5月8日 記念日 その4 | スズメの北摂三島情報局

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2011/08/02 リニューアル
2019/07/14 アメブロ移動
柴犬ハルがお伝えします

声の日。 
いい声、素敵な声の人を増やすことで、みんなをハッピーに、日本を元気にしていきたい、との想いを込めて生まれた「声総研」が2011(平成23)年に制定。2011(平成23)年5月8日には、渋い声代表として、俳優の江守徹と中尾彬のモテ声対決によって、制定を記念したセレモニーが行なわれた。「声総研」は、声に纏わる意識調査、声を科学的に研究する活動を行なう等、声に関する情報発信機関である。日付は、5月8日の「5」を「ご」、「8」を「エイト」の「え」から取って「声」としたもの。声には、一般に高低があるとされるが、厳密には音高(ピッチ、振動数)の高低とフォルマント(言葉を発している人の音声のスペクトルを観察すると分かる、時間的に移動している複数のピークの高低)の2種類がある。歌唱の際を除けば、両者の区別を付けずに「声が高い(低い)」と言っている場合が多い。フォルマントの高さは、主に声道の長さで決まるので、発声時の喉頭の位置に影響される。また、一般に身長が高く顎や首の長い人程、低いフォルマントで発声できる。音高は、声帯の形状、サイズ、伸展状態、声門閉鎖の強さ、呼気流の圧、及び速さ、振動様式(声種)等によって変わる。一般に、男性の声は低く、女性の声は高い。また、子どもの声は男女とも高いとされ、成長に従って音高、フォルマント共に低下する。さらに、男性の殆どは、第二次性徴で急に低い声に変わる。女性の場合も、軽度であるが低くなる。壮年期を過ぎると、女性は低くなることがあり、男性はやや高くなることがある。
童画の日。
童画の生みの親、武井武雄の出身地である、長野県岡谷市中央町に所在する岡谷市立の美術館、イルフ童画館が制定。日付は、1925(大正14)年5月8日に、現在の東京都中央区銀座に所在し、現存する日本最古の画廊とされる『資生堂ギャラリー』で「武井武雄童画展覧会」が開かれ、この時、大人が子ども向けに描いた絵画である「童画」という言葉が、日本で初めて使われたことから。長野県岡谷市では、イルフ童画館を中心に、童画による児童文化、市民文化の発展を目指している。童画家・版画家・童話作家・造本作家である武井武雄は、童話の添え物として軽視されていた子ども向けの絵を「童画」と命名し、芸術の域にまで高めた。武井武雄の童画は、大胆な構図や幾何学的な描線によって、モダンかつナンセンスな味わいを感じさせ、残された作品は今もって古びていない。イルフ童画館の「イルフ」という名称は、武井武雄が「古い」という言葉を逆に読み、新しいという意味を付けたもので、館の愛称である。岡谷市条例の上では、日本童画美術館という名前である。館の内容は、主に岡谷市出身の武井武雄の童画、版画、刊本等を展示する他、一般の童画等も収集、展示している。イルフ童画館は、「博物館法(昭和26年12月1日法律第285号)」上の登録施設ではなく、岡谷市では、美術館のある中心市街地再開発地区の活性化に寄与する観光文化施設、としての位置付けをしており、それは、再開発ビルに「イルフプラザ」という名称を付けたことによっても分かる。また、再開発ビル「イルフプラザ」から岡谷駅への通りを「童画館通り」としたことにも、まちづくりとの関連が見られる。その他、武井武雄が描いた絵画、版画等をデザインした街路灯の設置、公共施設への壁画設置等、まちづくりの上で活用されている。それでも、このイルフ童画館は、有資格の専門職である学芸員を配置し、美術品の展示・収集、保管・調査研究、教育活動を行なっている、歴とした博物館施設(美術館)の体制を整えている。2015(平成27)年4月より、岡谷市においては、武井武雄の童画作品をデザインした原動付自転車(原付)のナンバープレート(ご当地プレート)が交付されている。プレートにデザインされるのは、武井武雄の代表作である「ラムラム王」となっている。また、岡谷市が交付する家屋調査済証(家を新築、増築した際、固定資産評価額を決めるための調査を受けた家屋に交付されるシール)にも、武井武雄の童画作品がデザインされるようになった。そのデザインには、「ことりのくに」「IAN-INIAKES島全図」「赤ノッポ青ノッポ」の3種類がある。  
小鉢の日。
兵庫県神戸市中央区港島中町に本社を置き、豆製品や昆布製品、惣菜等、健康に根差した食品を数多く製造販売する食品メーカー、フジッコ株式会社が制定。いつもの食卓に小鉢のおかずをプラスすることにより、和食の理想である「一汁三菜」(一汁は汁物を1品、三菜は料理を3品という意味)の食事で、栄養のバランスをとってもらうことが目的。日付は、5月8日の「5」と「8」で、「小鉢(こ[5]ば[8]ち)」の語呂合わせから。フジッコ株式会社は、1960(昭和35)年に「富士昆布」として創業し、1966(昭和41)年から用いられている、味付刻み昆布の「ふじっ子」という商標に合わせ、1985(昭和60)年、現社名に変更した。栄養・健康に対する姿勢は、大手食品会社の中でもかなり先進的であり、1980年代前半には、既に合成保存料や合成着色料等の食品添加物使用の全廃に成功している。また、栄養素や栄養面の研究等における学会発表も、盛んに行なわれている。近年ではデザート分野でも知られ、1993(平成5)年には、ナタデココ(ココナッツの汁を発酵させたゲル状のもので、フィリピン発祥の伝統食品)をヒットさせたことで知られる。また、近年のヒット商品に、カスピ海ヨーグルト「カスピア」等がある。小さな器に盛った料理を、日本料理では「小鉢」という。日本の食文化の特徴として、多様で新鮮な食品、「一汁三菜」を基本にし栄養バランスに優れる、自然や季節の表現、正月等行事との関わりが挙げられている。日本料理は、食品に手を余り加えず、そのものの風味、良さを引立たせる傾向が強く、塩で甘みを引出したり、ダシの利用、アク抜き等、しばしば「引き算の料理」と表現される。食肉や魚介類等の動物性の惣菜を主菜等にし、小鉢で野菜や海藻、豆腐等、植物性の惣菜を副菜として添えることで、栄養のバランスが偏り勝ちな日常の食事を、バランスに優れた食事にできる。
ごはんパンの日。 
長野県南佐久郡小海町大字豊里に本社を置く、パンの小売店の展開や通信販売を手掛ける企業、有限会社高原のパンやさんが制定。天然酵母の生地に、信州りんごを堆肥にして土づくりをし、無農薬で育てた「信州りんご米」をふっくらと炊き上げたごはんを30%練り込み、おからや野沢菜等を具に包み込んで、おやき風に焼上げた、有限会社高原のパンやさんの人気商品「ごはんパン」を、多くの人に知ってもらうことが目的。日付は、5月8日の「5」と「8」で、「ご(5)はんパ(8)ン」の語呂合わせから。また、ごはんとパンは、母のイメージから、5月第2日曜日の「母の日」に近いこともその由来の1つ。小麦粉に炊いたご飯を加えて作るパン、ごはんパンは、小麦粉等のムギ類ではなく、米粉を利用して製造されたパンである米粉パンとは異なり、材料の調達が容易であると共に、グルテン(小麦、ライ麦等の穀物の胚乳[発芽に際して、胚の成長に必要な養分を供給する働きを持つ、種子を構成する組織の1つ]から生成されるたんぱく質の一種で、特有の粘弾性を持つ)が不要でよく膨らむ。茨城県つくば市観音台に本部を置く、農林水産省所管の国立研究開発法人(日本の行政機関である省庁から独立した法人組織であって、かつ行政の一端を担い、公共の見地から事務や国家の事業を実施し、国民の生活の安定と社会、及び経済の健全な発展に役立つものとされる独立行政法人の内、主に研究開発を行なう法人)、独立行政法人農業・食品産業技術総合研究機構(農研機構)でも試験を実施しており、2017(平成29)年には、「グルテン不使用の100%米粉パンの製造技術を開発しました」と発表した。