5月29日 記念日 その2 | スズメの北摂三島情報局

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2011/08/02 リニューアル
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柴犬ハルがお伝えします

国際連合平和維持要員の国際デー
(International Day of United Nations Peacekeepers)。
2002(平成14)年の国際連合総会で採択された国際デーの1つ。国際連合平和維持活動(PKO)に係わった全ての人の献身と勇気を称え、国際連合平和維持活動(PKO)で命を失った人々を追悼する日。この日を中心として、アメリカ合衆国北東部、ニューヨーク州ニューヨーク市にある国際連合本部において、国際連合平和維持要員の国際デーを記念した式典が開かれる。国際連合事務総長によって、殉職した平和維持要員らを悼む花輪が捧げられ、前年の殉職者の栄誉を称えるメダルの贈呈式が執り行なわれる。国際連合平和維持活動(PKO)は、紛争において平和的解決の基盤を築くことにより、紛争当事者に間接的に紛争解決を促す国際連合の活動で、国際連合平和維持活動(PKO)に基づき派遣される各国軍部隊を、国際連合平和維持軍(PKF)という。平和維持活動は、「国際の平和及び安全を維持する」(国際連合憲章第一章)ため、国際連合が小規模の軍隊を現地に派遣して行なう活動である。従来は、紛争当事国の同意を前提に派遣されていたが、東西冷戦(第二次世界大戦後の世界を二分した、アメリカを盟主とする資本主義・自由主義陣営と、ソビエト連邦を盟主とする共産主義・社会主義陣営との対立構造)後は、必ずしも同意を必要とせずに派遣する例もある。活動予算は、国際連合の通常活動のための通常予算とは別に建てられ、基本的に国際連合加盟国の分担金で賄われる。分担率は、通常予算に適用される分担率が基本であるが、途上国に負担軽減を認める一方で、国際連合安全保障理事会常任理事国には加重負担を求めている。1948(昭和23)年から1949(昭和24)年に行なわれた、中東や北アフリカのアラブ諸国とイスラエルとの戦争、第一次中東戦争(パレスチナ戦争)停戦後の国際連合休戦監視機構(UNTSO)が、最初の国際連合平和維持活動(PKO)とされ、その創設日の5月29日が「国際連合平和維持要員の国際デー」となっている。1956(昭和31)年の「スエズ危機」(アフリカ北東部に位置するエジプトとイスラエル、イギリス、フランスが、スエズ運河[地中海と紅海を結ぶ、海面と水平な人工運河]を巡って起こした戦争)の際、カナダの第14代首相レスター・B・ピアソンの提唱によって、第一次国際連合緊急軍(UNEF I)が創設され、この危機を鎮圧した。現代的な国際連合平和維持活動(PKO)を形作ったレスター・B・ピアソンは、1957(昭和32)年にノーベル平和賞を受賞し「国際連合平和維持活動の父」と呼ばれる。最初の40年間においては、非武装の軍事要員で編成する停戦監視団、又は軽武装の平和維持軍の活動が主要であったが、1989(平成元)年に国際連合ナミビア独立支援グループ(UNTAG)の下で、歴史上初めて文民による選挙監視活動が実施された。1989(平成元)年12月の米ソ首脳会談(南ヨーロッパ、地中海中南部の洋上に位置するマルタ島で行なわれた、ソビエト連邦第8代最高指導者ミハイル・ゴルバチョフと、アメリカ合衆国第41代大統領ジョージ・H・W・ブッシュとの会談)で冷戦(44年間続き、第二次世界大戦後の世界を二分した、西側諸国のアメリカ合衆国を盟主とする資本主義・自由主義陣営と、東側諸国のソビエト連邦を盟主とする共産主義・社会主義陣営との対立構造)終結宣言が行なわれてからは、冷戦の下で抑圧されてきた地域的な民族・宗教・領土紛争等が頻発するようになり、国際連合はこれらに対応するために、非政府組織(NGO)と協力して、国際連合平和維持活動(PKO)に乗出した。また、活動の規模や内容も徐々に拡大・多様化し、1992(平成4)年には、当時の国際連合事務総長であったブトロス・ブトロス=ガーリによって発表された平和への課題において、予防展開や平和執行等が提案されるようにもなる。1990(平成2)年から1994(平成6)年の間に、16件もの国際連合平和維持活動(PKO)が承認されたことからも分かる。但し、新たな試みであった強制執行は失敗する。また、1994(平成6)年からは、各国が国際連合平和維持活動(PKO)に対して、拒否、又は忌避する国家も現れるようになった。冷戦期においては、日本は国際連合平和維持活動(PKO)に対し、非常に消極的であり、紛争地域の平和維持活動に対し、政府人員を派遣することは皆無に等しかった。しかし、日本にも相応の貢献が求められるようになり、日本は、1992(平成4)年の通称PKO国会で成立した「国際連合平和維持活動等に対する協力に関する法律(国際平和協力法[PKO協力法]、平成4年6月19日法律第79号)」に基づき、1992(平成4)年の第2次アンゴラ監視団(UNAVEM II)に選挙監視団として3名を派遣し、文民・自衛隊による国際連合平和維持活動(PKO)参加が開始されることとなった。以後、11の国際連合平和維持活動(PKO)等に要員を派遣している。この「国際平和協力法」で1992(平成2)年に定められた国際連合平和維持活動(PKO)参加5原則(国際連合平和維持活動[PKO]に参加するための基本方針)では、紛争当事者の間で停戦合意や、紛争当事者が日本の参加に同意していること、国際連合平和維持活動(PKO)が特定の紛争当事者に偏ることなく、中立的立場を厳守すること等を参加の要件としているが、内戦状態にある南スーダン共和国(東アフリカに位置する、スーダン共和国の南部10州が、アフリカ大陸54番目の国家として分離独立した国)で、国軍による住民被害の防止を求められる等、現状と乖離した規定となっている。国際連合平和維持活動(PKO)に含まれる任務は、軍事作戦から民事作戦まで非常に幅広い。監視活動の任務は、休戦・停戦の監視拠点を運営することにあり、非武装の将校によって編成される監視団によって行なわれる。実際には、監視団は監視だけでなく、重要な地域の巡察、敵対者間の交渉、特定の調査活動等を行なう。平和維持の任務は、兵力引離し、撤退監督等によって平和を維持することであり、武装した軍人で編成される国際連合平和維持軍(PKF)によって行なわれる。具体的には、諜報活動、対ゲリラ作戦、外交援助、紛争当事者の調停、停戦、及び休戦の監視、兵力引離し監視、戦争犯罪の調査、戦犯引渡し監督、戦犯被疑者の逮捕、選挙監視、非武装地帯の建設維持、避難民の移動、人道救援活動、インフラストラクチャー(インフラと略称される、学校、病院、道路等、国民福祉の向上と国民経済の発展に必要な公共施設)の復旧等が挙げられる。平和維持活動には、作戦上、量的・質的な能力が求められており、特に、強制措置を行なうためには、高度な軍事力が要すると考えられており、多国籍軍にその役割を委ねることとしている。また、比較的に小規模な国際連合平和維持活動(PKO)においても、部隊行動、治安行動、武器使用、危機管理等の能力が必要であり、軍事教練を受けた軍人が求められる。紛争地域における平和維持には、常に危険が伴ない、毎年、活動中に命を失う平和維持要員がいる、というのが現実である。2017(平成29)年現在でみると、前年(2016[平成28]年)1年間の殉職者は117名で、これまでの殉職者は3,500名を超えている。