5月14日 記念日 その2 | スズメの北摂三島情報局

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2011/08/02 リニューアル
2019/07/14 アメブロ移動
柴犬ハルがお伝えします

ごいしの日。
日本で唯一のはまぐり碁石の産地である宮崎県日向市で、はまぐり碁石の製造販売等を手掛ける企業、ミツイシ株式会社(本社は、宮崎県日向市平岩に所在する)が制定。宮崎県日向市と、那智黒碁石の産地、三重県熊野市とのパートナーシップ協定の締結、ミツイシ株式会社の創業百周年等を記念したもので、碁石・囲碁文化の発展と普及、技術の継承が目的。日付は、5月14日の「5」と「14}で、「碁石(ご[5]い[1]し[4])」と読む語呂合わせから。1917(大正6)年に創業したはまぐり碁石の製造元、黒木碁石店から発展し、2008(平成20)年に現社名へ改称した企業、ミツイシ株式会社は、碁石の製造を始めとして、碁盤製造、ドライブイン事業(レストラン併設)、菓子製造事業、食品加工事業、関連商品のネットショッピング事業を運営している。ミツイシ株式会社が運営している手作り碁石見学処「はまぐり碁石の里」は、100年に一度しか訪れない「2015(平成20)年5月14日」(2015年の[15]を、「囲碁[いご、「1」と「5」に掛けている])に、「囲碁のテーマパーク」としてリニューアルオープンされた。従来は、はまぐり碁石の工場を自由に見学できる施設であった「はまぐり碁石の里」を、囲碁文化の発展のため、囲碁に興味の無い人にも、幅広く興味を持って頂きたい、という想いから「囲碁のテーマパーク」とし、囲碁の歴史やトリビア、豆知識等を、真面目、かつ遊びゴコロ満載の内容で届けている。ミツイシ株式会社の前身である黒木碁石店は1917(大正6)年、創業者の黒木宗次郎により創業され、「碁石を使うのは人であり、人は石と対話をする。そのため、石は天然の素材であると同時に、人の手によって作られる必要がある」という基本思想は、今も受継がれている。機械化の進む現代においても、約3ヶ月、24段階にも及ぶ工程の中、一粒一粒全ての職人が必ず一度は手に触れ、目で見て対話をし、手打ちの意思を伝える石へと、その形や感触までも、実用性や芸術性を徹底的に追求してきた。そして、納得したものだけを世に送り続けている。碁石は、囲碁、連珠(五目並べ競技として成立するようにルールを整えたボードゲームの一種)に使用する用具で、黒・白2色の円盤形の物体である。黒白2色で一揃いとなり、碁笥(ごけ)、或いは、器(ごき)と呼ばれる容器に入れておく。囲碁を行なう上では、単に「石」と呼んだりする。石の大きさは、白石が直径約21.9mm(7分2厘)、黒石が直径約22.2mm(7分3厘)。黒石の方が若干大きくなっているのは、白が膨張色(透明度が高いことから、他の色に比べて、膨らんだり広がったり錯覚する色)で、やや大きく見えるためで、このように若干の差を付けることにより、人間の目にはほぼ同じ大きさであるように見える。厚さは6mm - 14mm程度まである。「石」と呼ばれるが、素材は必ずしも石材のみが用いられてはいない。黒石は、三重県熊野市神川町で産出される粘板岩(粘土質の堆積岩である泥質岩に、剥離性が発達した岩石)の一種である那智黒、白石は、碁石蛤の半化石品(時間の不足や化石化のための条件を満たしていない等の理由で、化石化の過程の終了していないもの)が最高級とされる。これには、チョウセンハマグリ(日本の房総半島以南の本州・四国・九州・沖縄や台湾、朝鮮半島、中国の、潮間帯[満潮線と干潮線の間の地帯]から水深20m程度の砂泥底に分布する、ハマグリに似るがより三角形に近く、大型で殻も厚い種類)の大型半化石が用いられる。蛤の白石には、「縞」という生長線が見られ、細かいもの程耐久性が高く、「雪」と表現され、比較的目が粗いものを「月」と呼んで区別する。現在販売されているグレードは、雪印、月印、実用とあり、最も縞模様の細かい最高級の雪印、それに次ぐ月印、縞模様があまり細かくない実用となっている。他に、生産段階で僅かな僅かな傷等があったものを組合わせた、徳用というものもある。練習用には、硬質ガラス製のもの等が使用される。石は使用によって破損し、小さなものをホツ、周辺の欠けたものをカケという。碁器の中の石をかき混ぜて音を立てる行為は、マナー違反とされている。
けん玉の日。
長野県松本市蟻ケ崎に所在する一般社団法人、グローバルけん玉ネットワークが制定。「けん玉で世界をつなぐ」を合言葉に、けん玉を国際的に普及させることが目的。日付は、現代のけん玉の原型となる「日月ボール」を、広島県呉市に住んでいた江草濱次という人物が考案し、実用新案登録された日が、1919(大正8)年5月14日であることから。日本に古くから伝わるけん玉の国内外への伝承・普及と、世界のけん玉愛好団体・個人のネットワーク化を図り、「遊び」と「競技」という多面性を活かした国際交流、及び競技会の実施をすること等により、人々が安全安心に暮らし、各々の人生を歩んでいくために必要な「他者との関わり・繋がり」のきっかけを、けん玉を基軸に、多くの人に提供することを目的とする、一般社団法人グローバルけん玉ネットワークは、「けん玉ワールドカップ」の開催、けん玉のプロデュース、オンラインショップでの販売等を手掛けている。十字状の「けん(剣)」と穴の空いた「玉」で構成される玩具、けん玉の原型となるものは、世界各国で遊ばれていたが、日本に紹介されたのは、19世紀前半の江戸時代と言われる。明治時代になり、文部省(現在の文部科学省の前身の1つ)発行の児童教育解説『童女筌』(どうじょせん、1876[明治9]年)で「盃及び玉」として紹介されてから、子どもの遊びへと変化していった。日本でのけん玉の大流行は、190(7明治40)年、1924(大正13)年、1933(昭和8)年とされている。また、1977(昭和52)年は、「けん玉ルネッサンス」と言われる爆発的な大流行となった。この流行には、皿胴に糸を出す穴を開ける等、合理的な設計がされた「競技用けん玉」が普及したことが影響している。「競技用けん玉」の普及の他、競技会の開催や級・段位認定制度、持ち方や構え方等のルールの統一といったことが、けん玉の普及・発展に寄与した。21世紀初頭では、「競技用けん玉」が一般的となったが、民芸品や単純な玩具としてのけん玉も各地に存在する。2010(平成22)年頃、アメリカの若者が日本から持帰ったけん玉を、ヒップホップ系の音楽に合わせ、様々な技を披露する様子を動画サイトに投稿した。これがきっかけで、けん玉は「KENDAMA」として、新たなストリートパフォーマンスと認知されるようになり、海外で急速に認知されるようにもなった。「けん玉」の名前は、十字状の「けん(剣)」と、穴の空いた「玉」でできた玩具であることに由来する。漢字で書くと、「剣玉」「拳玉」「剣球」等がある。「日月ボール」の考案者である江草濱次は、木工ろくろ技術と木工玩具の生産地として有名な広島県廿日市市を訪れ、「日月ボール」の製造を依頼した。それ以来、廿日市市では多くのけん玉が作られ、けん玉文化がつくられてきた。このことから、廿日市市は「けん玉発祥の地」とされ、「けん玉ワールドカップ」が廿日市市で開催される。かつて、けん玉は郷土玩具としての面が強く、郷愁や自己自慢の域から出ることはなかった。そこで、1975(昭和50)年5月5日、けん玉の素晴らしさや遊び方を伝えていく為、児童文学作家の藤原一生ら有志により、日本けん玉協会が設立された。けん玉の文化面と競技面の両面での普及を目的とした日本けん玉協会は、2002(平成14)年に特定非営利活動(NPO)法人となり、2012(平成24)年に一般社団法人へ組織変更された後、2014(平成26)年には、公益社団法人として認定された。公益社団法人日本けん玉協会は、利き手に応じて糸を自由に付替えられる、糸穴付きの公認けん玉を発明した。程なくして、この公認けん玉がブームに乗って爆発的に普及し、文部科学省(当時は文部省)杯が授与される大会が行なわれるまでになった。現在も、「競技用けん玉」の普及の他、競技会の開催や級・段位の認定、持ち方や構え方等のルールの統一等、けん玉の普及・発展に寄与し続けている。