6月1日 記念日 その5 | スズメの北摂三島情報局

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2011/08/02 リニューアル
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柴犬ハルがお伝えします

鮎の日。
滋賀県大津市におの浜に所在する養殖鮎の生産者団体、全国鮎養殖漁業組合連合会が制定。なお、2014(平成26)年の「鮎の日」制定当時、全国鮎養殖漁業組合連合会は、和歌山市に本部を置いていた。初夏の風物詩である「鮎」は、伝統的な和食文化に欠かせない食材で、河川環境保護の象徴とされる。日本の固有の魚とも言える「鮎」の美味しさを、より多くの人に知ってもらうことが目的。日付は、昔から鮎の本格的な旬を迎えるのが6月とされていることから、その初日である6月1日を記念日としたもの。6月1日は鮎釣りの解禁日としている地域が全国的に多く、また、鮎が小売店に出揃うことも、この日が選ばれた理由となっている。この日には、放流体験や販売イベントが開催される。鮎は、キュウリウオ目に分類される、川や海等を回遊する魚である。漢字表記としては、香魚(独特の香気を持つことに由来)、年魚(1年で一生を終えることに由来)、銀口魚(泳いでいると口が銀色に光ることに由来)、渓鰮(渓流のイワシの意味)、細鱗魚(鱗が小さい)、国栖魚(奈良県の土着の人々である国栖が吉野川の鮎を朝廷に献上したことに由来)、鰷魚(江戸時代の書物の「ハエ」の誤記)等、様々な漢字表記がある。「アユ」の語源は、秋の産卵期に川を下ることから「アユル」(落ちるの意)に由来するとの説や、神前に供える食物であるというところから「饗(あえ)」に由来するとの説等、諸説ある。現在の「鮎」の字が当てられている由来にも、神功皇后(第14代天皇、仲哀天皇の皇后)が鮎を釣って戦いの勝敗を占ったとする説、鮎が一定の縄張りを独占する(占める)ところから付けられた字であるというもの等、諸説ある。北海道・朝鮮半島からベトナム北部まで東アジア一帯に分布し、日本がその中心である。石に付いた藻類を食べるという習性から、そのような環境のある河川に生息し、長大な下流域をもつ大陸の大河川よりも、日本の川に適応した魚である。鮎の成魚は川で生活し、川で産卵するが、生活史の3分の1程度を占める仔稚魚期には海で生活する。このような回遊は「両側回遊」(りょうそくかいゆう)と呼ばれる。但し、河口域の環境によっては、河口域にも仔稚魚の成育場が形成される場合もある。日本では代表的な川釣りの対象魚であり、重要な食用魚でもある。地方公共団体を象徴する魚として指定する自治体も多い。特に天然アユを中心に、出回る時期が限られていることから、初夏の代表的な味覚とされている。日本では一般に、魚は刺身で食するのが最良とされている(割主烹従)が、鮎については、例外的に塩焼きが最良とされている。清涼感をもたらす食材で、特に、初夏の若アユが美味とされ、若アユの塩焼きや天ぷらは珍重される。刺身にするには、旬の鮎を冷水で身を締め、洗いや背越しにする。特に、背越しは骨の柔らかい鮎の特徴的な調理方法で、ウロコや内臓を除去した後、骨や皮ごと薄く輪切りにしたもので、清涼感のある見栄えや独特の歯ごたえを楽しむ。酢や蓼酢等で食することでも、鮎の香気を味わうことができる。酢や塩に浸けて、酢飯と合わせた「鮎寿司」や「鮎の姿寿司」も作る地方がある。鮎は、上品で淡泊な味わいから「清流の女王」とも呼ばれている。ただ、現在、食の多様化で魚離れが進み、漁業者も減少している。鮎は高級食材とされており、内水面で養殖される魚種としては、鰻に次ぐ生産高を誇る。養殖は、食用とするための成魚の養殖と、遊漁目的の放流用種苗稚魚の養殖とが日本各地で行なわれ、稚魚養殖し、天然河川に放流した個体を「半天然」と呼ぶこともあり、一部では完全養殖も行なわれる。この際には、主として、天然の稚魚を3月から4月に捕獲し、淡水で育成する方法が採用される。実際、「河口付近の川で採捕した河川産稚アユ」「河口付近の海洋回遊中に採捕した海産稚アユ」「湖や湖に注ぐ河口で採捕した湖産稚アユ(コアユ)」が、種苗として供給されている。
麦茶の日。
東京都千代田区鍛冶町に所在する、麦茶の生産を行なう事業者を組合員とする事業協同組合、全国麦茶工業協同組合が、夏に向けて麦茶をPRするため制定した。麦茶の原料となる大麦の収穫時期にも当たり、衣替えの日で夏を感じさせるところから。麦茶は名前に「茶」と付くが、チャノキという植物を使用していない。従って、広義の茶(茶外茶)に分類される。大麦の種子を煎じたもので、一般的な茶葉のカフェイン成分が含まれていないため、幼児が飲むのにも適している。熱湯で煮出すより、水出しする方が、抽出に時間が掛かるものの、雑味が少なくスッキリとした味わいになる。季節としては夏、冷やしたものがよく飲まれる。また、初夏は、大麦の収穫期でもあるため、夏の麦茶は新鮮で味も良い。冬でも温めて飲む場合もある。体温を下げることや、血流を改善する効果が知られている。麦茶は昔、麦湯と呼ばれ、その麦湯は、平安時代より貴族が飲用していたとされる。以後、室町時代まで貴族が飲用し、戦国武将にも飲まれた。江戸時代には、屋台の「麦湯売り」が流行した。明治時代に麦湯店も流行ると同時に、庶民の家庭でも「炒り麦」を購入し飲用されるようになった。昭和30年代に冷蔵庫が普及し、冷やして飲む習慣が生まれる。麦茶という商品も売られ始め、昭和40年代には日本全国で麦茶の名称が一般的に浸透した。なお、「茶」に関する記念日は他にも多数あり、茶道で、釜をかけて湯を沸かす道具「風炉」から「ふ(2)ろ(6)」の語呂合せで、2月6日は愛知県の西尾市茶業振興協議会が西尾茶創業120年を記念して制定した「抹茶の日」、古くから八十八夜の新茶は「仙薬」と称される程栄養価が高いと言われたことから、日本茶業中央会が制定した、毎年八十八夜の日となる5月2日は「緑茶の日」(八十八夜は年によって日が変わるので、平年は5月2日、閏年は5月1日に固定して実施)、「日本茶の日」は10月31日(1192[建久2]年10月31日、坐禅を基本的な修行形態とする禅宗の1つ、臨済宗の開祖である鎌倉時代初期の僧、明菴栄西が南宋[12世紀頃の中国の王朝]から帰国し、茶の種子と製法を持帰ったことに由来する)、1791(寛政3)年11月1日、暴風雨のためロシアに漂着していた回船(港から港へ旅客や貨物を運んで回る船)の船頭、大黒屋光太夫がロシア皇帝エカチェリーナ2世の茶会に招かれ、日本人で初めて紅茶を飲んだという史実を元に、1983(昭和58)年に日本紅茶協会が制定した11月1日は「紅茶の日」、11月1日は「玄米茶の日」(全国穀類工業協同組合が制定)、等とされている。 
善意の日。
1963(昭和38)年6月1日、兵庫県社会福祉協議会等が設立主体となって兵庫県善意銀行が設置されたため、翌年からこの日を善意の日とした。また、兵庫県の県花、ノジギクを運動のシンボル「善意の花」とすることが定められた。記念日の制定意義は、「みんなの小さな善行や善意が重なって、世の中が明るくなるものであり、県民だれもが、この日何か1つ善行をしてもらいたい」とされている。当日は、兵庫県、及び県民局・県民センター、県内の全市町が主体となって、記念行事と街頭での啓発活動、募金の呼掛け、フリーマーケット等が行なわれ、集まった収益金は、県や市町の社会福祉協議会が行なう慈善活動の費用に充てられる。この他、愛知県豊橋市の公益財団法人豊橋善意銀行では、「一日一善(イチ[1]ニ[2]チイチ[1]ゼン)」に因み、共同募金の一部である「年末たすけあい活動(歳末たすけあい運動)」のスタートの日でもある12月1日を「善意の日」とし、サンタクロースに扮した職員が、老人福祉施設を慰問する等の活動を行なっている。なお、善意銀行は、善意に基づいて提供される金銭、物品、ボランティア活動等を取纏め、児童・母子家庭・高齢者・身体障がい者等、社会福祉のために払出している。