5月29日 記念日 その1 | スズメの北摂三島情報局

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2011/08/02 リニューアル
2019/07/14 アメブロ移動
柴犬ハルがお伝えします

西暦(グレゴリオ暦)AD2024年 令和6年 平成36年  
昭和99年 大正113年 明治157年 皇紀2684年 干支 甲辰(きのえ たつ)
第5水曜日 旧暦  4月22日、先勝(癸巳)、月齢 21.0 
グレゴリオ暦で年始から150日目、年末まであと216日。
誕生花 ニゲラ。

エベレスト登頂記念日。
1953(昭和28)年5月29日、イギリス探検隊のメンバーで、ニュージーランド出身の登山家、エドモンド・ヒラリーとネパール人シェルパ族(ネパールの少数民族の1つ)のテンジン・ノルゲイが、世界で初めて、インド亜大陸とチベット高原を隔てている無数の山脈から構成される巨大な山脈、ヒマラヤ山脈にある世界最高峰の山、エベレスト(チョモランマ)の頂上を極めたことを記念して設けられた日。1852(嘉永5)年、インド測量局はヒマラヤ山脈の中で、「PeakXV」という仮称を付けられた山が世界最高峰であることを発見した。エベレストは、そのインド測量局で長官を務めた、イギリスの地理学者で探険家、ジョージ・エベレストに因んで命名された。チベット名は「チョモランマ」で、チベット語で「大地の母」という意味である。現在、最もよく知られている8,848mという標高は、1955(昭和30)年のインドによる、従来より近距離からの測量によって、初めて求められたものである。1975(昭和50)年の中国による測量でも同様の結果が得られた。どちらも、頂上部分の氷雪の厚みを含んだものである。1999(平成11)年5月、アメリカ登山界の重鎮、ブラッドフォード・ウォッシュバーン率いるアメリカエベレスト遠征隊は、山頂に全地球測位システム(GPS)ユニットを設置し、8,850mという測量結果を発表した。これによれば、岩石部分の標高は8,850m、氷雪を含めると更に1m高いとされている。ネパール政府は、正式にこの測量結果を認めていないが、この数値は広く用いられている。また、2005(平成17)年に中国の政府機関が8,844mと発表している。エベレストの標高は、周辺のプレートテクトニクス(地球表層部で起こる地震、火山噴火、造山運動等、地学現象の原因やメカニズムを、地球表面を覆うプレートの水平運動で説明する考え)により年々高くなっており、山頂も北東へと移動していると考えられている。また、エベレスト山頂では風化が激しいので、地殻変動によって一時的に8,848mを超えても、その分は侵食されてしまうため、エベレストの標高はこれ以上高くならないという説もある。エベレストは、最も高い海抜高度をもつ山である。しかし、太平洋中央部、ハワイのマウナ・ケアと、南アメリカ西部に位置するエクアドルのチンボラソが、エベレストに代わる「世界最高峰」とする主張もある。マウナ・ケアの海面からの標高は4,205mであるが、海底からの高さを考慮すれば、その標高は10,203mを超えることになる。また、海抜高度6,267mのチンボラソ頂上は、アンデス山脈(主に南アメリカ大陸の西側に、南北約7,500kmに亘って聳える山脈)の最高峰ですらないが、地球の形状は赤道に近付く程に膨れており、地球の中心からの高さは6,384.4kmになる。これは、エベレストの6,382.3kmよりも2,168m高い。また、最も深い海であるマリアナ海溝(北西太平洋のマリアナ諸島の東に所在)の最深部、チャレンジャー海淵(最新の計測では水面下10,911mとされる)は、エベレストの標高よりも遥かに深い。もしも、エベレストをチャレンジャー海淵の深さに沈めたとすれば、山頂ですら約2,000mもの深度に沈むこととなる。1960(昭和35)年5月25日、中国隊がセカンドステップと呼ばれる難所を超えて、北東側からの初登頂に成功。同隊が夜間登頂したため、頂上での写真を撮っていなかったこと等から、この登頂は長く西側諸国から疑いの目で見られていたが、現在ではほぼ認定されている。1963(昭和38)年5月22日、アメリカ隊が登頂に成功。初縦走も成遂げる。1965(昭和40)年5月20日、21名からなるインド隊が登頂に成功。シェルパ族のナワン・ゴンブは、史上初めて2度エベレストの頂上に立った人物となった(1度目は1963[昭和38]年のアメリカ隊と)。1970(昭和45)年5月11日、登山家の松浦輝夫と登山家・冒険家の植村直己が日本人として初めて登頂に成功した。1975(昭和50)年5月16日、登山家の田部井淳子が女性として世界で初めて登頂に成功した。2008(平成20)年5月8日には、北京オリンピック(第29回オリンピック競技大会)の聖火が頂上に到達した。中国人女性登山者の吉吉らの手でリレーされ、チベット民族女性のズレンワンモが「最終走者」を務めた。現在、エベレストに入山するには、入山料を支払わないと登れないシステムになっている。登山ツアー(商業公募隊)が多数あり、最近の日本人による登頂の殆どは、商業公募隊か、テレビ局の撮影を伴なう物になっている。初のエベレスト山頂到達に成功したエドモンド・ヒラリーは、登山ツアーを「商業活動」と批判している。また、田部井淳子も、現地ネパール人の助けがあって登頂に成功したが、今では助けを得られるかはお金次第であると述べ、登山の過度の商業化を危惧した。登山ルートには、随所に約120体もの遭難者の遺体が放置され、凍結や乾燥によりミイラ化している。遭難死の7割は下山時に発生している。ネパール側の登山ルートは、成人(16歳以上)のみ登山ができる年齢制限が掛かっており、2010(平成22)年9月からは、中国側登山ルートによる登山が、18歳から60歳に年齢制限が掛かっている。制限導入の背景は、従来より若年層による登山には、より大きな危険が伴なうと批判が出ていたこと、最年少記録更新のヒートアップが予想されたこと等がある。さらに、登山ルートには、度重なる登山のゴミが廃棄されており、生態系に与える影響や水質汚染が懸念されている。ゴミを回収することを目的とした登山が行なわれることもある。エベレストの山頂へと登ることは、熟練の登山家でも危険を伴なうが、一方で、南麓であるネパール側の6,000m以下のエベレストの山腹までは、それ程の難所もなく、高山病(低酸素状態に置かれた時に発生する、頭痛、めまい、食欲不振、脱力、呼吸困難等を示す症候群)対策さえあれば、一般の観光客でもトレッキング(特に山頂には拘らず、山の中を歩くことを目的としているもの)を楽しむことは可能であり、世界中から多くの観光客が訪れる。日本でも、幾つかの旅行社がエベレスト・トレッキングツアーを催行しており、参加者も多い。また、単独で、又は、登山ガイドを付けての個人トレッキングも可能である。サガルマータ国立公園は、ネパール北東部に位置する山岳地帯にある国立公園で、1979(昭和54)年に、国際連合教育科学文化機関(ユネスコ、UNESCO)の世界遺産(自然遺産)に登録されている。世界最高峰のエベレストを始めとする、ヒマラヤ山脈でも高い山が連なる。公園内には、高山植物やレッサーパンダ、ジャコウジカ等の珍しい動物も生息している。近年は、山頂を目指す登山家以外にも、公園内のトレッキングを楽しむ旅行者が増えている。エベレストを眼前に望む、サガルマータ国立公園のシャンボチェの丘には、東京都港区新橋に本社を置く旅行会社、ヒマラヤ観光開発株式会社が所有する「ホテル・エベレスト・ビュー」があり、その標高は3,880mとなっている。1972(昭和47)年に竣工した「ホテル・エベレスト・ビュー」の全12室の客室からは、エベレストを始めとするヒマラヤ山脈の峰々が見られる。