4月29日 記念日 その2 | スズメの北摂三島情報局

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2011/08/02 リニューアル
2019/07/14 アメブロ移動
柴犬ハルがお伝えします

国際ダンスデー(International Dance Day)。 
国際連合教育科学文化機関(ユネスコ、UNESCO)の下部組織で、1973(昭和48)年に、非営利目的の非政府組織(NGO)として創設された国際ダンス・カウンシル(CID)が、1982(昭和57)年に制定した国際デー。日付は、19世紀の物語バレエ作品としてのバレエ・ダクシオン(起承転結を持つ演劇的な筋立てに沿って上演される舞踊劇)創造の先駆者に位置付けられている、フランスの舞踏家ジャン=ジョルジュ・ノヴェールの誕生日(1727[享保12]年4月29日)に由来する。ジャン=ジョルジュ・ノヴェールは、19世紀の物語バレエ作品としてのバレエ・ダクシオン創造の先駆者に位置付けられている。なお、国際ダンス・カウンシル(CID)は、世界中のダンス活動、及びダンスに関する研究の振興を目的とした公的機関である。ダンスは、伴奏に合わせて演じられる一連の動作である。ソロ、デュエット、或いは集団で演じられ、祭りや儀式の場においても行なわれる。太古から神々への礼拝、国事の祝い、歴史の伝承、言葉を用いない権力への抵抗、戦闘前の行事といった役割から、身体を動かして自己を表現し、感情的、精神的、肉体的に自らを称賛したり、労働の際に共同体の協力を得る手段としても、また、あるものは、長い年月を経て洗練された舞台芸術となっている。日本では、「dance」の訳語として舞(狭義の「ダンス」)と、踏(「ステップ」)を組合わせた「舞踏(ぶとう)」が使われた。しかし、近代日本文学の成立や演劇改良運動に大きな影響を与えた作家・評論家・翻訳家・劇作家の坪内逍遥の評論『新楽劇論』(1904[明治37]年)で「舞踊」という言葉が使われるようになり、現代ではこちらの方が一般的である。舞踊は、坪内逍遥と幕末から明治時代にかけての江戸幕府幕臣・ジャーナリスト・作家・劇作家・政治家の福地桜痴による造語で、日本の伝統的なダンスである舞(まい)と踊り(おどり)を組合わせたものである。ダンスの目的は、鑑賞を主たる目的としたものと、それ以外のものに大きく分けられる。前者は、演者とそれを鑑賞する者から成立つ、舞台芸術としてのダンス全般を指す。後者は、娯楽・社交としてのダンスや、スポーツとしてのもの等、ダンスへの参加を主たる目的としたものや、宗教・呪術行為としてのダンス等が含まれる。ダンスを演じる者を「ダンサー」と言う。また、ダンスの一連の身体の動きを決めたものを「振付け」と呼び、「振付け」を創作、又は指導する者を「振付師」と言う。ヨーロッパでは中世以降、貴族社会において舞踏会が盛んに催され、社交ダンスが文化の一部として強く根付いている。1814(文化11)年から1815(文化12)年にかけてのウィーン会議(フランス革命とナポレオン戦争終結後の、ヨーロッパの秩序再建と領土分割を目的として開催された国際会議)では、各国の利害が衝突して数ヶ月を経ても遅々として進捗しなかったことから、舞踏会に懸けて「会議は踊る、されど進まず」と評された。競技ダンスは、社交を目的とする社交ダンスとは異なり、演技における技術や芸術要素を競うもので、競技会(コンペ)において競われる。スポーツ性能が要求されるため、近年はダンススポーツとも呼ばれる。競技ダンスとの対比で、パーティーダンスと呼ぶ者もいる社交ダンスは、舞踏会場だけでなく、ダンスホール(ダンスを楽しむための場所、又は、その場所を提供する店舗をいい、ダンス教室やダンス練習場を兼ねたものもある)やナイトクラブ(ダンス・バンド演奏・ショー等を楽しむ高級飲食店)、ストリート(路上)等、屋内外様々な場所で舞踏されている。 
羊肉の日(ようにくのひ)。 
北海道札幌市中央区南1条東に事務局を置く、ジンギスカン鍋の普及のために結成された団体、ジンギスカン食普及拡大促進協議会が2004(平成16)年に制定。北海道の伝統的な食文化の1つであるジンギスカンに対する理解を深め、ジンギスカンを始めとした羊肉全体のPRが目的。日付は、4月29日の「4」と「29」を、「羊肉(よう[4]に[2]く[9])」と読む語呂合わせから。羊肉は、宗教を問わず食することができる肉としても活用範囲が広い。生後約12ヶ月以下の子羊の肉はラム、それよりも年を取った羊の肉はマトンと呼ばれる。漢方では、体を温める作用があるとされており、北海道、中国北部、東アジア北部に位置するモンゴルといった、寒さの厳しい地域で好まれている。羊の飼育そのものが近代に入るまで普及しなかった日本では、羊肉の利用も牛肉、豚肉や鶏肉に比べると少ないが、明治時代に養羊が奨励された北海道では常食となっており、近年では、北海道以外でも常食化してきている。世界では、地中海料理、アフリカ料理、中東料理、南アジア料理、そして中華料理において、大きな特徴となっている。日本では主に、ジンギスカン、しゃぶしゃぶ、カレー、ロースト、ステーキといった食べ方が好まれる。ラムはマトンよりも柔らかく、マトンはラムよりも風味豊かな味わいがある(悪く言えば、獣臭が強い)と言われる。マトンは、魚肉ソーセージのコク出し用の加工用原料としても利用されている。独特の臭いがあるため、苦手とする人もいる。ジンギスカン(成吉思汗)は、マトン(成羊肉)やラム(仔羊肉)等の羊肉を用いた日本の焼肉料理である。一般的には、北海道を代表する郷土料理とされる他、岩手県遠野市や長野市等、一部地域でも盛んに食される。中央部が凸型になっているジンギスカン鍋を熱して、羊肉の薄切りと野菜を焼き、羊肉から出る肉汁を用いて野菜を調理しながら食する。使用する肉には、調味液漬け込み肉の「味付け肉」、冷蔵(チルド)肉の「生肉」、冷凍肉の「ロール肉」がある。起源については、俗説で「かつてモンゴル帝国を率いたジンギスカン(チンギス・カン)が遠征の陣中で兵士のために作らせた」と説明される場合もあるが、実際には、モンゴルの料理とは懸け離れている。また、羊肉を用いる中国料理としては、「烤羊肉(カオヤンロウ)」という羊肉料理があるが、これも日本で食べられているジンギスカンとは程遠い。但し、ジンギスカン料理の起源自体は中国大陸にあると言われ、日本軍の旧満州(現在の中国東北部に所在)への進出等を機に、「烤羊肉(カオヤンロウ)」から着想を得たものが日本人向けにアレンジされ、現在のような形式となったものとみられる。北海道では、明治時代から肉用を含めた綿羊の飼育が行なわれており、1924(大正14)年の時点で、全国の約42.7%が飼育される最大の飼育地となっていた。1918(大正7)年、軍隊、警察、鉄道員用制服の素材となる羊毛自給を目指す「緬羊百万頭計画」が立案された。その早期実現のため、羊毛のみならず、羊肉をも消費させることで、農家の収入増加と、飼育頭数増加が企図され、その流れの中からジンギスカンが出現したものと考えられている。しかし、当時の日本人には羊肉を食べる習慣が殆どなく、ジンギスカン鍋が一般にまで普及したのは、第二次世界大戦後のことと言われている。最初のジンギスカン専門店は、1936(昭和11)年に東京府東京市杉並区(現在の東京都杉並区)に開かれた「成吉思(じんぎす)荘」とされ、北海道での営業としての最初の店は、1946(昭和21)年に北海道札幌市に開店したという、「精養軒」とされる。但し、1936(昭和11)年頃、北海道札幌市にあったという飲食店「横綱」が発祥の店との説等、異説も唱えられている。