5月8日 記念日 その2 | スズメの北摂三島情報局

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2011/08/02 リニューアル
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柴犬ハルがお伝えします

松の日。
社団法人日本の松の緑を守る会が1989(平成元)年に制定。社団法人日本の松の緑を守る会は、日本の代表的な樹木である松を、いつまでも大切に保護してゆくことを目的として設立され、1981(昭和56)年5月8日、初めて全国大会を奈良市で開催した。但し、2003(平成15)年に、社団法人日本の松の緑を守る会は解散している。松が属するマツ科は、北半球の温帯地方を中心に、11属230種から250種があり、針葉樹の半分以上の種が含まれる。カラマツ属とイヌカラマツ属が落葉樹である他は常緑樹で、殆どが大高木であり、樹高100m近くに達するものもある。温帯から冷帯へかけての森林を構成する重要な樹種が多い。暖帯に産するものもあり、そこでは特に、海岸や岩場に出るものが多い。葉は針状、花は雌雄が別に、それぞれ鱗片様の胞子葉が主軸に密に螺旋状に配置したもので、雌花はいわゆる松毬(松かさ、まつぼっくり)になる。風格のある大木になる種も多く、名勝地を演出する樹種にもなっている。森林資源(木材)として重要であり、庭木・公園樹・寺社の植栽樹・盆栽等にも利用されている。葉の更新が毎年でないため、大気汚染に弱く、天然記念物等の古木が枯れるケースが増えている。他方、松の場合、気孔に煤煙が残り易いことから、環境調査の対象に利用される例もある。松の名の由来は、「(神を)待つ」、「(神を)祀る」や「(緑を)保つ」が転じて溺たものである、等諸説ある。種類にもよるが、他の樹木が生えないような、岩や砂だらけの荒地でもよく育つ。霧に包まれた険しい岩山に生える松は、仙人(俗界を離れて山中に住み、不老不死で、飛翔できる等の神通力をもつと言われる人)の住む世界(仙境)のような世界を演出し、特に、中国の黄山(中国東部にある景勝地)や華山(中国中部にある景勝地)の光景は見事である。海岸地帯においても、時に優先種となり、白い砂と青々とした松の樹冠の対比の美しさは、「白砂青松」等と呼ばれる。これは、特に日本で親しまれており、松島(宮城県の松島湾内外にある大小260余りの諸島)、天橋立(京都府宮津市の宮津湾と内海の阿蘇海を南北に隔てる砂州)、桂浜(高知市浦戸に位置する太平洋に臨む海岸)、虹ノ松原(佐賀県唐津市の唐津湾沿岸に広がる松原)等が有名である。街路樹としても用いられ、並木道を作出すこともある。厳しい環境でも育つために、砂漠や荒地の緑化用として使われる種もある。庭木や庭園樹等としても、世界的に親しまれている。松は種類が多く、葉が垂れる種、樹皮の色や割れ方が特徴的な種等が、自然に揃っている。さらに、葉に模様が入る改良品種等も植えられる。日本庭園の松は、害虫駆除のためのこも巻き(江戸時代から大名庭園で行なわれてきたとされる害虫駆除法で、マツカレハの幼虫[マツケムシ]を除去する方法の1つ)、さらに積雪地では、雪の重みによる折損防止のための雪吊(冬季、雪が付着することで、樹木の枝が折れないように縄で枝を保持することされた姿)を秋から春にかけて見せることが多い。鉢に植えて、盆栽(陶磁鉢、その他の器物に植え、育てた草木を、山水の趣に見立てられるように、樹姿や配置を考慮して育てるもので、草木が、自然の景観から受ける豪壮、佳麗)、繊細等の感興を表現する)として楽しむにも人気の樹種である。松は、木造建築等にも用いられるが、一般に、スギやヒノキと比べて耐腐朽性に劣るとされており、使いどころを選ぶ。一般に、二葉松は建材として柱や梁に用い、より軟らかい五葉松類の材は、水道用木管、木型、曲物、塗物の下地等、柱と比べて高度な加工が必要なものに用いられるという。樹脂が多く、心材色の濃いものは肥松(こえまつ)と呼ばれて珍重され、羽目板や床の間等、直接目に触れる箇所に使われるという。また、かつては鉄道の枕木としても使われていた。日本の場合、防腐処理をしない場合の寿命は3年から5年とされ、耐朽性のあるクリ(7年から9年)等と比べると、半分程度の寿命しかない。木材輸入の自由化、スギ林の放棄、防腐・加工技術の進展等で、外国からの輸入は増えている。他の木材と比べ、可燃性の樹脂を多く含み、マッチ1本で着火できるため、以前は焚き付けに用いられた。分離した樹脂である松脂も、よく燃える燃料として使用された。第二次世界大戦中の日本では、掘出した根から松脂を採取、そこから松根油を採取し、航空機の燃料に用いようとしたことがある。他の木材と比較して、単位重量当りの燃焼熱量が高いことから、陶磁器を焼上げる登り窯や金属加工の鍛冶用の炭として珍重される。特に、マツ材を急激に炭化させた松炭は、熱量が多く鍛冶用の炭として適する。「たいまつ」(光源や照明として使うために、手で持てるようにした火の付いた木切れ等)が漢字で「松明」と書くこともあるように、明かりとしても重要であった。また、松を燃やした際に出る煤を集めて固めると、墨を作ることができ、これは松煙墨と呼ばれる。松林に生えるキノコは多く、中には食用になる種もある。キノコの中には、松の根とキノコの菌糸が結び付き、松と栄養のやり取りを行なう種もあり、これらのキノコを食べることは、間接的に松を食べているとも言える。日本では、その名にも松が入るマツタケ(松茸)やショウロ(松露)といった種が、特に有名である。腐植(土壌中に集積した動植物の遺骸が、腐敗分解して生じた物質)の少ない、比較的乾燥した土壌を好み、秋にアカマツの単相林の他、針葉樹が優占種となっている混合林の地上に生えるマツタケ(松茸)は、独特の強い香りを持ち、日本においては食用キノコの最高級品に位置付けられている。マツタケ(松茸)を採るのは難しい。通常のキノコのように、地表に顔を出して傘が開き切ってしまえば、香りも味も落ちる。現在のところ人工栽培することができず、自然に発生したものを収穫するしかない。過去には日本でも多く取れ、庶民の秋の味覚として親しまれた。「松茸列車」と呼ばれる、国産松茸を満載した貨物列車が、毎日東海道本線を走った程である。しかし、松の葉や枝を燃料や肥料として利用しなくなり、マツ林の林床環境が富栄養化したことと、マツクイムシ(松を枯らす原因となる「線虫類」を運ぶ虫)により、松枯れが多発したことで、マツタケ(松茸)の収穫量は激減した。そのため、現在では高価な食材の代表格となっている。東アジア圏では、冬でも青々とした葉を付ける松は不老長寿の象徴とされ、同じく冬でも青い竹、冬に花を咲かせる梅と合わせて、中国では「歳寒三友」、日本では「松竹梅」と呼ばれ、おめでたい樹とされる。また、魔除けや神が降りてくる樹としても珍重され、正月に家の門に飾る門松には、神を出迎えるという意味があるという。能舞台には、背景として必ず描かれており(松羽目)、歌舞伎でも能、狂言から取材した演目の多くでこれを使い、それらを「松羽目物」という等、日本の文化を象徴する樹木ともなっている。松に係わる伝説も多く、羽衣伝説(天降った天女が、水浴中に羽衣を盗まれ、止むを得ず羽衣を隠した男の妻となり子をもうけるが、やがて羽衣を見付け、再び天に帰る、といった類の伝説)等、様々ある。白砂青松の景色を描いた典型像を「住吉模様」といい、現在の大阪市住吉区住吉にある、航海の神・港の神として祀られた神社、住吉大社の社前の景色(現在は市中であるが、かつては海に面していた)を描いたとされる。住吉大社近くの大阪市住之江区安立(あんりゅう)には、第40代天皇、天武天皇の子、長皇子が、日本に現存する最古の和歌集『万葉集』に風光明媚を歌った霰松原の跡地がある。