれた。薔薇が、現在のように「花の女王」として愛好されるようになるのは、明治以降である。それでも、明治時代初期頃は西洋の「高嶺の花」であった。その後、薔薇が接ぎ木で増やせることから、優秀な接ぎ木職人のいる東京郊外の川口市東部の安行地区や、京阪神地域の郊外、宝塚市山本地区で栽培が行なわれるようになった。薔薇は、皇族、華族、高級官僚といったパトロン(経済的な援助者)を得て、日本でも徐々に愛好され始め、生産量も増え始めた。大正時代から昭和時代前期の頃には、一般家庭にも普及した。第二次世界大戦の戦時中には、日本でも薔薇の栽培より野菜の栽培が優先され、生産が停滞する。第二次世界大戦後すぐの1948(昭和23)年には、東京の銀座で薔薇の展示会が開かれた。さらに1949(昭和24)年には、横浜で薔薇の展示会が開かれ、その時には、アメリカから花を空輸して、展示用の花が揃えられた。第二次世界大戦後の高度成長(飛躍的に経済規模が継続して拡すること)の波に乗り、薔薇は嗜好品として庶民にも普及していき、日本でも品種改良が行なわれるようになった。また、鉄道会社が沿線開発の一環として、バラ園の造営を行なうようになり、各地にバラ園が開園された。また、日本では薔薇は、花卉としてはキク、カーネーションと並ぶ生産高があり、ハウス栽培で年中市場に供給されるようになった。 
おむつの日。 
あむつを通じて、全ての赤ちゃんの幸せで健やかな成長について考えてもらおうと、愛媛県四国中央市三島紙屋町に本社を置く、赤ちゃん用の紙おむつ「GOO.N(グ~ン)」を製造する大手製紙メーカー、大王製紙株式会社が制定。赤ちゃんとのコミュニケーションツールにと、絵本も発刊する。日付は、6月2日の「062」を、「おむつ」と読む語呂合わせから。おむつ(おしめ)は主として、赤ちゃん(乳幼児)や一部の高齢者・障害者・入院患者等、排尿や排便を自己の意思で制御できない者や、体の自由が利かないためにトイレに行くことが困難な者等が使用する。尿や便の水分を保持する目的から吸水性を求められ、水分の漏れを防ぐために、防水性のある素材で外側を覆い、脱落を防止するために固定、或いはゴム状の素材等である程度締め、固定する必要がある。肌に直接触れ、かつ、特に肌の弱い乳幼児に使用される性質上、素材の肌触りもまた重視されている。語源には、古来よりの言葉「むつき(襁褓)」が口語として変化したものとする説と、1反のさらしから6枚分のおしめが取れることから、おむつと呼ぶようになったとする説がある。布おむつは、吸水性のある布や綿でできた吸水部分を股間に当て、全体を覆うようなカバーを使って、体に密着するように固定する。おむつもカバーも、洗濯して繰返し使用する。使い捨ておむつ(紙おむつ)は、汚れたら新品に交換し、再使用を前提としない市販のおむつである。素材として、必ずしも紙のみが使われている訳ではないこともあり、紙おむつという呼称は適しているとは言い難いが、習慣上そう呼ぶ人は少なくない。かつての使用素材は紙や綿であったが、1980年代以降は高吸水性ポリマー(特に、高い水分保持性能を有するように設計された高分子製品)や不織布(繊維を織らずに絡み合わせたシート状のもの)を使用する等の工夫により、布おむつを凌ぐ性能を有するようになっている。大王製紙株式会社は、紙・板紙事業の他、衛生用紙・おむつ・ナプキン等、最終的に一般消費者へ販売される製品の部門からなる「ホーム&パーソナルケア事業」等を展開している。愛媛県宇摩郡三島村(現在の愛媛県四国中央市)出身の製紙原料商、井川伊勢吉が1941(昭和16)年に設立した四国紙業株式会社を前身とし、四国紙業等14社が1943(昭和18)年に合併して発足した会社である。2007(平成19)年、アメリカ合衆国を本拠とする世界最大の一般消費財メーカーであるプロクター・アンド・ギャンブル(P&G)から、日本における「アテント」(大人用紙おむつ)の商標権・生産施設等、事業全般を取得した。この結果、大人用紙おむつのシェアは1割弱から2割弱へ上昇し、生理用品、紙おむつ(赤ちゃん用、大人用)等の衛生用品の大手メーカー、ユニ・チャームに次いで日本国内2位となった  
むずむず脚症候群の日。 
夕方から夜間にかけて、下肢に虫が這うような異常感覚を生じる睡眠障害のむずむず脚症候群。この疾患に苦しむ人を救うため、また、睡眠医療認定病院で適切な診断を受けられるようにと、大阪府高槻市南平台に事務局を置き、啓発活動や正しい情報提供を行なう特定非営利活動(NPO)法人、むずむず脚症候群友の会が制定。日付は、特定非営利活動(NPO)法人むずむず脚症候群友の会が創立した日、2008(平成20)年6月2日であり、6月2日の「6」と「2」で、「む(6)ず(2)むず」と読む語呂合わせから。むずむず脚症候群の原因は、神経伝達物質であるドーパミンの機能低下や、中枢神経における鉄分の不足による代謝の異常等が考えられているが、正確な原因はまだ解明されていない。その治療法としては、日常生活において、カフェイン・アルコール・過度の喫煙を避ける、脚のマッサージをする等、非薬物療法により症状が抑えられるとされ、患者の多くは、適切な薬物療法で症状が大幅に改善する。一般的には、ドーパミン神経の機能を高めるドーパミン受容体作動薬が効果的とされている。