5月28日 できごと その2 | スズメの北摂三島情報局

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2011/08/02 リニューアル
2019/07/14 アメブロ移動
柴犬ハルがお伝えします

1930年 - 前日完成したアメリカ合衆国北東部、ニューヨーク州ニューヨーク市にある超高層ビル『クライスラービル』が開業する。
1934年 - 全員が幼児期以降まで成長した世界初の五つ子、ディオンヌ家の五つ子姉妹が、カナダ東部のオンタリオ州において出生。ディオンヌ家の五つ子姉妹は、「奇跡の赤ちゃん」として出生直後から注目を浴び、世界恐慌(1930年代にアメリカ合衆国を皮切りとして、世界的に起こった深刻な経済恐慌で、世界恐慌の時期は国によって異なるが、殆どの国では1929年に始まり、1930年代後半まで続いた)当時の不屈の精神と喜びの世界的なシンボルとなる。
1937年 - ネヴィル・チェンバレンがイギリスの第60代首相に就任し、挙国一致(大規模な戦争や恐慌といった、国家の危機や政党内閣の危機に際して、対立する政党をも包含して作られた内閣)のチェンバレン内閣が発足。
1940年 - 第二次世界大戦: ベルギーがナチス・ドイツ(国家社会主義ドイツ労働者党支配下のドイツ国)に降伏。国王と政府は、イギリスの首都ロンドンに亡命する。
1953年 - ソビエト連邦が、東ドイツ(ドイツ民主共和国)管理委員会を廃止し、民政に移行する。
1960年 - 「日本を象徴する鳥」と呼ばれるトキが、国際保護鳥(特に絶滅の危機にあると考えられていた鳥類)に指定される。ペリカン目トキ科トキ属に分類される鳥類、トキ(朱鷺、鴇)の学名は「Nipponia nippon(ニッポニア・ニッポン)」で、しばしば「日本を象徴する鳥」等と呼ばれるが、日本の国鳥(その国を代表・象徴する鳥)は、キジ目キジ科キジ属に分類される鳥類、キジである。鳥類に関する日本の学術学会で、この分野でのほぼ国内唯一の学会である日本鳥学会が、1947年にキジを国鳥に選定している。トキは、新潟県の「県の鳥」、新潟県佐渡市と石川県輪島市の「市の鳥」である。かつてトキは、北海道・本州・伊豆諸島・佐渡島・隠岐諸島・四国・九州・琉球諸島といった日本各地の他、東アジアの広い範囲に亘って生息しており、18世紀から19世紀前半まではありふれた鳥で、日本では、東北地方や日本海側に多く、太平洋側や九州ではあまり見られなかったようである。しかし、いずれの国でも、乱獲や開発によって、19世紀から20世紀にかけて激減し、日本では、2003年に最後の日本産トキ「キン」が死亡したことにより、生残っているのは中国産の子孫のみとなる。1934年に天然記念物(法律の指定を受けて保護が図られている動物)に指定されたトキは、当時はまだ、新潟県の佐渡島全域に生息しており、生息数は100羽前後と推定されている。トキの減少の一因として、農薬(による身体の汚染・餌の減少)が取上げられることが多いが、日本で化学農薬が使用されるようになったのは1950年代以降 であり、その頃には、既に20羽程度にまで個体数を減らしていたという。1967年には、佐渡島に、安全な餌を供給できる佐渡トキ保護センターが開設され、1981年、佐渡島に残された最後の野生のトキ5羽全てが捕獲され、佐渡トキ保護センターにおいて、人工飼育下に移される。これにより、日本のトキは野生絶滅したとされる。ただ、生物学的には全く同一種である中国産のトキを用いて、人工繁殖を行なっているため、日本におけるトキの扱いは「絶滅」ではなく「野生絶滅」のままである。なお、「中国産」と「日本産」の差異は、個体間程度のものに留まる。
1961年 - イギリスの弁護士、ピーター・ベネンソンによる『アムネスティ・インターナショナル』結成のきっかけとなった新聞投稿が掲載される。
1961年 - 岩手県下閉伊郡新里村(現在の岩手県宮古市の一部)の山林から出火。フェーン現象(気流が山の斜面に当たった後に風が山を越え、暖かくて乾いた下降気流となって、その付近の気温が上がる現象)による強風に煽られ、岩手県の東部から、岩手県北東部に位置する久慈市までの、40万ヘクタール以上に延焼する大規模火災(山火事)となる。死者5名、負傷者119名、全焼住宅1,235棟。
1964年 - イスラエル支配下にあるパレスチナ(地中海東岸の歴史的シリア南部の地域的名称)を解放することを目的とした諸機構の統合機関で、現在のパレスチナ自治政府の母体となったパレスチナ解放機構(PLO)が設立される。
1965年 - 経営が悪化した証券会社、山一證券に対し、政府が「日本銀行法(旧法、昭和17年2月24日法律第67号)」第25条を発動し、日銀特融を実施する。日銀特融とは、日本銀行が金融システムの信用維持を目的として、政府からの要請に基づき、資金不足に陥った金融機関に対する無担保・無制限に行なう特別融資のことである。1964年後半から1965年に掛けて発生した、証券不況や構造不況とも呼ばれる不景気で、1964年東京オリンピック(第18回オリンピック競技大会)の終了や、金融引締め等が重なり、企業業績の悪化が顕在化し、大手証券会社各社は軒並み赤字となる。経営悪化がマスメディアで報じられ、山一證券各支店には投信、株式、債券の払戻しを求める客が殺到する事態となり、政府は不況拡大を防ぐため、初めての日銀特融を決定する。
1973年 - 第6ポールスタービル火災。東京都新宿区歌舞伎町にある雑居ビル、第6ポールスタービル4階のクラブ「キャステル」から出火し、5階にいた男性が死亡する。このビルは、1958年2月に、アサヒビヤセンターとして竣工し、1971年に第6ポールスタービルと改称しており、地上8階、地下3階(中地下2階も含む)で、4階から5階は可燃物等が置かれ、燃え易い構造となっており、さらに煙が濃く、消火は困難を極める。出火原因は、煙草の火が椅子に引火したもので、初期消火もされていなかったという。因みに、第6ポールスタービルは現存しており、1階にはコンビニエンスストアのファミリーマートが入居している。建物は、外壁パネルが貼られ、新築のようにリニューアルされている。
1980年 - ロッテ・オリオンズ(現在の千葉ロッテマリーンズの前身)の張本勲が、日本プロ野球史上初の通算3,000本安打を達成。
1982年 - ローマ教皇ヨハネ・パウロ2世がイギリスを訪問。ヨハネ・パウロ2世はイングランド国教会(16世紀にローマ・カトリック教会から離れ、独立したキリスト教会)首長と会談し、ローマ・カトリック教会とイングランド国教会との正式な和解が450年振りに成立する。
1983年 - 長編映画『戦場のメリークリスマス』公開。『戦場のメリークリスマス』は、日本映画界の巨匠と称される大島渚が監督した、日本、イギリス、オーストラリア、ニュージーランドの合作映画である。タレントであったビートたけしやミュージシャンの坂本龍一、イギリスのマルチ・ミュージシャン、デヴィッド・ボウイ等、異色のキャスティングが話題となる。第二次世界大戦をテーマにした戦争映画でありながら、戦闘シーンは一切登場しない。また、出演者は全て男性という異色の映画でもある。出演の条件として音楽を担当した坂本龍一は、イギリス、及び世界の映画への貢献を称えて贈られる賞、英国アカデミー映画賞の一部門、作曲賞を、日本人として初めて受賞する。
1987年 - 19歳の西ドイツ(ドイツ連邦共和国)人マチアス・ルストが操縦する、単発プロペラ推進、高翼式の軽飛行機セスナ 172型機(セスナ スカイホーク)が、ソビエト連邦の首都モスクワにある赤の広場に強行着陸し、着陸後のマチアス・ルストは直ちに逮捕される。この日は偶然、ソビエト連邦国境警備隊の休日であり、警備が緩んでいた隙をついて、機体はモスクワまで妨害を受けずに飛行している。ソビエト連邦国境警備隊はセスナ172B型機の侵入を把握していたが、適切な決定が下されず、ソビエト連邦の中枢であるクレムリン(旧ロシア帝国の宮殿で、ソビエト連邦時代には、ソビエト連邦において一党独裁制を堅持していた、ソビエト連邦共産党の中枢が置かれたことから、ソビエト連邦共産党の別名としても用いられた)に隣接する赤の広場への侵入を許す結果となる。