5月3日 記念日 その3 | スズメの北摂三島情報局

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2011/08/02 リニューアル
2019/07/14 アメブロ移動
柴犬ハルがお伝えします

世界報道自由の日(World Press Freedom Day) 。
1991(平成3)年の国際連合教育科学文化機関(UNESCO、ユネスコ)総会決議に基づき、1993(平成5)年12月20日の国際連合総会で制定されたもので、国際デーの1つとなっている。1991(平成3)年5月3日、国際連合教育科学文化機関(UNESCO、ユネスコ)と国際連合によって、アフリカ南西部に位置するナミビアの首都ウィントフークで開かれていた「アフリカの独立、多元主義的な報道の促進に関するセミナー」で、「アフリカの独立、多元主義的な報道の促進に関するウィントフーク宣言」が採択された。民主主義にとって、表現の自由は必要不可欠なものであり、表現の自由の侵害に対して抗議行動を起こすよう、世界に呼掛ける日。この日には、ジャーナリズムや表現の自由の分野で世界的に活躍する人を表彰する「ギジェルモ・カノ世界報道自由賞」の授与式典が、フランスの首都パリにある国際連合教育科学文化機関(UNESCO、ユネスコ)本部で行なわれる。他にも、パリが本部で、日本等、世界100ヶ国の76社の国立新聞協会、12社の新聞会社、そして、10社の印刷協会、及び新聞委員会からなる国際的非営利、非政府組織(NGO)の世界新聞協会(WAN-IFRA)が、アメリカ合衆国東部、バージニア州アーリントン郡(アメリカ合衆国の首都ワシントンD.C.から、ポトマック川を渡ってすぐの地となる)の公園にある「ジャーナリスト記念碑」で、この日前後に式典を開催している。報道の自由とは、事実を告げ知らせる行為の自由である。日本では、報道機関が様々な表現媒体を用いて、国民の知る権利に奉仕する存在である。報道の自由に関して、直接憲法上での言及はないものの、報道機関の活動は、日本国憲法第21条の「表現の自由」より派生した、国民の「知る権利」を充足させるのに重要な役割を果たすことから、事実の報道の自由は、表現の自由を規定した憲法第21条の保障の下にあるとされる。なお、新聞とテレビとでは、法律における扱いはかなり異なっている。国民主権原理にたつ民主主義政治にとっては、自由な討論が不可欠であり、自由な討論のためには、国民が争点を判断する際に、必要な意見や情報に自由に接し得ることを当然の前提とする。事実を伝達することが、報道の基本的意味であるが、受け手側の意思形成のために素材を提供することだけでなく、報道すべき事実の認識や選択に、送り手側の意思が働いていることも認められるから、報道の自由は、言論の自由の内容をなすものと理解されている。取材の自由を無制限に制約することができるとすれば、報道の自由の保障は有名無実のものとなる。従って、報道の自由は、そのための取材の自由をも要請する。テレビやラジオ等、電波メディアによる情報提供の自由を放送の自由と呼ぶ。ただ、報道の自由の保障は、新聞と放送とでは異なる扱いを受けている。 放送は、ジャーナリズム機能を持ったマスメディアである。ニュースやドキュメンタリーに限らず、他の番組についても、程度の差こそあれ、ジャーナリズム性を帯びていると言える。加えて、放送には、聴覚性、視覚性、同時性、臨場性があり、他の活字メディアに比べ、受け手に与えるインパクトが遥かに強く、社会的影響力が大きい。活字メディアである新聞や雑誌は、誰でも自由に刊行できるが、放送事業は、電波を使わなければ成立しない電波メディアである。電波は、天然資源と同様に有限・希少な資源で、即ち、電波は「国民の共有財産」であり、放送局は、国民の共有財産をその負託を受けて利用しているということになる。「社会的影響力の大きさ」「電波利用」の2つの特徴から「公共性」が極めて高いということになり、放送には、「電波法(昭和25年5月2日法律第131号)」や「放送法(昭和25年5月2日法律第132号)」等によって、さまざまな規制が課されている。
リカちゃんの誕生日。
大手玩具メーカー、タカラ(現在の大手玩具メーカー、タカラトミーの前身の1つ)から発売された人形「リカちゃん」の誕生日。「リカちゃん」は、漫画家、牧美也子の漫画キャラクターを元に作られ、1967(昭和42)年7月に発売された。5月3日生まれの小学5年生で、父親は海外へ単身赴任中、母親はファッションデザイナーという設定になっている。「リカちゃん」という名前は、日本人でも外国人でも通用する名前をということで「リカ」となった。親しみ易い仕様が日本の子どもに受入れられ、事実上、日本の着せ替え人形の代名詞となっている。元々、「ダッコちゃん」(ビニール製の空気で膨らませる人形の愛称で、真っ黒な人型をして両手足が輪状になっており、木にしがみ付くコアラのようなポーズを取っている)等のビニール玩具のメーカーであったタカラ(旧:宝ビニール工業所)は、そのビニール加工のノウハウを生かして、着せ替え人形市場への参入を計画していた。当初は、世界最大規模の玩具メーカーであるアメリカのマテル社の「バービー」等、他社の着せ替え人形用の、子どもが持運びできるドールハウスを企画していたが、既存の人形のサイズに合わせると、ハウス自体のサイズが相当大きくなることが予想された。これが、日本の住宅事情や子どもの持運びに適さない、として根本的に企画が見直され、日本の事情に見合った大きさのドールハウスと、それに合ったサイズの独自の着せ替え人形として、1967(昭和42)年に企画・開発されたものが「リカちゃん」である。企画に当たり、日本の少女達がより身近に感じられるような、ファッションドールというテーマが掲げられ、小学生という設定と、小さな女の子の手の平の中に収まる身長21cmという大きさと、当時流行していた少女漫画のヒロインのような顔立ちが採用された。漫画家の牧美也子が、発売当時の広告のイラストを担当し、広告には「牧先生監修」という表記がされていた。「リカちゃん」という名前は、大手総合出版社の集英社が発行する月刊少女漫画雑誌『りぼん』の、1967(昭和42)年7月号誌上の一般公募で決定されたことになっているが、実際には発表号をずらして、読者ではなくタカラ側が命名した。親しみ易い仕様が日本の子どもに受入れられたことと、マテル社が生産拠点を他国に移して、日本での「バービー」の販売に力を入れなくなった、という市場の追い風を受け、発売から2年後の1969(昭和44)年には、日本での売上げで「リカちゃん」が「バービー」を上回った。その年の年末商戦でも他の人形を圧倒し、それ以降、事実上日本の着せ替え人形の女王として君臨し始める。その後、何度か売上が低迷した時期もあった。1993(平成5)年から1995(平成7)年までは大手玩具メーカー、バンダイの「セーラームーン人形」の売上が、単年度で「リカちゃん」の売上を上回るものの、1996(平成8)年には再び着せ替え人形売上のトップに返り咲く。現在の日本でも、「着せ替え人形のリカちゃん」の認知は極めて高い。余り人形に詳しくない人が、他社の着せ替え人形も全て「リカちゃん」と一括りにしてしまうこともある程で、日本における着せ替え人形の代名詞と化している。その高い認知から、旧タカラ時代から現在のタカラトミーに至るまで、「リカちゃん」はメーカーのコーポレートアイデンティティ(企業文化を構築し、特性や独自性を統一されたイメージやデザイン等を分かり易いメッセージで発信し、社会と共有することで存在価値を高めていく企業戦略の1つ)的キャラクターに位置付けられ、広報・宣伝の顔の1つとなっている。また、可愛らしく親しみ易く、家庭的なキャラクターイメージから、多くの企業や公共機関のCMキャラクターとして採用されている。苗字の「香山」は、女優の香山美子と、歌手・俳優・タレントの加山雄三に由来する。「香山リカ(商標の称呼は、カヤマリカチャン、カヤマリカ、コーヤマリカ)」という設定上の本名を、タカラが1999(平成11)年3月9日に商標出願した際、「同名の精神科医、香山リカの承諾を得られていない」という理由で一度拒絶されたが、タカラが不服を申立てた結果、精神科医香山リカの筆名の方が「リカちゃん」に因んでいることが認められ、2000(平成12)年9月21日に出願が受付けられた。