5月18日 記念日 その3 | スズメの北摂三島情報局

スズメの北摂三島情報局

2011/08/02 リニューアル
2019/07/14 アメブロ移動
柴犬ハルがお伝えします

18リットル缶の日。
18リットル缶(通称:石油缶、一斗缶)は、かつて「一斗缶」と呼ばれていたが、第二次世界大戦後の一時期は「5ガロン缶」と呼ばれるようになり、後に「18リットル缶」が正式名称となった。そこで、5ガロンの「5」と、18リットルの「18」から、5月18日が、東京都中央区日本橋茅場町に事務局を置く業界団体、全国18リットル缶工業組合連合会により、記念日として制定された。「18リットル缶」は、東アジアで広く使用されている、長さや面積等の単位系の1つ、尺貫法の単位である1斗(約18リットル)の容量を持つ、角形の金属缶のことであ、依然として「一斗缶」と呼ばれることも多い。直方体の金属製の缶で、内部は、内容物により樹脂によりコーティングされていることもある。業務用として供される塗料や溶剤は、一斗缶で販売されていることが多い。外食産業や加工食品の現場で利用する水煮等の食品、食用油や醤油等の調味料等の容器として用いられる。また、乾燥した食品、せんべい、あられ、海苔等の保管容器として使われる。この場合は、缶筒にぴったり嵌まる、四角い蓋付きの物が主に使用される。1970年代までは、灯油を入れる容器の代名詞であったが、1980年代以降は、軽量で気密性の高いポリタンクの普及により、用途としては急速に廃れた。それでも、灯油用ポリタンクの容量に、一斗缶に相当する容量18リットルの製品が現在でも多数存在するのは、一斗缶が幅広く用いられていた名残である。空の一斗缶、若しくはその蓋は、そのサイズによる視覚効果と、頭等に当たった際の聴覚効果により、喜劇やコント等の小道具にしばしば使われる。大きな音が出る割りには簡単にへこむ等、強度が低く、安全性が高いためである。この他、楽器としても使われることがある。再利用として、缶内外部を洗浄して2級缶として流通することもあるが、洗浄業者の減少により、流通量は激減している。天板をくり抜いて、建設現場や工場等で灰皿やゴミ箱、たき火の炉等として再利用される他、斜めに切って、ちりとりを作ることもある。各種工場や揚げ物を扱う店舗等では、空になったものがそのまま、廃油入れとして再利用されることも多い。「18リットル缶」と同程度の容量で丸い缶であり、18リットル、又は20リットルの鋼鉄製の缶は、ペール缶と呼ばれ、潤滑油や塗料、溶剤等の液体を入れて運搬・貯蔵に用いられる。鋼製ペール缶は、1930年代にアメリカで開発され、ヨーロッパ各国に広まり、日本には、1950年代に輸入され始めた。1950(昭和25)年6月25日、北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)が、国境線と化していた38度線(第二次世界大戦末期に朝鮮半島を横切る北緯38度線に引かれた、アメリカ軍とソビエト連邦軍の分割占領ライン)を越えて韓国に侵略を仕掛けたことによって勃発した朝鮮半島の主権を巡る国際紛争、朝鮮戦争が発生すると、在日米軍から補給物資の輸送、貯蔵用容器として、いわゆる「JAN-P缶」が発注され、日本国内での鋼製ペール缶製造の契機となった。昭和30年代後半から、労働力不足による充填・梱包の省力化要請に、ペール缶の存在が合致したこと、18世紀末のフランスにおいて、世界で共通に使える統一された単位制度の確立を目指して制定された「メートル条約」により発効した国際的な度量衡制度、メートル法への準拠で、20リットル缶への移行が進んだこと、。第二次世界大戦後の日本経済が飛躍的に成長を遂げた、1954(昭和29)年12月から1973(昭和48)年11月までの約19年間の時期である日本の高度経済成長期に、高級潤滑油の需要が伸び、カラー印刷がなされ、高級品のイメージを与えるペール缶が人気となったこと、1966(昭和41)年頃から、鋼製ペール缶の自動生産ラインが導入され始めたこと、テーパ型ペール缶の製造が始まったこと、等があって、ペール缶の需要は大きく伸びた。   
こりを癒そう「サロンパス」の日。
佐賀県鳥栖市田代大官町に本店・九州本社、東京都千代田区丸の内に東京本社を置く、「サロンパス」等の外用鎮痛消炎貼付剤を中心とした医薬品等を手掛ける企業、久光製薬株式会社が、新しくなった「サロンパス」の発売を記念して、2015(平成27)年に制定。貼って筋肉のこりや痛みをほぐす、代表的な医薬品ブランドである「サロンパス」のPRと、肩こりに対する正しい知識の普及が目的。日付は、5月18日の「5」と「18」で、「こ(5)り 癒す(い[1]や[8]す)」と読む語呂合わせから。1847(弘化4)年、創業者の久光仁平が久光製薬株式会社の前身となる「小松屋」を創業した。肥前国基肄郡田代村大字田代駅(現在の佐賀県鳥栖市田代大官町)で生まれた久光仁平は、漢方薬の製法を生かして、製薬・売薬の第一歩を踏出した。自ら調合した薬を馬の背に積み、徒歩で各地の村々を訪ね、それぞれの声を聴き、健康の悩みに応じて、薬を直接手渡しした。久光仁平の生地一帯は、田代売薬と呼ばれた売薬業の拠点で、当初は農家の副業としての性格が強かったが、「越中富山の薬売り」とも呼ばれる富山売薬等と競合しながら、市場を拡大していった。「小松屋」は当時、「奇神丹」等の丸薬を製造していたが、久光兄弟合名会社時代の1934(昭和9)年に、鎮痛消炎プラスター剤「サロンパス」を発売。これがロングセラーとなり、現在も主力製品となっている。「サロンパス」は、会社の基礎を固め、1965(昭和40)年に現社名の「久光製薬株式会社」に改称した。その後も「エアーサロンパス」「サロンシップ」 「サロンパス-ハイ」等の製品を次々と送出す一方で、「モーラス」「モーラステープ」他、医療機関用(処方箋医薬品)消炎剤にも進出しており、2005(平成17)年)には、OTC医薬品(一般用医薬品、市販薬、家庭用医薬品、大衆薬、売薬等とも呼ばれる、医師による処方箋を必要とせずに購入できる医薬品)の製造販売を専門とする医薬品メーカー、エスエス製薬株式会社の医療用医薬品事業を譲受する。エスエス製薬株式会社の医療用医薬品は、湿布薬等の外用消炎鎮痛薬が主流で、久光製薬株式会社の得意分野を譲受したとも言える。佐賀県鳥栖市に本店・九州本社を置き、そこで製品開発・生産が行なわれている。また、栃木県宇都宮市にも工場があり、東京都千代田区丸の内にある東京本社では、営業、宣伝、マーケティング等の業務が行なわれている。湿布薬には、大きく分けて、冷湿布、温湿布、経皮鎮痛消炎テープの3つのタイプがある。冷湿布は、患部を冷やす作用があるため、捻挫や打撲等、炎症のある患部に適している。温湿布は、トウガラシエキス等を配合しており、患部を温める作用があり、血行不良による肩こりや腰痛等に用いられる。経皮鎮痛消炎テープは、鎮痛剤が配合されているため、痛みや炎症の強い患部に使用する(但し、年齢制限あり)。また、冷湿布や温湿布では、主に「パップ剤」と呼ばれる、水分を多く含んだ湿布が多く、経皮鎮痛消炎テープでは、水分を殆ど含まない「プラスター剤」が多く販売されている。2015(平成27)年3月に発売された鎮痛消炎プラスターの「サロンパス」は、高分子吸収体を採用していた既存の「サロンパスAe」の処方をベースに、サリチル酸メチル(関節痛や筋肉痛等のケアに用いられる、特有の芳香がある物質)を10.0gに増量(「サロンパスAe」は6.3g)し、大きさも「サロンパスAe」比で約1.2倍に大型化している。また、鎮痛・消炎パップ剤には、「のびのびサロンシップ」がある。久光製薬株式会社は、スポーツ協賛活動に注力している。女子バレーボール部の久光製薬スプリングスは、V・プレミアリーグに参加している。また、長年に亘り、ゴルフの「サロンパスワールドレディスゴルフトーナメント」(主催:日本テレビ)の協賛企業であると共に、「久光製薬KBCオーガスタゴルフトーナメント」(九州朝日放送との共催で、2004[平成16]年に撤退)の主催を行なっていた。プロ野球マスターズリーグ(日本のプロ野球OBが、プロ野球のシーズンオフに行なっていた野球の興行)では、福岡ドンタクズの2005(平成17)年度ユニフォームスポンサーを務めた。さらに、日本サッカーリーグ(Jリーグ)に加盟するサガン鳥栖のスタジアムスポンサーである。かつては、女子バレー部の元選手寮を、サガン鳥栖に選手寮として貸与したこともある。
防犯対策の日。
三重県津市河芸町東千里に本社を置く、防犯カメラや防犯カメラ用レコーダー(DVR)等、防犯カメラシステム用品の開発・製造・販売を行なっている企業、株式会社塚本無線が制定。日付は、自社の株式会社としての設立日が1989(平成元)年5月18日であること、「5」を「GO」、「1」を棒に見立て「棒 = 防」、「8」を「犯(は[8、八]ん)」とする語呂合わせから「GO防犯」と読み、防犯対策に一歩踏出す意味を込めたもの。株式会社塚本無線は、防犯カメラ機器等を製造・販売することで、犯罪やトラブルの抑止、証拠の記録に役立ち、多くの人の安心・安全な生活を支えている。近年、犯罪の巧妙化、凶悪化が進んでいることから、四半世紀以上に亘り防犯カメラを販売してきた企業として、防犯対策の大切さを発信し、1人ひとりが防犯対策を見直すきっかけとしてもらうことが目的。近年では、手頃な価格で手に入る室内モデルが人気で、導入する家庭も増えている。防犯カメラの設置で得られる効果として、いたずらや犯罪等の証拠映像を抑えることができる点、また、いたずらや犯罪の抑止力を持つ点が挙げられる。