5月18日 記念日 その2 | スズメの北摂三島情報局

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2011/08/02 リニューアル
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柴犬ハルがお伝えします

国際博物館の日(International Museum Day)。 
1946(昭和21)年に創設された博物館の国際組織で、フランスの首都パリに本部を置く国際博物館会議(ICOM)が1977(昭和52)年に制定し、翌1978(昭和53)年から実施。1977(昭和52)年の国際博物館会議(ICOM)第11回大会は、5月18日から5月29日まで開催されたことから、5月18日が「国際博物館の日」となったという。ここでいう博物館(ミュージアム)とは、博物館の他、美術館・科学館・動植物園・水族館等も含むものである。その年毎に世界共通のテーマが定められ、各国で様々な企画が行なわれる。日本では、1986(昭和61)年7月31日に設立された、日本における博物館・美術館に関する諸事業を実施している、東京都台東区上野公園に事務局を置く公益法人、日本博物館協会(現在は、公益財団法人となっている)を主体として、2002(平成14)年から参加しており、博物館の存在を広く市民にアピールすることが目的となっている。国際博物館会議(ICOM)において、国別に組織されている118の国内委員会の1つが、国際博物館会議(ICOM)日本委員会で、国際博物館会議(ICOM)規約に従い、その目的達成を図ると共に、国内における会員の諸活動の向上に資することを目的として、1951(昭和26)年に設立された。国際博物館会議(ICOM)日本委員会の事務局は、公益財団法人日本博物館協会に置かれている。博物館は、特定の分野に対して価値のある事物、学術資料、美術品等を購入・寄託・寄贈等の手段で収集、保存し、それらについて専属の職員(学芸員、キュレーター[学術的専門知識をもって業務の管理監督を行なう専門職]等)が研究すると同時に、来訪者に展示の形で開示している施設である。多くは、自然史・歴史・民族・美術・科学・技術・交通・海事・航空・軍事・平和等、ある分野を中心に構成され、収集された資料に基づく研究成果を公刊すると同時に、来訪者がその分野について、幅広く知識を吸収できるように工夫されている。博物館のように、さまざまな物品を展示する施設としては、近代以前から社寺の宝物殿や絵馬殿があった。また、江戸時代には、本草(医薬に関する学問)家達が博覧会のようなことも行なっていた。1861(文久元)年の江戸幕府による遣欧使節に随行した江戸幕府幕臣・漢学者・国学者の市川清流は、その日録に「British Museum」に対し「博物館」という訳語を初めて与えた。この1862(文久2)年の記事が、日本語による「博物館」の嚆矢(物事の始まり)であると考えられる。1873(明治6)年にオーストリア=ハンガリー帝国の首都ウィーンで開催された国際博覧会、ウィーン万国博覧会への出品準備として、1872(明治5)年に開かれた湯島聖堂博覧会(文部省博物館)が日本の博物館の始まりとされ、東京国立博物館は、この時をもって館の創立としている。文部省博物館は、翌年には太政官(当時の最高行政機関)所轄の「博覧会事務局」に改編された。1875(明治8)年、博覧会事務局から博物館と書籍館(国立国会図書館の前身)が分離して、文部省(現在の文部科学省の前身の1つ)の管轄に復帰し、前者は東京博物館と改称された。また、博覧会事務局は、内務省(現在の総務省、国家公安委員会、警察庁、国土交通省、厚生労働省等の前身)管轄の博物館に改編され、東京には、これら2系統の博物館が存在することとなった。東京博物館は1877(明治10)年、現在の東京都台東区にある上野公園内に移転して、教育博物館と改称された。この教育博物館は、現在の国立科学博物館である。なお、東京国立博物館は、内務省管轄の博物館を前身とし、教育博物館とは別に、人文系の博物館として、同じく上野公園内に1882(明治15)年に移転したもので、その建物は、明治以後の日本建築界の基礎を築いたイギリス人建築家、ジョサイア・コンドルの設計によるものであった。但し、1923(大正12)年の大正関東地震(関東大震災)で倒壊している。博物館は、1970年代から急激に増え始め、1988(昭和63)年に始まった「自ら考え自ら行う地域づくり事業(ふるさと創生事業)」(各市区町村に対し地域振興の為に1億円を交付した政策)では、各地で博物館の新設ラッシュが起き、1980年代後半のバブル期まで増え続け、1998(平成10)年を過ぎると、館数は急激に減少していった。資料館、美術館、文学館、歴史館、科学館、水族館、動物園、植物園等の施設は、日本語では博物館の名を持たないが、いずれも世界標準からは博物館そのもの、或いは博物館に準じる施設(生きている生物を主に扱う施設の場合)であり、日本の法制上でも、条件を満たして登録措置を受ければ、「博物館法(昭和26年12月1日法律第285号)」上の博物館、或いはそれに準じた博物館相当施設として扱われる。こうした法制上の扱いを度外視し、名称上博物館を名乗らないが、実質的に博物館そのものである施設を数え上げれば、約3,000から約4,000の博物館が日本に存在すると言われる。近年では、マンガ・アニメミュージアムが全国に続々オープンし、現時点で60施設程度存在している、とされる。現在の日本の法制度では、「博物館法」上の博物館である「登録博物館」、それに準じた法制上の扱いを受ける「博物館相当施設」、「博物館法」の適用外となる「博物館類似施設」の3つに分かれてしまう。登録博物館になるメリットとしては、資料を登録博物館に寄付すると、寄付者が税制上の優遇措置が受けることができる取決めのために、寄付をされ易いことや、不動産取得税・固定資産税・都市計画税等が優遇されること等がある。また、公立の登録博物館は、補助金を受けることができる。事業に参加したり、助成制度を受けたりする条件として、登録博物館であることが挙げられていることもある。博物館相当施設は、登録博物館の要件は満たしていないものの、一定の要件を満たしている施設で、文部科学大臣、或いは都道府県教育委員会の指定を受けたものである。事業に参加したり助成制度を受けたりする条件として、博物館相当施設であること、が挙げられていることもある。博物館類似施設は、「博物館法」の適用外の施設で、殆どの「博物館」と名乗る施設はこれに該当する。
ネット生保の日。
東京都千代田区麹町に本社を置く、インターネットで生命保険を販売する「ネット生保」のリーディングカンパニー、ライフネット生命保険株式会社が制定。「ネット生保」を広く認知してもらい、消費者にとっての生命保険の加入方法の選択肢を増やすことが目的。インターネットの活用で24時間365日の申込みを可能にし、手頃な生命保険料を実現している。日付は、ライフネット生命保険株式会社が営業を開始した2008(平成20)年5月18日から。ライフネット生命保険株式会社は、第二次世界大戦後初、日本国内では74年振りに、内外の保険会社を親会社としないで設立された独立系生命保険会社で、保険外交員をなくした直販のネット生保として創業した。2014(平成26)年には、店頭窓口における保険商品の販売を開始し、ネットのみであった販売チャネルに、対面販売が追加された。2015(平成27)年4月20日、国内・国際通信全般を手掛ける大手電気通信事業者、KDDI株式会社と資本・業務提携を締結した上、KDDI株式会社を引受先とする第三者割当増資(概ね、株主であるか否かを問わず、特定の第三者に対して募集株式を割当てる方法)による増資を実施した。これに伴なって、KDDI株式会社が、ライフネット生命保険株式会社の筆頭株主となった。ライフネット生命保険株式会社は、調達した資金で新たなサービスの創造を目指したい、としている。ライフネット生命保険株式会社では、同業他社と比べて、自社の保険商品が最安値でないことは、低迷の要因ではなく、保険商品自体は、会社として競争力があると認識している旨を示しており、新契約業績の底上げを継続的な課題として掲げている。2017(平成29)年4月に保有契約件数が24万件を突破し、2019(平成31)年1月には、保有契約件数は30万件を突破した。
「子どもたちに言葉のシャワーを」の日。
兵庫県宝塚市の「言葉のシャワーペイフォワード大作戦」事務局代表で、幼児教育に取組む正司昌子が制定。日付は、「言葉(こ[5]とば[18])」と読む語呂合わせから5月18日に。正司昌子は「今の子ども達は、幼児期に人の言葉を聞く機会が減っていて、言葉の力がどんどん落ちている」と感じており、人生の土台をつくる豊富な「言葉」を、全ての子ども達が身に付けられるように、周りの大人から子ども達に挨拶や言葉がけをすること、言葉のシャワーをかけてあげることが大切と考えている。ふんだんな言葉がけの中で、子ども達が成長できるように、という願いが込められている。ペイフォワード(Pay it forward)とは、自分が受けた善意を他の誰かに渡すことで、善意をその先に繋いでいくこと。英語の直訳は、「先に払う、先払い」という意味になる。日本では「恩送り」とも呼ばれ、善意を与えてくれた本人に恩を返す代わりに、他の誰かに善意を送ることを意味する。