5月8日 記念日 その1 | スズメの北摂三島情報局

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2011/08/02 リニューアル
2019/07/14 アメブロ移動
柴犬ハルがお伝えします

西暦(グレゴリオ暦)AD2024年 令和6年 平成36年  
昭和99年 大正113年 明治157年 皇紀2684年 干支 甲辰(きのえ たつ)
第2水曜日 旧暦  4月 1日、仏滅(壬申)、月齢 29.4 
グレゴリオ暦で年始から129日目、年末まであと237日。
誕生花 シャクナゲ(石楠花)・スイレン(黄)。

二十四節気・雑節等
新月。
朔。朔とは、月と太陽の視黄経(天球上における太陽の見掛けの通り道[大円])が等しくなること、また、その時刻のことである。現代的な定義での新月と同義である。地球から見て月と太陽が同じ方向となり、月から反射した太陽光が地球に殆ど届かないことと、強い太陽光の影響とで地上からは月が見にくい。黄道と白道が極めて近いか重なる地点(月の交点)で朔となった場合に食である日食が起こる。朔の瞬間を含む日を朔日という。陰暦(太陰太陽暦を含む太陰暦)では、朔日を月の始まる日「1日」とする。月の始まりは「月立ち(つきたち)」が転じて「ついたち」と言うため、朔日は「ついたち」と訓読みし、「朔」だけでも「ついたち」と読む。新月は、本来は朔の後に初めて見える月のことである。陰暦二日までは月は殆ど見えないので、陰暦三日頃の月(三日月)が新月となる。

世界赤十字デー(World Red Cross Day)。
1948(昭和23)年、スウェーデンの首都ストックホルムで開催された、第20回赤十字社連盟理事会で制定された日で、スイスの実業家で赤十字社の創始者、アンリ・デュナンの誕生日に由来する。1828(文政11)年5月8日、スイス西部のジュネーヴに生まれたアンリ・デュナンは、1849(嘉永2)年に銀行員となり、銀行員として熱心に仕事をこなす傍ら、キリスト教活動にも尽力し、西ヨーロッパ諸国の若い福音運動家達と交流を図るようになっていった。当時、イギリスの首都ロンドンの生地屋で働いていたジョージ・ウィリアムズにより、ロンドンに於いて、キリスト教主義に立ち、教育・スポーツ・福祉・文化等の分野の事業を展開する非営利公益団体、キリスト教青年会(YMCA)が創設されていた。青年キリスト教徒達の合同集会等を開催していたアンリ・デュナンは、キリスト教青年会(YMCA)を「各国のキリスト教団体が連携を図れるような国際的な組織にすること」を提唱し、1852(嘉永5)年には、アンリ・デュナンによって「ジュネーブキリスト教青年会(YMCA)」が設立された。その翌1853(嘉永6)年、勤務先の銀行からフランスの植民地であるアルジェリア(北アフリカに位置する国で、地中海を隔てて北にフランスが存在する)への出張を命じられる。そこで差別と迫害と貧困に苦しむ現地の人々に衝撃を受けた。1854(嘉永7)年に銀行を退職したアンリ・デュナンは、1858(安政5)年、アルジェリアで現地の人々の生活を助けるための農場と製粉会社の事業を始めた。しかし、水不足問題で事業が上手く行かず借金が嵩むようになる。一方、1855(安政2)年には、フランスの首都パリで「YMCA世界同盟」が結成されていた。1859(安政6)年になり、事業の支援(水利権の獲得)の請願のため、イタリア統一戦争に介入してオーストリア帝国(中部ヨーロッパに位置する現在のオーストリア)と戦っていた、フランス帝国第二帝政皇帝ナポレオン3世に会いに行き、北イタリアでソルフェリーノの戦いに遭遇した。ナポレオン3世率いるフランス帝国軍とサルデーニャ王国(近代イタリア王国の前身)軍の連合軍が、オーストリア帝国軍と戦い、フランス・サルデーニャ連合軍が勝利したこの戦いは、両軍合わせて20万を超える軍隊が衝突し、4万名近くの死傷者が出る激戦であった。アンリ・デュナンは、戦場に放置された死傷者の姿を見て、その救援活動をしている地元の女性達の群れに入り、自らも救援活動に参加し、1週間滞在した。何故、敵味方分け隔てなく救済するのかと尋ねられ、「人類はみな兄弟」と答えたのは有名な話である。1862(文久2)年に、救援活動の体験を書いた著書「ソルフェリーノの思い出」を出版したが、これが戦場において、敵味方の区別なく負傷者の救護に当ることを目的とする赤十字の創設の契機となった。1863(文久3)年、ジュネーヴで「国際負傷軍人救護常置委員会」(通称5人委員会)が結成され、アンリ・デュナンはその委員に選出され、国際会議の召集のために奔走した。そして遂に、16ヶ国が参加した最初の国際会議がスイスのジュネーブで開催され、赤十字規約10ヶ条を採決することに成功する。各国に戦時救護団体が組織され、国際組織赤十字社「国際赤十字(IRC)」の誕生に発展した。1864(元治元)年に最初の「傷病者の状態改善に関する第1回赤十字条約(戦地軍隊における傷病者の状態の改善に関する条約やジュネーブ条約、赤十字条約と呼ばれる、陸戦に適用される、戦時国際法[戦争状態においても、あらゆる軍事組織が遵守するべき義務を明文化した国際法]としての傷病者、及び捕虜の待遇改善のための国際条約)」が採択された。現在では、その後ジュネーヴで数次に亘り締結された諸条約も含めて「ジュネーヴ条約」と呼んでいる。「国際赤十字(IRC)」には、日本も1886(明治19)年に加盟した。赤十字社とは、戦争や天災時における傷病者救護活動を中心とした人道支援団体で、世界各国に存在し、それらは国際的な協力関係を持っている。国によっては赤新月社、紅十字会を名乗る。多くの国では、識別マークはアンリ・デュナンの母国スイスの国旗の色を反転した、白地に赤い十字(赤十字)を採用している。国際赤十字・赤新月運動(「赤十字運動」)は、赤十字国際委員会(ICRC)、国際赤十字赤新月社連盟(IFRC)、各国の赤十字(赤新月)社の3組織で構成されている。各組織は財政・政策の面で独立しており、赤十字国際委員会(ICRC)は紛争、国際赤十字赤新月社連盟(IFRC)は自然災害、赤十字・赤新月社は主に国内で活動を展開し、それぞれの基本的な任務は異なっている。いわゆる「国際赤十字(IRC)」はこの国際赤十字・赤新月運動を指す。なお、5月1日が、国際赤十字の精神を発現する団体として創設された博愛社の設立請願の日として、「日本赤十字社創立記念日」となっている。 
ヨーロッパ戦勝記念日、VEデー(Victory in Europe Day, V-E Day or VE Day)。
英語では、VEデー(Victory in Europe Day, V-E Day or VE Day)とも呼ばれる、第二次世界大戦に於いて、枢軸国(ドイツ、イタリア、日本等)と敵対した国家連合、連合国がドイツを降伏させたとして、ヨーロッパでの勝利を記念する日。1945(昭和20)年5月7日、ドイツの降伏文書が調印されたが、翌5月8日になって、正式な降伏文書調印が成立した。但し、ヨーロッパで完全に戦闘が終結したのは、独ソ戦最後の戦いであるプラハの戦いが終結した5月11日のことであった。1945(昭和20)年5月8日には、各地で大規模な祝典が開催された。特に、イギリスの首都ロンドンでは盛大で、約100万以上の群集が、カーニバルのような雰囲気の中で第二次世界大戦ヨーロッパ戦線の終わりを祝った。連合国軍は、ドイツが降伏した後も日本との戦争を続けたが、1945(昭和20)年8月14日、日本政府はポツダム宣言(アメリカ合衆国大統領、イギリス首相、中華民国主席の名において大日本帝国[日本]に対して発された、「全日本軍の無条件降伏」等を求めた全13ヶ条から成る宣言)を受諾し、翌8月15日の正午、第124代天皇、昭和天皇による玉音(天皇の肉声)放送において、日本が無条件降伏したことが国民に伝えられた。そして、1945(昭和20)年9月2日に、日本政府は日本の降伏文書に調印し、第二次世界大戦は終結した。日本では一般的に、ポツダム宣言受諾を国民へ知らせた玉音放送が行なわれた8月15日が「終戦の日」とされている。一方、連合国では、日本政府が降伏文書に調印した9月2日が「対日戦勝記念日」、又は「VJデー(Victory over Japan Day)」と呼ばれている。
第二次世界大戦中に命を失った全ての人に追悼を捧げる日
(Time of Remembrance and Reconciliation for Those Who Lost Their Lives during the Second World War )。
2004(平成16)年11月22日の国際連合総会決議59/26によって指定された国際デー。5月8日と5月9日の何れか、又は両日に、第二次世界大戦で命を失った人々全てに追悼を捧げるよう、国際連合加盟国、国際連合諸機関、非政府組織(NGO)、及び全ての人に対し要請している。