5月20日 記念日 その3 | スズメの北摂三島情報局

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2011/08/02 リニューアル
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柴犬ハルがお伝えします

東京港開港記念日。
1941(昭和16)年5月20日、東京港の芝浦・竹芝両埠頭が完成し、東京港が外国貿易港としての指定を受けたことに由来する。毎年5月20日前後の土日に、東京都江東区青海にある客船ターミナル、東京国際クルーズターミナルをメイン会場として、この東京港開港記念日を祝して「東京みなと祭」が行なわれる。東京港は、東京湾の中にある日本の主要な国際貿易港(五大港)の1つである。東京港の歴史は、15世紀に江戸城を築いた武将の太田道灌が、江戸前島(現在の東京都中央区銀座に相当)の平川河口に江戸湊を開き、海上輸送を行なったことが始まりと言われている。その後17世紀になり、江戸に幕府が開府してからは、江戸庶民の生活に必要な物資の輸送手段として、大量輸送できる海運がそれまでより一層重視され、諸国とを結ぶ廻船(港から港へ旅客や貨物を運んで回る船)の重要な寄港地として、大きな役割を果たした。1858(安政5)年に日米修好通商条約が締結され、1859(安政6)年に横浜港が国際港として開港したものの、東京港はその後80年以上開港しなかった。明治時代の終わり頃になってから、隅田川口改良工事の名目で近代的な港湾としての整備が行なわれ、1906(明治39)年から第1期工事が始まり、永代橋(現在の東京都中央区 - 江東区間に架かる橋)から台場(現在の東京都港区台場)までの航路を浚渫した。1911(明治44)年には第2期工事も始まり、東部では、1910(明治43)年に枝川改修工事が始まった。1922(大正11)年に第3期隅田川口改良工事が始まったが、1923(大正12)年9月に大正関東地震(関東大震災)が発生し、支援物資の受入れが問題になった。そのため、日の出埠頭・芝浦埠頭・竹芝埠頭の開発が始まり、1925(大正14)年に日の出埠頭が完成した。同年、南部では目黒川改修工事が始まり、現在の天王洲アイル(東京都品川区東品川の臨海部にある再開発街区)の方に河口を直線化する工事を行なった。1930(昭和5)年に東京港修築事業が始まり、1933(昭和8)年に勝鬨橋(現在の東京都中央区にある隅田川に架かる橋)の工事が始まった。1940(昭和15)年の紀元2600年記念日本万国博覧会は中止されたが、1941(昭和16)年5月に国際港として開港した。第二次世界大戦後の、日本経済が飛躍的に成長を遂げた高度経済成長に伴ない、首都直下の港湾施設の拡張が急務となり、豊洲埠頭が整備された。1951(昭和26)年には特定重要港湾(外国貿易の増進に、特に重要な役割を果たすとされる重要港湾)に指定され、間もなく晴海埠頭も整備される。その後の世界的なコンテナリゼーションに対応するため、1967(昭和42)年に品川埠頭が、神戸港摩耶埠頭と共に日本初のコンテナターミナルとして運用を開始し、1975(昭和50)年に大井コンテナ埠頭が完成、全国でも最大級の連続8バースに亘るコンテナターミナルが誕生した。その後、1985(昭和60)年に青海コンテナ埠頭の運用も開始される。2004(平成16)年には、大井コンテナ埠頭再整備(7バース再編・大水深化)も完了する。第二次世界大戦の戦後処理によって、連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)に港湾機能の多くを接収されていた(現在も一部は接収が解除されていない)横浜港を尻目に急成長して、2000年代には横浜港を抜いて東日本最大の港となり、五大港(東京港、横浜港、名古屋港、大阪港、神戸港)の1つとして、今日では、日本の港湾物流の中心的な役割を担っている。 
ローマ字の日。
日本語のローマ字表記には、ヘボン式と日本式とがある。例えば、「すし」を、「sushi」とするのがヘボン式で、「susi」とするのが日本式となる。日本式のローマ字を主張し、ローマ字国字論を展開した物理学者の田中舘愛橘(たなかだてあいきつ)の命日が、1952(昭和27)年5月21日であり、これを区切りの良い20日にずらし、ローマ字の日として、1909(明治42)年に設立された団体、日本のローマ字社(NRS)が、1955(昭和30)年より実施している。東京都文京区本郷に所在する日本のローマ字社(NRS)は、日本語による言語生活を向上させるため、日本語に合った綴り方によるローマ字表記、及びカナ表記、並びに漢字の平易化についての調査、研究、及びその実践活動を行ない、これによって、日本語の教育、及び文化の発展、並びに日本語の国際的地位の向上に寄与することを目的として、ローマ字等の普及活動やローマ字等に関する調査、研究等の事業を展開している。1915(大正4)年に財団法人となり、2013(平成25)年には公益財団法人となっている。ローマ字は、仮名文字をラテン文字(アルファベットの一種であり、それぞれの文字は、子音か母音を表わす)に転写する際の規則全般(ローマ字表記法)、又はラテン文字で表記された日本語(ローマ字綴りの日本語)を表わすものである。「ローマ」とは、古代ローマ帝国において用いられていた文字に由来することからの呼び名である。但し、現在の日本では、ラテン文字を用いての日本語の表記法(日本語のラテン翻字)と、表記そのもののことをローマ字と呼ぶことが多い。1867(慶応3)年、来日していたアメリカ人医師で医療伝道宣教師のジェームス・カーティス・ヘボンが和英辞書『和英語林集成』を著し、この中で、英語に準拠したローマ字を使用した。これは、仮名とローマ字を一対一で対応させた最初の方式である。この辞書は第9版まで版を重ね、第3版から用いたローマ字は、ジェームス・カーティス・ヘボンの名を入れ、ヘボン式ローマ字として知られるようになる。このヘボン式ローマ字は、英語の発音に準拠したので、日本語の表記法としては破綻が多いとする意見があった。そうした立場から、1885(明治18)年に田中館愛橘が、音韻学(漢字の音を構成する声、音等の総称が音韻で、漢語の音声を研究する学問を音韻学という)理論に基づいて考案したものが日本式ローマ字である。日本式は、音韻学理論の結実として、日本国内外の少なくない言語学者の賛同を得た。しかし、英語の発音への準拠を排除した日本式ローマ字は、英語話者や日本人英語教育者から激しい抵抗を受け、日本式とヘボン式のどちらを公認するかで激しい議論が続いた。結局、近衛文麿内閣の時に、公的なローマ字法が1937(昭和12)年に「国語ノローマ字綴方統一ノ件(昭和12年9月21日内閣訓令第3号」として公布された。これが訓令式ローマ字である。第二次世界大戦後、1945(昭和20)年9月2日の連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)指令第2号の第2部17において、各市町村の道路の入り口に、「ヘボン式ローマ字」によって名称を表示するように指示されたこと等もあり、再びヘボン式が勃興して、混乱が生じたために、1937(昭和12)年の「内閣訓令第3号」を廃止し、1954(昭和29)年に「ローマ字のつづり方(昭和29年12月9日内閣告示第1号)」として新たに公布し直した。これが、新たな訓令式ローマ字で、1937(昭和12)年の訓令式ローマ字(日本式に準拠)を基礎としながら、若干の改変を加えたものである。ただ、1937(昭和12)年版がヘボン式を全面排除したのに対して、1954(昭和29)年版は「国際的関係その他従来の慣例をにわかに改めがたい事情にある場合」に制限しながらも、ヘボン式の使用も認めるものとなった。現在、日本国内において、標準として公に認められているローマ字表記は、1954(昭和29)年の訓令式である。しかし、地名や人名等の各種日本語音をローマ字表記する必要がある場合、実際には日本国政府でも、ヘボン式表記が多用されているのが現状である(外務省発行のパスポートの名前・本籍地都道府県表記、総務省の市区町村表記や無線従事者免許証の名前表記等)。