5月15日 記念日 その5 | スズメの北摂三島情報局

スズメの北摂三島情報局

2011/08/02 リニューアル
2019/07/14 アメブロ移動
柴犬ハルがお伝えします

ストッキングの日。
1940(昭和15)年5月15日、アメリカの大手化学会社、デュポン社がナイロン・ストッキングを全米で発売した。石炭と水と空気から作られ、鋼鉄よりも強く、クモの糸より細い、というのが当時のキャッチフレーズであった。ナイロン製ストッキングは、初年度だけで約6,400万足も売れる大ヒット商品となり、それまで、アメリカのストッキング市場は、日本の絹製のもので独占されていたが、これ以降、ナイロン製のものに王座を明渡した。ナイロンの名称は、「伝線(run)しないパンティストッキング用の繊維」を意図した「norun」に由来する。ナイロンは当初、主に繊維として使われた。世界初の合成繊維、ナイロン6,6が含まれる。現在では主に、合羽やウインドブレーカー、スキーウェア等冬用のスポーツウエア等の衣類に用いられる他、ギターの弦、ストッキングや水着、釣り糸等にも用いられている。ストッキングとは、長い靴下、特に、薄手の編地の長靴下のことである。ナイロン製ストッキングは1937(昭和12)年、アメリカの化学者でデュポン社の有機化学部門のリーダー、ウォーレス・カロザースによって発明され、1940(昭和15)年に発売され、爆発的に世界中に普及した。当時は筒状に編み立てる技術がなく、縫い目かがり(シーム)のある靴下として発売された。後に開発される、縫い目かがりのないストッキングを「シームレスストッキング」という。ナイロンとポリウレタン(天然ゴムの代替品として開発された合成ゴムの一種)糸で編まれたストッキングは画期的な新製品とされ、日本に上陸したのは1952(昭和27)年のことである。しかし、当時は何も脚に着用していない様に見えるのが好まれず、国内では余り売れなかった。後年に、足首部分で編地がたるみにくいシームレスの良さが徐々に広まり普及した。ストッキングの利点は、足元のお洒落や冷え等の予防や防寒用途等で、編地の伸縮によるサポートで、脚線美も期待される。但し、吸湿性に欠ける素材の為靴で蒸れ易く、繊細な繊維は引っ掛けに弱く、破れ易いといった欠点もある。最近は夏でも蒸れにくく、夏に着用しても涼しく過ごせるよう、繊維に体温と反応し熱を吸収させる特殊な液体を染込ませ、冷却感を維持できるように工夫された製品も開発されている。2000年代に入ってからは、カジュアルファッションの流れから素足の「生足ブーム」が起こり、秋冬でもそのような足元の女性が増加した。しかし、2000年代半ば頃から「レッグファッション」が流行し、その相乗効果で、タイツやストッキングの着用人口も増えたと言われる。しかし、1年をトータルしても、1970年代から1990年代の勢いには及ばない。 
水分補給の日。
スポーツや食事の時の水分補給の大切さをPRすることを目的に、東京都港区芝に本社を置き、ステンレス魔法瓶、保温調理器「シャトルシェフ」等、家庭用品の製造販売で知られる企業、サーモス株式会社が制定。日付は、自社で行なった実験で、高温の環境での水分補給に最適な温度帯が、5℃から15℃であることが実証されたことから、5月15日の「5」と「15」で、5月15日としたもの。「サーモス」というブランド名は、1904(明治37)年に、現在のドイツ連邦共和国の前身に当たる国家、ドイツ帝国の首都ベルリンで設立された、テルモス有限会社に由来する。テルモス有限会社は、世界で初めて真空断熱魔法瓶(断熱材の周囲を真空状態にし、気体による熱伝導を限りなくゼロに近付けることにより、断熱性能を高める真空技術を利用した魔法瓶)を製品化したことで知られる。「テルモス」という名称は、公募で決められたもので、ギリシャ語で「熱」を意味する"Therme"に由来する。1907(明治40)年には、イギリス、アメリカ、カナダでも、テルモス有限会社から商標を譲り受け、真空断熱魔法瓶を販売する会社が設立された。英語圏でも急速に普及し、この製品は魔法瓶の代名詞として「サーモス」と呼ばれた。産業ガスメーカーの日本酸素株式会社は、1978(昭和53)年に世界初のステンレス製真空断熱魔法瓶を開発・発売し、1980(昭和55)年9月には株式会社日酸サーモを設立し、魔法瓶事業を行なっていたが、1989(平成元)年にイギリス、アメリカ、カナダのサーモス・グループを傘下に収め、続いて、本家に当たるドイツ社も取得した。その後、2001(平成13)年10月に、旧日本酸素株式会社の家庭用品事業部門であるサーモス事業本部を会社分割し、株式会社日酸サーモと統合して、サーモス株式会社が設立された。現在は、日本酸素株式会社と大陽東洋酸素株式会社の合併により誕生した大陽日酸株式会社の完全子会社を経て、グループ会社を統括する持株会社、日本酸素ホールディングス株式会社の完全子会社となっている。サーモス株式会社は、「美味しく水分補給」するために、種々の工夫を重ねてきた。スポーツジャグから山専用のボトルまで、魔法瓶の優れた保冷・保温力が、多くのシーンで活躍してくれる。特に、運動時には体の水分が一気に失われ、脱水状態になり易いため、小まめな水分補給が重要になる。30分に1回の水分補給であれば、1回当たり200ミリリットル程度から250ミリリットル程度を飲むのが理想的で、水分の温度は、5℃程度から15℃程度が最も飲み易いとされている。
青春七五三。 
企業や団体、自治体、個人等が設けた記念日の認定・登録を行ない、ホームページで紹介する等、様々なPRを行なう、長野県佐久市安原に所在する民間団体、一般社団法人日本記念日協会が1995(平成7)年に提唱。幼い子どもの成長を祝う七五三から10年、13歳、15歳、17歳のまさに青春真っ盛りの少年少女に、これからの人生に対して励ましのエールを送ろうという日。11月15日の七五三から半年ずらした5月15日とした。大人へ成長する通過点として、社会性を身に付けることも目的とする。青春とは、元々は季節の春を示す言葉で、古代中国の五行思想では、「春」の色として「青」(緑)が当てられ、「青春」という言葉が生まれた。夢や希望に満ち、若くて元気な時代を、人生の春に例えて、青年時代を指す言葉として用いられるようになった。「青春」という言葉と同様に、古代中国において「夏」に「朱」(赤)、「秋」に「白」、「冬」に「玄」(黒)の色が当てられ、「朱夏」(しゅか)、「白秋」(はくしゅう)、「玄冬」(げんとう)という言葉が生まれた。生涯に数多くの詩歌を残し、今なお歌い継がれる童謡を数多く発表した詩人・童謡作家・歌人、北原白秋(1885[明治18]年1月25日 - 1942[昭和17]年11月2日)の雅号は、秋の白秋に由来するとされる。1976(昭和51)年8月にリリースされた、森田公一とトップギャラン(作曲家・歌手で、1970年代の歌謡界のヒットメーカー、森田公一が率いる音楽バンド)のシングル曲、『青春時代』は、青春時代の心情を巧みに綴った歌詞として、当時の若い世代を中心に多大な支持を得て、発売から約半年の経過でミリオンセラーとなり、大ヒットした。生涯で作詞した曲は5,000曲以上で、ジャンルは歌謡曲、演歌、アイドル歌謡曲、フォークソング、コミックソング、アニメソング、CMソングと幅広い放送作家・詩人・作詞家・作家、阿久悠の作詞で、多くのアーティストによってカバーされている。1965(昭和40)年からは、「東宝青春学園ドラマ」が始まった。東宝制作、テアトル・プロ共同制作で、日本テレビ系で放送された「東宝青春学園ドラマ」は、1974(昭和49)年まで続き、学園青春ドラマの代表的作品の1つとなった『飛び出せ!青春』(俳優・タレントの村野武範が主演し、熱血教師役で人気を不動のものとした)や、『われら青春!』(俳優・歌手・タレント、中村雅俊の初主演作で、中村雅俊の歌う挿入歌『ふれあい』は、オリコンチャート10週連続第1位を記録し、ミリオンセラーとなった)等を生み出した。
テリヤキバーガーの日。
東京都品川区大崎に本社を置く、フランチャイズチェーンによるハンバーガー専門店「モスバーガー」を展開する企業、株式会社モスフードサービスが制定。日本人好みのハンバーガーとして知られる「モスバーガー」の人気メニュー「テリヤキバーガー」は、長年に亘り和風バーガーの代表格として親しまれ、愛されてきた。1973(昭和48)年5月15日に発売され、2023(令和5)年に50周年となる「テリヤキバーガー」は、自社が元祖であることと、そのおいしさを、さらに多くの人に知ってもらうことが目的。日付は、初めて発売した日から5月15日を記念日としたもの。「モスバーガー」は、素材を厳選し、注文を受けてから作る「アフターオーダー方式」等、スローフードの要素を取入れている(ファストカジュアル)ことが特徴で、ファストフード店として分類はされているが、「ファストフード(fast food)」という語が表わすように、「すぐに食べる」ことはできず、ハンバーガーという商品をメインとして扱っていることから、手軽に食べられ、食物エネルギーが大きい、アメリカ式の「ファストフード(fast food)」とされているだけ、とも言える。「モスバーガー」がチェーンを拡大する上での大きな足がかりとなった大ヒット商品、「テリヤキバーガー」は、株式会社モスフードサービス創業者の櫻田慧が、アメリカで照焼き風ハンバーグを食べたことがヒントになったという。タレがパンにしみ込みすぎないよう、味がくどくならないように、レタスを多めに使う等の工夫がなされている。その後、他チェーンも追随して、日本のファーストフードチェーンでは、何処でも見られる商品となった。