4月30日 できごと その2 | スズメの北摂三島情報局

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2011/08/02 リニューアル
2019/07/14 アメブロ移動
柴犬ハルがお伝えします

1838年 - 中央アメリカ中部に位置するニカラグアが、アメリカ合衆国をモデルとして建国された中米連邦(中央アメリカ連邦共和国)からの分離を宣言。 
1863年 - メキシコ出兵・カマロンの戦い: 物資輸送の護衛任務を担当していたフランス外人部隊を、メキシコ軍が攻撃する。 
1867年 - 江戸幕府により、オランダに発注されていた軍艦『開陽丸』が、横浜に到着する。『開陽丸』は木造シップ型帆船(3本以上のマストを持ち、その全てに横帆が張られた帆船)で補助蒸気機関を装備し、当時最新鋭のドイツ製クルップ式大砲を含む、26門の備砲を誇る最新鋭の主力艦として、外国勢力に対する抑止力となることが期待されたが、徳川軍艦として僅か1年数ヶ月の1868年11月15日、蝦夷の江差(現在の北海道檜山郡江差町)沖で暴風雨に遭い、座礁・沈没する。  
1888年 - 「枢密院官制及枢密院事務規程(明治21年4月30日勅令第22号)」に基づいて枢密院が創設され、初代内閣総理大臣であった伊藤博文が、内閣総理大臣を辞任して、枢密院議長に就任する。枢密院は、枢密顧問(顧問官)により組織される、国政、及び皇室に関する天皇の最高諮問で、憲法問題も扱ったため、「憲法の番人」とも呼ばれたが、1947年に廃止される。 
1888年 - 農商務省(明治政府の殖産興業政策の一翼を担った国家機関で、所管分野は、主に農業・林業・水産業・商工業といった諸産業である)の長、農商務大臣を務めていた黒田清隆が、伊藤博文の後を受けて第2代内閣総理大臣に就任し、黒田内閣が発足する。
1898年 - 北海道亀田支庁亀田郡上湯川村(現在の北海道函館市郊外)に、フランスから派遣された8名の修道女により、日本初の女子修道院である『天使の聖母トラピスチヌ修道院(トラピスチヌ修道院)』が設立される。男子禁制で、現在では土産物として売られている、マダレナ(ケーキ)やクッキーが有名となっている。 
1900年 - アメリカ合衆国でハワイ基本法が施行され、ハワイ準州政府を設置する。太平洋中央部の洋上に位置するハワイがアメリカ合衆国領へ編入され、表向きにはアメリカ合衆国の領土として扱われることはなかったが、徐々に名実共に、アメリカ合衆国領へと変貌し、1959年8月21日には、完全なアメリカ合衆国領としてハワイ州が成立し、現在では、アメリカ合衆国50番目の州として認知されている。 
1900年 - 兵庫県神戸市で行なわれた観艦式で、日本海軍での近代的戦艦の第1号となった戦艦『富士』乗組の軍楽隊により、初めて『軍艦行進曲(軍艦マーチ)』が演奏される。『軍艦行進曲(軍艦マーチ)』は、第二次世界大戦前に盛んに演奏され、1941年12月8日の第二次世界大戦対米英戦開戦時にも、繰返しラジオから流されている。海軍省(日本帝国海軍の軍政[軍事組織を管理運営するための行政活動]機関で、1945年11月30日に廃止された)の制定行進曲であり、海上自衛隊でも、海上幕僚監部通達により、儀礼曲の一として、『軍艦行進曲』の名称で制定されており、進水式や出港式典等で奏楽されている他、観閲行進曲として奏楽されている。日本を代表する行進曲の1つであり、第二次世界大戦後はパチンコ店等でも流される等、『軍艦マーチ』として広く知られる曲となっている。 
1900年 - イリノイ・セントラル鉄道(アメリカ合衆国中西部から南部に路線を持っていた鉄道会社で、1998年にカナディアン・ナショナル鉄道によって買収される)の特急列車「キャノンボール・エクスプレス号」が、カナダ東部、オンタリオ州にあるヴォーン駅で、停車中の貨物列車に追突。最後までブレーキレバーを握っていた運転士、ケーシー・ジョーンズが殉職する。この事故は全米に大きく報道され、大きな感動を呼ぶ。ケイシー・ジョーンズを讃える多くの歌や物語が作られ、その名をアメリカ国民に深く浸透させている。 
1904年 - 日露戦争: 鴨緑江会戦が始まる。 
1908年 - 日清戦争時の連合艦隊旗艦(初代連合艦隊旗艦)であった二等巡洋艦『松島』が、寄港地の馬公(台湾海峡[中国大陸と台湾を隔てる海峡]に浮かぶ澎湖諸島にある、旧日本海軍が台湾防衛上の要地としていた港)で爆沈。火薬庫が突然爆発し、殆ど瞬時に沈没したことから、乗組員370名中、207名の死者を出す。 
1914年 - 大阪電気軌道(近畿日本鉄道[近鉄]の直系の前身)上本町駅 - 奈良駅間(現:近畿日本鉄道[近鉄]奈良線)が開業。生駒トンネル(全長3,388m)で生駒山地を貫く。生駒トンネルは開通当時、中央本線の笹子トンネル(4,656m)に次いで日本2番目の長さであり、また、日本初の標準軌複線トンネルでもある。その後、1964年に、南側に並行して新生駒トンネル(全長3,494m)が開通したため、このトンネルは使用されなくなる。しかし、近畿日本鉄道(近鉄)けいはんな線の生駒トンネル(全長4,737m)は、この奈良線の生駒トンネルを一部再利用する形で、1986年に開通している。 
1916年 - ドイツで、世界で初めて夏時間(サマータイム)が実施される。夏時間(サマータイム)とは、1年の内の夏を中心とした期間に、太陽の出ている時間帯を有効に利用する目的で、標準時を1時間進める制度、又は、その進められた時刻のことである。現在の主な実施国・地域では、実施期間が約7ヶ月から約8ヶ月に及ぶため、通常時間より夏時間の期間の方が長い。明るい内に仕事をし、夜の余暇時間を延長できる。緯度が高く、夏の日照時間が長い欧米諸国等で多く導入されている。 
1918年 - 伊勢型戦艦の2番艦『日向』が就役。『日向』は、第二次世界大戦対米英戦中盤、伊勢型戦艦の1番艦『伊勢』と共に、航空戦艦(戦艦としての大口径砲を装備し、かつ航空母艦、又は水上機母艦に準ずる航空機運用能力を持っている軍艦)に改造されたが、「航空戦艦」という呼称は便宜上のものであり、正式な艦籍は戦艦のままである。『日向』の艦名の由来は、宮崎県の旧国名からで、艦内神社は、宮崎神宮からの分神である。この艦名は、日本海軍ではこの艦のみで、第二次世界大戦後、海上自衛隊のひゅうが型護衛艦(海上自衛隊初の全通飛行甲板型護衛艦)1番艦『ひゅうが』に引継がれる。扶桑型戦艦は、第二次世界大戦対米英戦時、約30ktの快速を利して機動部隊に随伴した金剛型巡洋戦艦と同時期に計画され、建造された、日本初の純国産の超弩級戦艦(1906年に進水したイギリス海軍の『ドレッドノート』の規模[弩級戦艦]を超える規模の戦艦)で、当初同型艦として予定された『伊勢』と『日向』は、予算の都合上、起工が遅れたため設計を変更、改良された伊勢型戦艦となっている。『日向』は、扶桑型戦艦の欠点を改善し、主砲の位置が変更されている。第二次世界大戦対米英戦開戦時は、同型艦『伊勢』と共に第一艦隊第二戦隊にあり、その戦隊旗艦を務める。1942年5月5日、伊予灘での『日向』『伊勢』『扶桑』『山城』による演習中、第七斉射を行なった際に、第5砲塔の爆発事故を起こす。直ちに火薬庫に注水して爆沈を免れるも、死者55名、重傷者8名を出す。主力航空母艦(空母)4隻を失なったミッドウェー海戦の後、航空母艦(空母)戦力を補填すべく、日本海軍は扶桑型戦艦と伊勢型戦艦の航空母艦(空母)改装を決定するが、時間的都合から扶桑型戦艦の改装は実施されず、伊勢型戦艦も全面的な航空母艦(空母)への改装は見送られ、後部の5番、6番の主砲を撤去し、格納庫と飛行甲板を設け、航空戦艦となる。但し、通常の航空母艦(空母)の約半分以下の長さしかない飛行甲板では、艦載機の着艦はできない。飛行甲板はもっぱら、航空機整備・発艦作業用のスペースとなる。『日向』には、第二次世界大戦対米英戦後半における日本海軍の主力爆撃機、「彗星」14機と、250キロ爆弾を搭載して、急降下爆撃できる能力も持つ水上偵察機「瑞雲」8機が配属される予定で、カタパルトで射出された「彗星」は、攻撃後機体を消耗して、空きのできた他の航空母艦(空母)や、近隣の陸上基地へ着陸する、という運用が想定されていたが、実際には、運用できる艦載機が用意できず、実戦における航空戦艦の艦載機運用の実績は無い。1944年10月、フィリピン方面に進攻を開始したアメリカ軍を迎撃するための捷一号作戦に参加し、エンガノ岬沖海戦では、巧みな航空攻撃回避術と、航空戦艦に改装された際に大幅に増強された、対空火力の効果等により、アメリカ軍の攻撃を回避している。
1919年 - パリ講和会議(第一次世界大戦における連合国が、中央同盟国[連合国と戦った諸国]の講和条件等について討議した会議)で、旧ドイツ権益の中国東部の山東省と膠州湾租借地(ドイツ帝国が中国北部の山東半島南海岸に所有していた租借地)の日本への譲渡を決定。 
1927年 - アメリカ合衆国初の女性用連邦刑務所であるオルダーソン刑務所が、アメリカ合衆国東部、ウェストバージニア州オルダーソンに開所する。