4月30日 記念日 その2 | スズメの北摂三島情報局

スズメの北摂三島情報局

2011/08/02 リニューアル
2019/07/14 アメブロ移動
柴犬ハルがお伝えします

図書館記念日(続き)。
1940年代に入ると、戦時体制の強化につれて図書館は「不要不急」の施設として接収され、軍事施設や軍需工場等に転用される例や、空襲によって蔵書と共に焼かれる例等が相次いだ。そのため、第二次世界大戦が終わった頃には、全国の殆どの図書館が壊滅的な打撃を受けることとなった。更に、第二次世界大戦後も、食糧確保や戦災復興が優先され、図書館は「不要不急」として、再建が後回しにされた。日本図書館協会の運動や、連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)の働き掛けにも係わらず、「図書館令」に替わる「図書館法」の制定が、日本国憲法の公布よりも、更に3年も遅れた背景には、経済社会の実情に加えて、文部省の下で国民教化機関として活動せざるを得なかった、図書館に対する社会の批判が背景にあった。そして、新しい「図書館法」は、「改正図書館令」に対する反省の上で成立することになった。「図書館法」の目的は、「社会教育法(昭和24年6月10日法律第207号)」の精神に基き、図書館の設置及び運営に関して必要な事項を定め、その健全な発達を図り、もって国民の教育と文化の発展に寄与することである。「図書館法」は、公共図書館の行なう奉仕(サービス)を規定し、公共図書館に置かれる専門的職員である司書、司書補の資格を定める。また、地方公共団体に対しては、公立図書館の設置と運営に関する事項を定めており、公立図書館の利用料無料の原則の法的根拠になっている。法律の名称は「図書館法」であるが、全ての図書館、及び図書館類縁施設について規定している法律ではなく、図書、記録その他必要な資料を収集し、整理し、保存して、一般公衆の利用に供し、その教養、調査研究、レクリエーション等に資することを目的とする施設で、地方公共団体が設置する公共図書館と、日本赤十字社(戦争や天災時における傷病者救護活動を中心とした人道支援団体、赤十字社の日本での法人)、又は一般社団法人(公益社団法人を含む)、若しくは、一般財団法人(公益財団法人を含む)が設置する私立図書館のみを扱う。従って、国の設置する国立図書館、学校に附属する図書館、又は図書室(初等・中等教育学校に附属する学校図書館、高等教育機関に附属する大学図書館等)、企業等が設置する専門図書館等はこの法の対象外である。他に、企業や個人の設置する文庫や、財団法人や社団法人の設立ではない私立図書館類については、「図書館法」第29条で「図書館と同種の施設は、何人もこれを設置することができる」との規定がある。「図書館法」は、公共図書館の行なう奉仕(サービス)を規定し、公共図書館に置かれる専門的職員である司書、司書補の資格を定める。また、地方公共団体に対しては、公立図書館の設置と運営に関する事項を定めており、公立図書館の利用料無料の原則の法的根拠になっている。公共図書館とは、不特定多数の一般公衆の利用に供することを目的として設立、運営されている図書館のことである。最も身近な図書館として、地域の人々に読書等の情報サービスを提供し、人々が知識や情報を得たりレクリエーションを楽しめるように助けることを目的としている。公共図書館は、近代国家にとって不可欠の社会施設と見做されている。公共図書館は、世界の殆どの国、数多くの町に設置されており、多くの場合、公共の機関や組織によって運営されている。日本では、大半の公共図書館は、地方公共団体が設置主体の公立図書館である。知識の集積である図書を収めた図書館を、単なる書物の収蔵庫と見做すのではなく、学ぼうとする意欲のある公衆に公開することを行なった例は、古く古代ギリシャ、古代ローマ等、人類の歴史の比較的早い時期からみられる。古代における公共施設としての公開図書館を例外として、古い時代の多くの公開図書館は、学者や政治家等の蔵書家が私的コレクションを、篤志により一時的に公衆の利用に開放したものが殆どであった。16世紀から18世紀頃のイギリス、フランス、アメリカ等では、こうした篤志家による一般公開図書館の規模、数量、存続期間等が拡大し、貸出等の近代的な図書館サービスも行なわれるようになって、恒常的な公共図書館への道が開かれた。欧米における図書館の発展は、開国後の日本にも逸早く伝えられ、明治の初年には、各地で新聞縦覧所、集書院等の名称をもつ施設が設立されて、新聞等の情報メディアを公衆に公開する試みが行なわれた。明治期中期以降には、公衆を利用の対象とする図書館は「通俗図書館」等の名称をもって呼ばれ、その設立は主に、都道府県や市町村よりも地域の教師等の教育関係者や、教育に関心をもつ有力者によって構成された、「教育会」と呼ばれる半官半民の団体、個人の篤志家が設置母体となって推進された。明治後期以降は、図書館に関する法規や制度が整備され、大正期から昭和初期にかけては公立図書館の設立が進む。しかし、順調に発展を続けてきた日本の図書館は、第二次世界大戦による財政難、被災等により大きな打撃を受け、数多くの図書館が閉鎖や縮小を余儀なくされた。第二次世界大戦後の復興期には、自動車による移動図書館(ブックモービル)が各地の公立図書館によって運用され、図書館が身近に存在しない地域にサービスを広げるきっかけになった。また、第二次世界大戦前の図書館が国民の思想善導、教育といった統制的な性格を強く持っていったことが反省され、一般公衆に等しくサービスを行なう公共図書館の概念が、「図書館法」を通じて導入された。第二次世界大戦後の日本経済が飛躍的に成長を遂げた、1954(昭和29)年12月から1973(昭和48)年11月までの約19年間の時期である高度経済成長期を経て、公立図書館の新設が相次いだ。また、各地の公立図書館では、公民館や小学校等に併設した分館の設置が進められ、より住民に身近な地域の図書館が目指された。この結果、公共図書館は量的に充実し、現在では、全ての都道府県、多くの市町村に、公共図書館が設置されるに至っている。サービスについてみると、第二次世界大戦後の図書館は貸出サービスの拡大が顕著であり、多くの人々を読書に親しませる拠点としての役割を果たすようになった。日本の図書館は、厚生労働省によって特定建築物(興行場、百貨店、店舗、事務所、学校等の用に供される建築物で、相当程度の規模を有するもの)に指定されており、図書館施設の環境衛生等に関する義務規定がある。現代のIT(情報技術)化によるコンピュータ・データベースを利用した、新たなウェブサイトによる図書館は、「電子図書館」や「デジタルライブラリ」と呼ばれるが、電子データベースの充実した図書館や、インターネットから蔵書の検索・予約等ができるシステムが導入されている図書館も、「電子図書館」と呼ばれることがある。なお、第二次世界大戦前の1932(昭和7)年に制定された「図書館記念日」は、4月2日とされているが、この日付は、1931(昭和6)年4月2日、当時の「帝国図書館」館長が第124代天皇、昭和天皇に、「図書館の使命」という題で1時間余に亘る御進講(天皇等、貴人の前での学問の講義)を行なった日に因むといい、「図書館開設記念日」ともされる。1897(明治30)年4月27日、「帝国図書館官制(明治30年4月27日勅令第110号)」が公布され、1872(明治5)年に、日本初の官立公共図書館となる「書籍館」として創設された「東京図書館」が、「帝国図書館」と改称され、欧米の国会図書館に倣って整備拡充を図ることとなった。この「帝国図書館」が、現在の国立国会図書館の前身の1つであることから、この4月27日は、「国会図書館開館記念日」とされている。