5月3日 記念日 その2 | スズメの北摂三島情報局

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2011/08/02 リニューアル
2019/07/14 アメブロ移動
柴犬ハルがお伝えします

憲法記念日(続き)。
他方、日本国憲法には、自由主義・民主主義・平和主義に一見対立するとも見られる考え方も、その内実として含む。自由主義に対しては「公共の福祉」が、民主主義に対しては間接民主制が、平和主義に対しては自衛権の行使が各々対峙する。しかし、これらは、両者を伴なって初めて、安定的に機能する仕組みであると言える。憲法における自由主義、或いは人権保障とは、国家から侵害を受けないことを意味する。そして、人権が不可侵のものとして保障されている以上、国家は人権を制限できない(国会は、人権を制限する法律を制定できず、行政権は、人権を制限する行為ができない)のが原則である。しかしそれでは、例えば、通貨偽造を犯した者を処罰することもできず、他人の名誉を毀損する言論を制限することもできず、およそ近代国家は成立ち得ない。そこで、一定の場合には人権を制限できる(国会は人権を制限する法律を制定できる)とすべき、との価値判断がなされる。平和主義は、自由主義と民主主義という2つの重要な理念と共に、日本国憲法の理念を構成する。平和主義は、平和に高い価値を置き、その維持と擁護に最大の努力を払うことをいう。日本国憲法は第9条1項で、「正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する」と謳っている。さらに第9条2項では、1項の目的を達するために「陸海空軍その他の戦力」を保持しないとし、「国の交戦権」を認めないとしている。憲法第9条の解釈について学説には、「国際紛争を解決する手段」ではない戦争というものは有り得ず、憲法第9条第1項で全ての戦争が放棄されていると解釈する立場(峻別不能説)、憲法第9条1項の規定は「国際紛争を解決する手段」としての戦争放棄を定めたもので、自衛戦争までは放棄されていないが、憲法第9条2項で戦力の不保持と交戦権の否認が定められた結果として、全ての戦争が放棄されたと解釈する立場(遂行不能説)、憲法第9条1項の規定は「国際紛争を解決する手段」としての戦争放棄を定めたものであり、自衛戦争までは放棄されておらず、憲法第9条2項においても、自衛戦争、及び自衛のための戦力は放棄されていないとする立場(限定放棄説)がある。日本国憲法は、権力分立制(三権分立制)を採る。権力分立とは、国家の諸作用を性質に応じて区別し、それを異なる機関に分離して、相互に抑制均衡を保つことで権力の一極集中と恣意的な行使を防止するものである。権力分立制は、自由主義をその背後の原理とする。通常、立法権・行政権・司法権の権力に区別する。日本国憲法では、立法権は国会(第41条)に、行政権は内閣(第65条)に、司法権は裁判所(第76条)に配される。日本国憲法が1947(昭和22)年5月3日施行されたものの、日本が独立を回復する1952(昭和27)年4月28日まで、占領下であったことから、完全な効力を有していなかった。最高裁判所は、1953(昭和28)年4月8日の大法廷判決において、日本国の統治の権限は、一般には憲法によって行なわれているが、連合国最高司令官(SCAP)が降伏条項を実施するためには適当と認める措置を取る関係においては、その権力によって制限を受ける法律状態に置かれているとして、連合国司令官(SCAP)は、日本国憲法に係わることなく法律上全く自由に自ら適当な措置を取り、日本官庁の職員に対し指令を発して、これを遵守実施することができるようにあった、と判断している。そして、いわゆるポツダム命令(連合軍最高司令官[SCAP]の要求を実施するために発せられた命令)の根拠となった「『ポツダム』宣言ノ受諾ニ伴ヒ発スル命令ニ関スル件(ポツダム緊急勅令、昭和20年9月20日勅令第542号)」について、憲法の外で効力を有したものと判断している。その意味で、日本国憲法が完全に効力を有するようになったのは、1952(昭和27)年4月28日の「日本国との平和条約(サンフランシスコ平和条約、昭和27年条約第5号)」の発効により、日本に対する占領が終了した時、ということができる。さらに、主権回復時にアメリカ軍の占領下にあった地域(即ち、奄美群島、小笠原諸島、沖縄)について、憲法の効力が完全に及ぶまではさらに時間を要し、その返還の時、即ち、奄美(1953[昭和28]年12月25日)、小笠原(1968[昭和43]年6月26日)、沖縄(1972[昭和47]年5月15日)となった。そして、日本政府が実効支配していない、千島列島(ロシア東部のカムチャツカ半島と北海道との間に連なる島嶼群)南部に位置する、歯舞群島、色丹島、国後島、択捉島、及び内閣総理大臣が定めるその他の北方の地域である北方領土、及び、日本海の南西部に位置する無主地、竹島については、憲法の効力は未だ完全に及んではいない。国家緊急権とは、戦争や災害等、国家の平和と独立を脅かす緊急事態に際して、政府が平常の統治秩序では対応できないと判断した際に、憲法秩序を一時停止し、一部の機関に大幅な権限を与えたり、人権保護規定を停止する等の非常措置を採ることによって、秩序の回復を図る権限のことをいい、当該権限の根拠となる法令の規定を緊急事態条項という。緊急権とは、立憲主義、議会制民主主義、文民統制を基調とする国家において、国家の平和と独立を脅かす急迫不正の事態、又は予測される事態に際して、一刻も早い事態対処が必要と判断される場合において、憲法の一部を停止し、「超法規的措置」によってこれらの危機を防除しようとする権能である。多くの国家の憲法、特に、大陸法(英米法[コモン・ロー]からみた場合の西ヨーロッパ大陸で発展・採用された法系)を採る国の殆どの憲法には緊急権の規定があり、存在していない憲法は少数派である。国家緊急権は、立憲主義国家の下では、立憲主義体制を一時停止して、一定の権力集中を伴なうことを通例とする。国家緊急権は、立憲主義を守るために立憲主義を破る、という性格を有するもので、実定法化には難しい問題も伴なう。国家緊急権は、抵抗権と同じく立憲主義の擁護を目的に唱えられるものであるが、抵抗権が、国家権力による立憲主義への攻撃に対する国民の権利であることに対し、国家緊急権は、立憲主義の防御のために国家権力側が発動する権利であり、対照的な構造をなす。大日本帝国憲法においては、緊急勅令(帝国議会閉会中で「緊急の必要がある」場合に、法律に代わるものとして制定された勅令)制定権等、天皇が国家緊急権を行使する規定が制定されていた。緊急勅令の実例としては、東京周辺が騒乱状態に陥った際、緊急勅令に基づく、いわゆる「行政戒厳」(緊急勅令による騒乱鎮圧を目的とした措置)が宣告された例が3例ある。日本国憲法においては、国家緊急権に関する規定は存在しない、とする見方が多数的である。憲法制定段階においては、日本側が衆議院解散時に、内閣が緊急財政措置を行なえる、とする規定を提案した。しかし、連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)は、英米法(コモン・ロー)の観点からこれに反対し、内閣の緊急権によってこれに対応するべき、とした。その後の協議によって、衆議院解散時には、参議院において緊急会を招集する、という日本側の意見が採用された。このため、日本国憲法が国家緊急権を認めていないとする否定説、緊急権を容認しているという容認説の2つの解釈があり、また、否定説は、緊急権規定がないのは憲法の欠陥、とみる欠缺説、緊急権規定の不在を積極的に評価する否認説の2つに更に大別され、結論は出ていない。