5月12日 記念日 その3 | スズメの北摂三島情報局

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2011/08/02 リニューアル
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柴犬ハルがお伝えします

海上保安の日(さらに、続き)。
1949(昭和24)年12月12日には、旧海軍特務艦『宗谷』(後の南極観測船)が海上保安庁に編入されており、当時の海上保安庁では最大の船となっていた。『宗谷』は、当初は灯台補給船、後に巡視船として活躍し、1978(昭和53)年の退役まで、海上保安庁を代表する船として広く親しまれた。1956(昭和31)年11月8日、巡視船『宗谷』による南極地域観測支援業務を開始し、翌1957(昭和32)年1月には、南極大陸のリュツォ・ホルム湾東岸にある島、オングル島を構成する島の1つである東オングル島に昭和基地を建設し、日本の南極観測事業の礎を築く。その後、1962(昭和37)年までに、通算6回の観測支援業務を遂行した。1962(昭和37)年4月17日、巡視船『宗谷』は、第6回南極観測事業を終え、東京港日の出桟橋に帰投する。以後、『宗谷』は南極観測を、日本では初となる極地用の本格的な砕氷艦として建造された、海上自衛隊のふじ型砕氷艦『ふじ』に引継ぎ、日本近海で巡視船として活躍する。なお、1998(平成10)年には、海上保安庁設立50周年を記念して、「氷上の天使」とも称されるアザラシの一種、タテゴトアザラシの幼獣(子ども)をモチーフに、マスコットキャラクターの「うみまる」が制定されている。さらに、2002(平成14)年には、その妹分で、女性保安官をイメージした「うーみん」も制定された。これらのマスコットキャラクターは、広報活動で積極的に用いられている。
ナイチンゲール・デー。
赤十字の母と呼ばれるイギリスの看護師・社会起業家・統計学者・看護教育学者、フローレンス・ナイチンゲールが、現在のイタリア中部にあるフィレンツェで、1820(文政3)年5月12日に誕生したことを記念する日。戦争や天災時における傷病者救護活動を中心とした人道支援団体、赤十字ではこの日に、ナイチンゲール精神を範とする看護婦に、ナイチンゲール記章を授与している。国際看護師デーや看護の日も、これに因むものである。フローレンス・ナイチンゲールは、近代看護教育の母とも呼ばれ、病院建築でも非凡な才能を発揮した。裕福なジェントリ(イギリスにおける下級地主層の総称で、郷紳と訳される)の家庭である両親の2年間の新婚旅行中に、トスカーナ大公国(16世紀から19世紀にかけて北イタリアに存在した国家で、領域はほぼ現在のイタリア共和国中北部に位置するトスカーナ州に当たり、同州の前身となった)の首都フィレンツェで生まれ、フローレンス(フィレンツェの英語読み)と名付けられる。看護師を志し、イギリスの首都ロンドンの病院へ就職するが、無給であった。後に婦人病院長となったフローレンス・ナイチンゲールは、イギリス各地の病院の状況を調べ、専門的教育を施した看護婦の必要性を訴える。当時、看護婦は、病院で病人の世話をする単なる召使として見られ、専門知識の必要がない職業と考えられていた時代であった。1854(嘉永7)年に、クリミア戦争(ロシアと、トルコ・イギリス・ フランス・イタリア等との間で起きた戦争)が勃発する。1785(天明5)年創刊で、世界最古の日刊新聞であるイギリスの保守系高級紙、タイムズ(他の新聞との区別のために、ロンドンタイムスとも呼ばれる)の特派員ウイリアム・ハワード・ラッセルにより、クリミア戦争の前線における負傷兵の扱いが、後方部隊で如何に悲惨な状況となっているかが伝えられるようになると、一気に世論は沸騰する。フローレンス・ナイチンゲールも、自ら看護婦として従軍する決意を固める。シスター(修道誓願を立て、信仰生活をする女性)24名と職業看護婦14名、合わせて38名の女性を率いて、フローレンス・ナイチンゲールは、後方基地と病院のあるスクタリ(現在のトルコ共和国西部に所在するイスタンブールに隣接する地区で、現在ではユスキュダルと呼ばれる)に入り、現地の病院で看護師の総責任者として活躍した。当時、その働き振りから「クリミアの天使」と呼ばれた。看護師を「白衣の天使」と呼ぶのは、このフローレンス・ナイチンゲールに由来する。また、夜回りを欠かさなかったことから、「ランプの貴婦人」とも呼ばれた。本人の言葉としては、「天使とは、美しい花をまき散らす者でなく、苦悩する者のために戦う者である」が知られる。フローレンス・ナイチンゲール自身が、看護師として負傷兵達に奉仕したのは、クリミア戦争従軍時の2年間と、それ以前のことだけで、その献身の象徴的イメージ、そして、統計に基づく医療衛生改革で名声を得た。フローレンス・ナイチンゲールはイギリスに帰国した後、病院の状況分析を始める。数々の統計資料を作成し、改革のために結成された各種委員会に提出した。このため、イギリスでは、フローレンス・ナイチンゲールを統計学の先駆者としている。これによる改革は、保健制度のみではなく、陸軍全体の組織改革に繋がった。フローレンス・ナイチンゲールは、37歳の時に心臓発作で倒れてしまい、その後死去するまでの約50年間は、殆どベッドの上で過ごし、本の原稿や手紙を書くことが活動の柱となった。
看護の日。
看護する心、ケアの心を広く知ってもらおうと、厚生省(現在の厚生労働省の前身の1つ)と、保健師・助産師・看護師・准看護師の看護職によるによって構成される職能団体(法律や医療等の専門的資格を持つ専門職従事者らが、自己の専門性の維持・向上や、専門職としての待遇や利益を保持・改善するための組織)、社団法人日本看護協会(現在は、東京都渋谷区神宮前に事務局を置く公益社団法人となっている)等が1991(平成3)年に制定した。世界の看護従事者の社会的経済的地位の向上、看護の発展、地球、及び地域社会での健康医療政策への積極的参加を促することを目的として、世界各国の看護師協会から構成される、医療従事者のための国際組織、国際看護婦協会(ICN)でも、この日を「国際看護師デー(国際看護師の日)」としている。また、5月12日を含む週の日曜日から土曜日までが「看護週間」となっている。看護師は、疾病者や褥婦(出産後の女性)等の療養上の世話、又は診療の補助等をすることを業とする人である。現代では、専門職である看護師の業務を行なうためには、多くの国で、その国が定めた看護専門学校や看護大学等の看護師養成課程における基礎看護教育を受けた上で、国家試験等の資格試験に合格し、看護師免許を有している必要がある。日本では以前、女性を看護婦、男性を看護士として区別していた。しかし、「保健婦助産婦看護婦法(保助看法、昭和23年7月30日法律第203号)」が「保健婦助産婦看護婦法の一部を改正する法律(平成13年12月12日法律第153号)」によって改題され、「保健師助産師看護師法(保助看法、昭和23年7月30日法律第203号)」となり、2002(平成14)年3月からは、男女共に「看護師」という名称に統一された。因みに、「保助看法」で規定されている、妊娠や出産に係わり、助産行為を行なう助産師は、資格を取得できるのが女性に制限されている(男性は助産師資格を取得できない)。これは、性別によって国家資格の取得が制限される稀な例となっている。看護師は、医師の指示の元に、検査・治療・処置・与薬等の治療活動における患者援助に携わり、また、様々なケア(患者の身の回りの世話を始めとした生活への様々な援助)に携わっている。看護が専門的職業として自覚的に成立したのは、ここ100年余りのことであり、フローレンス・ナイチンゲールの活躍と共に始まったと言える。日本でもフローレンス・ナイチンゲールの影響を受継いで、1887(明治20)年頃には看護婦養成所が設立されたが、実際に看護に携わる人の多くは、教育機関で教育・訓練されるのではなく、看護の実務の場で徒弟的に育てられるに留まっていた。日本で看護基礎教育が抜本的に改革されたのは、第二次世界大戦後のことで、これはアメリカ看護界の影響を大きく受けつつ行なわれたものであり、主体的に看護活動を担うことのできる看護婦を養成することを目指すようになった。 
国際看護師の日(International Nurses Day)。
スイス西部のジュネーブに本部を置く、世界各国の看護師協会から構成される医療従事者のための国際組織、国際看護師協会(ICN)が1965(昭和40)年に制定。日本では「国際看護婦の日」と称していたが、2002(平成14)年に看護婦の呼称が看護師に変更されたことに合わせて、この記念日も「国際看護師の日」に改称された。アメリカ合衆国とカナダでは、この日を中心とした5月9日から5月15日までが、「国民看護週間(National Nursing Week)」として毎年祝われる。